お寺には池が付きものですね。
なぜ、池が作られるのでしょうか?
山水を中心とした庭園のデザインから来ているのでしょうか?
でも、これは答えにはなりませんね?
なぜ、そもそも庭に池があるのか?
もちろん自然を代表するファクターの一つだからなのでしょう。
お寺に池があるのは、火災に備えてのこともあるでしょう。
でも、私はこう考えます。
水面を眺めることは精神集中にとても役立つからではないでしょうか?
火と水、この二つは世界の淵源を構成するファクターであり、
その変幻自在の性格ゆえでしょうか、
精神集中のもっとも効果的な道具のようです。
お坊さんたちも、ときには池の端に座って、
水面を眺めてきたのではないでしょうか?
そうすると、なにかが見えてくる。
その人の人間性、品格、素養などに応じて、
なにかが見えてくる。
その見えてくるもので、
自分の修業がどこまで進んだか、
精進が功を奏しているかどうか、
悟りの境地に近いか、遠いか、
そんなことが見えてくるのではないでしょうか?





今日は、出勤にスーパーアンギュロン21mmf4を持ち出しました。
f3.5よりも一回り小さく軽いレンズで、
使い回しははるかに勝っています。
丸形フードをセットしてライカIfに付けると、
小型でスマートなホロゴンウルトラワイドという感じ。
リコーGXR+A12に付けると、
左手の中にすっぽり収まり、f3.5ほど目立ちません。
道具性という点では、かなり高得点。
撮影の方は、二日目だけに、かなりなれてきました。
昨日に懲りて、21mmでフォーカスを気にするのはやめました。
被写界深度で撮ります。
昨日の試写では、スーパーアンギュロン21mmf3.5を
できるだけ開放にして撮りました。
そのせいかも知れませんし、
まだカメラの扱いになれていなかったせいかも知れません。
液晶画面に呼び出してみると、f4の方がぐっと締まりのよい映像。
線の細さは銀塩ライカでの撮影結果そのままですが、
とても元気のよい画像になっています。
ますますリコーGXR+A12が気に入りました。
ただし、f4の画像を見ていて気になることが一つ。
リコー独特の元気のよい画像を見せる液晶画面のせいでしょうか?
シャープネスを最低レベルに落としているにもかかわらず、
まだ銀塩よりかなりシャープなのです。
帰宅して、マックでチェックしてから腹を立てるべきなのですが、
やっぱり腹が立ってきます。
ライカM9でもそうですが、
なんで、シャープネスの設定レベルを、銀塩相当の、
つまりレンズのオリジナルのシャープネスに
近い描写になるようにしないのですか?
今なお頑固に銀塩フィルムを使い続ける人たちのことを考えてみてください。
なぜ銀塩フィルムなのか?
昔ながらの、ちょっと粒子が見える程度の粒状性を見せる写真に
強烈な魅力を感じるのではありませんか?
どうも、現代のカメラ会社は、そんな銀塩フィルムの伝統を理解していない。
超微粒子、超高精密、超高生彩、これが理想と考えている。
レンズ技術者も、あらゆる収差を取り去ってこそ
完璧なレンズだと信じきっている。
でも、考えてみてください。
私たちは、超現代都市とロボットたちを撮るのではないのです。
いまだに生活感あふれる街の生きた人間、
生命感あふれるネーチャーを撮るのです。
なんの欠点もない美人、あなたお好きですか?
欠点があればこそ、美点が光るのです。
それが人間。
写真だって、同じ。
なめらかに輝かしく完璧に撮られて写真を見ても、
デジタルテレビの化粧美女を見るようなもので、
つるつるで、面白くもなんともない。
今冬厳寒、まさに我が懐のごとし
我が家の長男(猫ですが)銀太が、
あまりの寒さに耐えかねて、手製の炬燵を発明して以来、
銀太が炬燵を作るかどうかが、気温のバロメータになっています。
奈良でもこんなに寒いのでは、
北国の寒さはいかばかりでしょうか?
想像を絶しますね。
雪国にお住まいのブロガーの皆さんの驚きは、
それなのに、撮影ペースが落ちない!
私が依然属していた写真クラブは、風景写真家が主体でしたが、
雪を主題とする写真を撮りに出かけない限り、
春まで休眠状態になるのが通例でした。
ブロガーの特徴は、
写真が好きで好きでたまらない、
どんな状態でも、写真から心が離れないということ。
本当の写真ずきかどうかは、次の一点で分かります。
一緒に呑んだとき、話題がどこに集中するか?
写真やカメラのことか?
それ以外か?
以前の写真クラブの皆さんはほとんど全員落第。
実は、私の友人たちもぎりぎりすれすれというところ。
私は、許されるなら、写真の話一本で十分。
新潟ブロガーの皆さんも及第、
写真ブログの皆さんの多くが及第という感じですね。
みんな、写真が好きでたまらない。
こうでなくちゃねえ......








喫茶店を出て、奈良町に向かって歩き始めて、
3枚撮ると、リコーGXR/A12の電池が切れました。
早すぎます。
やむなくカメラ交替。
アンジェニュー25mmF1.4付きオリンパスE-PL1。
こちらはリコーGXR/A12よりも遙かに使いやすい。
慣れているせいもありますが、
シンプルなのがいい。
でも、アンジェニュー25mmF1.4はヘリコイド不全。
Cマウントアダプターにしっかりと締め込むと、
そのおかげで、アンジェニューのヘリコイド、絞りリングも
締め込まれてしまうようなのです。
やむなくCマウントアダプターのスクリューをヘリコイド代わり。
ところが、近づきすぎますと、レンズがポロリ。
やはりオーバーホールに出さないとダメのようです。
結局、午後4時20分まで撮影して、
リコーGXR/A12で209枚、
アンジェニュー25mmF1.4で224枚、
合計433枚、銀塩フィルム換算12本。
平均的な撮影量でした。
帰宅して、早速、マックのハードディスクに収納。
こんなとき、最初のファイルを開くのは、ドキドキものですね。
結果はいかに?
リコーGXR/A12の画像は、確かに画質に余裕があり、
スーパーアンギュロンらしい力感もちゃんと感じられます。
どうやら購入した甲斐があったようです。
これから当分、リコーGXRの試写が続きそうです。
今週最初の出勤日には、
スーパーアンギュロン21mmf4を付けて出ることにしましょう。
f3.5よりもかなり線の細い、だけど、ビビッドな描写をくれます。
カリスマ性は劣るけれども、表現力はまさるとも劣らない、
そう言えるのではないでしょうか?
そう言えば、ビオゴン21mmF4.5だって、そうです。
つまり、35㎜、28㎜に劣らず、21㎜も激戦区なのです。
リコーGXR/A12を戦場にして、
我が家の21㎜たちもこれから激戦を繰り広げることでしょう。



我が家から奈良町に向かって歩き始めました。
天候は晴れ時々曇りという感じ。
まず、スーパーアンギュロン21mmf3.5を使いましょう。
シャープはゼロにして、彩度とコントラストは標準の5から4に。
できるだけ銀塩に近づけたい。
すいすい撮れたと言いたいところですが、
実は難渋を極めたと言った方が正確。
おおむね被写界深度で撮りましたが、
ときには最近接でフォーカスしたいところです。
ところが、フォーカスアシストの拡大表示が暗くて、
まるで薄ぼんやり、よく見えません。
画面の明るさを最大にしているのに、
画面の切れが悪い。
これじゃソニー、オリンパスに負けますね。
午後1時すぎに出発。
午後2時15分、破石町(わりいしちょう)の新しい喫茶店で、
おぜんざいをいただきました。
ここで、レンズをキノプラズマート25mmf1.5bに交換。
すでに電池は終わりかけています。
終われば、オリンパスを使います。
このあたり、油断はありませんね。
午後2時40分出発。
出発前に、女主人にまた言わずもがなの忠告。
この店、外から中がまるで見えないのです。
「外からお店を見ると、締め切った感じなので、
入りにくいんですよ」
すると、女主人、
「よく、そう言われるんですよ」
「せめて、このガラス扉だけでも、
外から中が見えるようになっていたらいいんですが」
ところが、このガラス戸、二枚貼り合わせで、
中に薄い葦簀が埋め込まれているので、
オープンにできないのです。
「せめて、「営業中」の表示をもっと大きくしたら?」
外に出てみると、メニュー看板の側に小さな表示だけ。
扉の前に大きな表示をした方がよさそう、
という結論になりました。
余計なお世話ですね。







嬉しいような、困ったようなことが起こりました。
実は1週間ほど前、マップカメラに予約を入れたのです。
リコーGXRマウントA12
ライカMマウントレンズ用ユニットです。
以前から、2種類のレンズたちのためにカメラを探していました。
A ライカM9でけられるレンズたち
キノプラズマート25mmf1.5b
スピードパンクロ35mmF2
キネタール37.5mmF1.8
いずれも私の愛してやまないレンズたち。
B ライカM9では、どうも画質があやしいレンズたち
スーパーアンギュロン21mmf3.4
スーパーアンギュロン21mmf4
エプソンRD-1がまず候補にあがりました。
画質がとてもよい感じ。
カメラの作りも魅力的。
でも、撮影画像のチェックの方法がなんともまどろっかしい。
カメラが大きいのも難点。
そこに、急浮上したのがリコーGXR。
カメラ自体は変わり映えしない感じで、鈍重。
でも、シャープネスを10段階調整できると知り、
あっという間に、本命に!
でも、デジタルカメラインフレ気味の近ごろ、
今すぐ手に入れるのもなあ、と、やや躊躇していたのです。
でも、どうせ数ヶ月かかるだろうから、予約だけ入れておこう、
こう決断して、A12の予約を入れました。
なんのことはない、わずか数日おいて、昨日到着。
やむなく、ボディと予備の電池2個を追加注文したのが昨日。
今朝、ボディが到着してしまいました。
早速スーパーアンギュロン21mmf3.4を付けてみると、
いい!
レンズとボディのバランス、保ち心地も悪くないし、
シャープネスを殺した画像もかなり銀塩風です。
今日はさいわい執務休業日、早速試写!
付属の電池は80%ほどなので、今、チャージ中。
その間に、マチュアルをさらって、実戦準備。
午後、ちょっと歩いてきましょう。







今回、キノプラズマート25mmf1.5は、
メインのマクロスイターのサブに撮ったのですが、
一番の関心事は、2本のレンズの描写の違い。
興味深いものは、2本のレンズで撮りました。
№294.21がマクロスイター。
カメラの違い、露出の違いもありますが、
マクロスイターは濃厚で厚みがあり、
キノプラズマートは、いつもどおり、清澄。
もちろん化け物の顔に見えたのですが、
マクロスイターの方が化け物の雰囲気が濃厚。
キノプラズマートはさらりとしています。
でも、キノプラズマートはぼけ具合が怪しい。
この勝負、引き分けでしょうか?
こんな記事を読みました。
大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長は29日、
税制や社会保障、外交など国政に関する基本的政策づくりを進め、
幕末の志士・坂本龍馬の新国家構想になぞらえ、
現代版「船中八策」として策定する考えを示した。
自分が龍馬だというのですか?
どんな根拠で?
衆議院選挙の立候補者を募集しているそうですね。
自民党にも民主党にも絶望した浮動層が、
橋下市長のイメージ戦略に乗せられて、新党に期待し、
単独での政権戦略の目途を失った既成政党がそれに合流して、
新政権という道筋もほの見えてきました。
でも、総花で実現不能なマニフェストで国民を乗せた
民主党の惨状を国民はしっかり見据えるべきです。
民主党は、極めて未熟とはいえ、
一応政党政治の試練を経てきた政治家たちを登用できました。
でも、見識もビジョンも実力も欠くことが即時露呈している惨状。
今政権が保たれているのは、野党も同様の惨状の中、
拙劣戦略で、逆に民主党政権を支えてしまっているため。
橋下市長は、自分自身政治家としての経験見識もない上に、
周囲にまったくのど素人たちを集めて、
単なる人気だけに乗って政権に参加しようというのです。
人材が民主党よりもさらに払底の陣容で何をしようというのか?
見識もビジョンも実力もなにもないスタッフに何ができるのか?
どんな惨状が待っているか?
国民をどんな混乱に陥れるか?
日本が陥る惨状は想像を絶するものとなりそうです。
橋下市長や、同様に政治家としての見識など皆無の石原知事は、
まるで自分たちのことが見えていない。
それなのに、日本の未来の舵取りをしようというのです。
ヒトラーが台頭した当時のドイツを思い出し、
怖ろしくなってきました。
無謀というより、犯罪的。
こうなれば、国民の方が、彼らに代わり、
しっかりと未来を見据えて、良識を発揮し、
断固、宣告すべきです。
「ノー!」



昨日、DAさんから嬉しい言葉をもらいました。
彼は、銀塩一辺倒の人間なのです。
それなのに、こう言ってくれたのです、
「ブログを見てたら、
オリンパスやソニーのデジタルカメラで撮った写真、
ぜんぜんデジタルに見えませんよ。
銀塩を変わらない。
あんな風に撮れるのなら、デジタル手に入れてもいいな、
という気持ちになりそうです」
デジタルカメラ派の皆さんには心外な言葉でしょう。
なにを言ってるんだ、
デジタルの方がずっと良いんだから!
話が逆じゃないか!
画質、シャープネス、精密度など、さまざまなファクターが、
デジタルが銀塩をはるかに凌ぐことは否定しません。
でも、30年余銀塩で通してきた人間にとっては、
この「凌ぐ」ということそのものに問題があります。
凌ぎすぎなのです。
だから、写真を見ても、それらの凄さばかりが眼について、
肝心の写真そのものを楽しめないのです。
いや、なにを言っているんだ、
ちゃんと楽しめるよ!
デジタル派はそうおっしゃるでしょう。
そうでしょう、そうでしょう。
この世はあげてデジタル派の勝利を祝い、
プロもみんなデジタルカメラを駆使する時代です。
でも、「私は」楽しめないのです。
ですから、デジタルでも、オールドレンズばかり使います。
すると、あら不思議、
自分で見ても、銀塩とあまり変わらない画像になります。
これだから、私も今、よろこんでデジタルカメラを使います。
新設計のレンズは今後も使わないでしょう。
今日は、妻が留守。
1階リビングには、長男の銀太と末娘の静だけがいます。
遠赤外線ストーブと床暖房だけでは足りないらしく、
あんまり寒そうなので、エアコンも入れています。
でも、まだ寒いらしい。
銀太は、私が2階の部屋から階下に下りる度に、
自製の炬燵を作り替えています。
さきほど下りると、膝掛けを下に敷いて、
その上に座布団を載せて、自分は一番下にもぐりんこんで、
床暖房の効いている絨毯にじかに寝ていました。
静は、と言いますと、
空調機の吹き出し口の真下、
1.3メートルほどの高さのオーディオラックの天辺、
レコードプレーヤーのアクリルカバーの上。
どうもこちらの方が暖かい感じなのですが、
銀太には銀太の理屈があるのでしょう。
第1に、年をとって、あまり高いところに上りたくない。
第2に、狭いながらも、楽しい自製炬燵!
一番あたたかいのは、そのどちらかで、
静と銀太2人、身体を寄せ合っている方法。
でも、静は、次男のグリオッパーは大好きなのに、
残念ながら、銀太おじちゃんが近寄るのはいやがります。
銀太があんまり静のことが大好きで、
「食べちゃいたい」という感じで肉迫してくるのがいやなのです。
というわけで、2人別々に棲み分けることで、
どちらも平安を保っています。
でも、全員、家族の気持ちはしっかり持っている。
猫関係も、人間関係に劣らず、なかなか難しいのです。









前回の記事で、こう書きました、
根本的に魅力的でないなにかが、私の写真に隠されている。
それが何か、私には分かっています。
たいていの人が美しいと思わないものが混じっているからです。
困ったことに、私はそれも美しいと思うのです。
だから、撮るのです。
要するに、美の観念がかなり私の方向にずれているのでしょう。
もちろん誰にもそんなずれがあります。
でも、かなり多くの人の心にかなう、
いわば文句なしの美に沿った写真を撮れる方がいます。
わざとそうしているのではありません。
意識して、努力して、そんな風に撮れるわけがないのですから。
まさに優秀な美的感性の持ち主なのです。
こんな方の写真は大勢のファンを集めます。
私は、自分なりに、自分の美的観念のずれを検討して、
こんな風に考えています。
私の美的観念は、もちろん平均的な美的観念を含みます。
でも、それよりはるかにずれた、私個人の美がかなり広いようです。
そして、人が美しいと思わないもの、
それがロボグラフィなのですが、こんなものたちに美を認めること、
それが喜びとなって、私のロボグラフィの大半は、
平均的な美のエリアからかなりずれたエリアに属しているようです。
おかげで、「なんで、こんなものを撮るんだ?」となります。
そんな、Hologon158流美の例を3枚掲載しましょう。
ロボグラフィテスト!
虚心坦懐に次の設問に答えてください。
「あなたは、この写真たちを見て、どう思いますか?」
3枚につき、1枚ごとに下記の回答欄の項目を選んでください。
1 いいね
2 可もなく不可もなく
3 なんじゃ、これ?
4 理解できん!
5 汚い!



では、結果を発表しましょう。
3点の方は、私のお仲間です。これからもよろしく。
4点または5点の方は、ときどき本ブログにおいでください。
6点以上の方は、時間を捨てていますね。
このブログのことをお忘れになって、
ご自分の人生を歩んでください。
ごきげんよう!
また、とても嬉しい言葉を見つけました。
マーカス・デュ・ソートイ「素数の音楽」(新潮クレスト・ブックス)
「美しくも不可思議な数に憑かれた天才たち」
と、帯に書かれています。
素数に関する「リーマン予想」と呼ばれる大胆な仮説を
証明しようと苦闘した数学者たちの物語。
その中で見つけた、フランスの数学者ポアンカレの言葉。
「科学者が自然を研究するのは、自然が有益だからではない。
喜びをもたらしてくれるから研究するのであり、
なぜ喜びをもたらすかというと、自然が美しいからだ。
自然が美しくなければ、そんなものは知るに値せず、
自然が知るに値しないものだとすれば、
人生も生きるに値しないものなのだ」
この言葉を読んだ途端に、直観しました。
美しい言葉だ、
そして、
ロボグラフィにもあてはまる!
「ロボグラフィを撮影するのは、その写真が有益だからではない。
喜びをもたらしてくれるから撮影するのであり、
なぜ喜びをもたらすかというと、ロボグラフィが美しいからだ。
ロボグラフィが美しくなければ、そんなものは知るに値せず、
ロボグラフィが知るに値しないものだとすれば、
ロボグラフィストの人生も生きるに値しないものなのだ」
科学者とロボグラフィストとの違いは、もちろんかなり大きいですね。
ポアンカレの言葉は万人に妥当します。
でも、ロボグラフィストの言葉は私にしかあてはまらない。
でも、肝心なことは、私にとっては、あてはまること!
私にとって、私の写真を人が認知するかどうかは、
無意味とは言いませんが、いわば、添え物。
私のブログがついに絶対少数の人しか来ないことが分かったとき、
私が自分の写真を認知できるか、それだけが問題になりました。
根本的に魅力的でないなにかが、私の写真に隠されているのでしょう。
そこで、分かります。
私の写真は、私の一人言に過ぎないということ。
でも、この一人言、私を生かしてくれるのです。
それで十分。




さて、昨日の撮影報告。
カメラショーの視察を済ませて、早速撮影開始。
DAさんは、これを手にしたら、もう敵はない定番セット。
エルマリート28mmF2.8第2世代付きライカM6。
私は、
メインは、オリオン15-28mmF6付きライカM9。
サブは、ソニーNEX-5A。
レンズは2本のアンジェニューセット。
アンジェニュー28㎜f3.5
アンジェニュー25mmF1.4
オリオンは知る人ぞ知る、超廉価版名レンズ。
ライカで28㎜を使いたかったら、
そして、あなたが金詰まりだったら、
このレンズに限ります。
他のどんなレンズもいらない。
まずは、このロシアレンズでライカ修業をしましょう。
35㎜、50㎜、90㎜が欲しくなったら?
ジュピターを捜しましょう。
4本全部で数万で、撮れないものはないセットが完成。
「いやだ、いやだ、純正でないと、いやだあ」
あなたがこんな風に駄々をこねるのなら、
返事は一つ、
「勝手にしな!」
さて、まずJR天王寺駅ビルの南界隈を、と考えました。
ロボグラフィの宝庫だった場所なのです。
この3年ばかり、遠のいてました。
行ってみて、
ああ、無常!
再開発で、商業ビル群が下町を一掃していました。
ここでも、「勝手にしな!」
グルメのDAさんの提案で、
天王寺公園内の大阪市立美術館に。
こう書きますと、不思議にお思いになるでしょうけど、
この美術館の地下の古い洋風レストランは、
昔ながらの西洋料理風のお味で滅法美味いのです。
おいしい料理を頂くと、さらに撮影が好調になります。
もっとも、私の場合、どこに行っても、いつでも、
撮影は絶好調なので、
絶好調よりももっと絶好調になるという意味です。
意味が分からんとおっしゃる方はかなりの堅物。
大好きなカメラをもって、大好きな場所を撮影したら、
どんな気分になるか、知っている方なら、
分かる、分かるとおっしゃることでしょう。


ついでに書いておきます。
自分の問題は自分で解決する、という気風は、
もちろん孫にも受け継がれている、というお話。
先週金曜日、長女が風邪で熱が出て、
急きょ妻が応援にかけつけました。
長女が医者に行っている間、
妻が孫と2人でお留守番。
孫は、抱っこされると、足を強く屈伸させて、
「高い高い」をせがみます。
まだ2か月半ですが、男の子なので、重い。
いつまでも「たかい、たかーい」なんてやってると、
身体がもちません。
妻が、口の中で舌を「ロンロン」と鳴らしてみせました。
孫は喜んだようで、妻の口元をきっと見つめ続けました。
それから、約1週間たって、今度は長女の定期診察に、
私が応援に駆けつけました。
やっぱり、「高い高い」をせがみます。
疲れて私も「ロンロン」と鳴らしてみせました。
そのときは、見つめるだけだったのですが、
ママが帰宅してしばらくして、
突然、私の膝から聞こえてきたのです、
「ロンロン」
見ると、孫が口の中で舌を弾かせて、鳴らしているのです。
得意そうに、何度も何度もくり返しました。
あれからいろいろと試していたらしいのです。
ついにできた!
赤ん坊でも、自分の問題は自分で解決するのです。
この子が、まだ生後20日ばかりの頃、
入浴セットの浴槽で、背中を洗うために、
身体を仰向けからうつぶせに返したとき、
左手をさっと伸ばして、
浴槽のふちをがっとつかんだお話は書きました。
近ごろは、パパにお風呂に入れて貰います。
私の経験では、赤ん坊はお風呂の中では、
パパの腕の中にほんわりとつつまれて、
ポワーンと幸せにうっとりとしているものです。
ところが、この子は違います。
浴槽に入ると、
孫はパパの両腕をがっしとつかんで、離さない。
こんなに小さくとも分かっているのでしょうか?
「落ちたらあぶない!」
そこで、自分の身は自分で守る!
赤ん坊も、ちゃんと頭を使って、
あれこれ苦労しているのですね。



昨日の報告の前に、ビッグニュース!
と言っても、我が家にとって、ですが、
まあ、聞いてください。
我が家のリビングルームは和洋折衷。
ど真ん中に巨大な座敷机。
と言っても、作りは洋風の一枚板の座卓。
厚さが8㎝ほどの一枚板なので、
一人では持ち上がりません。
その前に座布団と折りたたまれた大きな膝掛けが並んでいました。
昨夜遅く帰宅した妻が発見!
座布団が膝掛けの位置に運ばれ、
どういう風にしたのか、膝掛けの下に入り込み、
こんもり盛り上がり、その下から長男銀太の尻尾。
座布団の位置から膝掛けの位置まで、
毛深い絨毯の数カ所に、猫のひっかいた跡が。
床暖房の床、遠赤外線ストーブの前に陣取っていた銀太、
昨夜のあまりの寒さに、我慢できなくなって、
自分で炬燵を作って、潜り込んだのです。
今朝も、私が朝食を済ませてリビングルームに行くと、
座布団がなぜか昨日の位置に運ばれ、こんもり盛り上がり、
座卓の下からのぞくと、銀太と目が合いました。
今座布団がある位置にあった膝掛けは、
少し窓側にずれて、座布団の上に半ばのっかる程度。
炬燵制作はまだ途中なのに、
我慢ができなくなって潜り込んだらしい。
つまり、猫だって、この寒さにどうにかしないと頭をひねり、
膝掛けと座布団、2つの材料を使って、炬燵を作るのです。
実に創造性豊かな工夫ではありませんか?
道具を作り、道具を使うのは、
人間だけではない!
銀太はもう16歳、人間で言えば、100歳ほど、
左目が白内障ぎみですが、
まだ頭も身体も衰えていない!
というより、冴えている!
自分の問題は自分で解決する!
これが我が家の気風なのだ!
そう胸を張りたいところですが、
誰に似たかと正面切って考えてみると、
妻、娘たちの系統のようで........
昨日は、親友のDAさんと大阪天王寺を歩いてきました。
最初のお目当ては、天王寺の近鉄百貨店でのカメラショー。
コダックの退場で、クラシックカメラ店は壊滅の危機では?
そう感じていたのですが、こちらの心配などどこ吹く風、
各地のクラシックカメラ店が元気な姿を見せていました。
超高額の値札にびっくりのカメラがずらりと並びました。
ニコンS2ブラックペイントが200万円近いのです。
私の後年のペイントバージョンはその十数分の一。
この差がリーズナブルと言えるのか、首をかしげてしまいます。
どうも中国人バイヤーが主たるターゲットのような感じ。
だって、日本人にはとても買えない値付けなのですから。
ところが、キヤノンのセレナー100㎜f3.5は3000円。
こちらはかなり納得の破格値。
つい手が出そうになりましたが、
思い直しました。
エルマー90mmF4を手に入れたばかりです。
ほとんど使わない長焦点なのに、屋上屋を重ねるだけ。
代わりに、ライカのシャッターに付けるレリーズボタンを、
一つ1000円なので、3個入手。
シルバー、ブラックペイント、レッド。
知らぬ間に緩んで、ポロリと抜け落ちてしまいます。
貴重なのに消耗品の行動をする、にくいヤツですが、
かわゆうござる。
さっそく、ライカM9の超大型レリーズボタンを外し、
シルバーを付けてみました。
押しやすく、見栄えもなかなかのものです。
なぜ超大型の方を外したか?
これは超が付く位に、押しやすいのです。
ホロゴンウルトラワイドと共に歩んできた優れもの。
もう生産中止らしく、手に入りません。
ホロゴンウルトラワイド用に残しておきます。
さて、今回のシリーズは、前回のサブレンズ、
キノプラズマート25mmf1.5bのシリーズ。
こちらは、ソニーNEX-5Aにつけて、一応37.5㎜レンズ。
私にとっては、最高位に位置するレンズ。
その実力を発揮してくれているか?
ゆっくりご覧下さい。



前回述べたこと、
ある人が理解できることが、
その域に達していない人には理解できない。
このことは、写真も一緒です。
言葉と同様に、写真もシンボルです。
言葉以上に、写真のシンボルを読み取ることは難しい。
写真に含まれている意味、感情、寓意を
誰もが正確に読み取れるとは限りません。
正直言って、私は、古今の写真家たちの写真を
正確に読み取れる自信はありません。
さらに、現代の写真家たちとなると、
かなり奔放に写真言語を駆使するので、まるで理解不能。
アマチュアカメラマンの皆さんの写真となると、
もうまるで読めません。
心象的な題名を付ける写真をかなり沢山拝見しますが、
私には、ほとんどの場合、題名と写真とが結びつきません。
画像イメージの面白さだけで、
好悪を決めるほかはありません。
私も、人から見たら、アマチュアカメラマンなのでしょう。
でも、自分ではそうは思っていない。
写真のど素人であると幾度も幾度も書いていますが、
これは誇張ではありませんし、まして謙遜でもありません。
私は謙遜家ではありません。
単に自信を述べているだけです。
つまり、私にはほとんどの写真が理解できません。
ということは、私には意味がない、無縁であるということ。
自分に意味のある写真、自分の心を揺さぶる写真しか、
観るつもりはありません。
それが、私の無知、無理解、狭さの証拠であることは、
誰よりもよく知っています。
私は全知全能ではないので。
だから、自分の狭さの中に安住して、
その外に出て、分かった顔は作らないことにしています。
ということは、やっぱり写真の素人なのです。
そんな私の撮る写真たちなのですから、
レンズ頼みの安直写真。
写真家の皆さんから見れば、ただの捨て写真で喜んでいる。
今日も1日歩き回り、バンバン撮ってきました。
その報告は次に。






[後書き]
東大寺界隈マクロスイター編は、これで終わり。
次回からは、キノプラズマート編をお送りしましょう。
マーシャ・ガッセンの「完全なる証明」(文藝春秋社)を読み終わりました。
ロシアの天才数学者ペレルマンが、世紀の難問「ポアンカレ予想」を証明し、
この難問の証明者に授与するとされた、
100万ドルの賞金付きクレイ賞の受賞を拒否し、
さらには、数学そのものもやめてしまう経緯が描かれています。
100万ドルをもらわないなんて、
もったないと思いながら読み始めたのですが、
読み終わって、これじゃ、拒否しても無理はないな、
と納得してしまいました。
著者の説得力もありますが、
そんな異常な事態に発展していったのも、
かなり無理はないなとという感じ。
世紀の難問だったために、
ペレルマンは、証明のためのプロセスについて、
いくつも新しい数学的発見を重ねていったのです。
だから、それが完全な証明であることが、
この証明者である大天才以外の数学者たちにがかなり難しかったようです。
そのため、表彰が2年延び、その間に、
中国の数学者が、自分たちが先に証明したと主張する騒動もあったりして、
ペレルマンの周辺はてんやわんやの状況となりました。
彼は、自分が完全に証明したことを知っていましたので、
数学界の無理解、無知、悪意、嫉妬等に出会って、
すっかり嫌気がさしてしまい、数学からすっぱりと縁を切ってしまいます。
どんなことでもそうです。
ある人が理解できることが、
その域に達していない人には理解できない。
陳少林先生がおっしゃった言葉を思い出します、
「私は生徒さんたちのリズムの間違いが分かります。
生徒さんたちは私のリズムの正しさが分かりません。
おなじように、私は小沢さんのリズムが分からない」
私のように、そのとき、その場で考えたことを
どんどんと記事にしていますと、
きっと自分の理解できないことを、
それと分からないままに、書いていることでしょう。
でも、私が理解できることを書いても、
そのことを理解できない人が誤解する危険が常にあります。
だから、こんな風にたくさんの文章を書くのは、危険なことなのです。
それでも、やめられませんね。
すべてを完全に理解していることを、完全に確認してから、
常に正しく行動する人なんて、いませんから。
いても、私は付き合いたくないですね。
まして、思考は錯誤をくり返しながら進展していくものです。
間違いをいやがっていたら、考えることもできません。
まして、行動することなど、できなくなります。
これからも、間違いだらけの記事をバンバンとアップしましょう。






人類のもっとも偉大な発明って、なんでしょうね?
音楽と言いたいところですが、
普遍的な影響力を考えますと、言葉でしょうか?
言葉によって、人類はコミュニケーションの最高の道具を手に入れました。
その言葉から生まれたもっとも魅力的な発明が本ですね。
魅力的な本を読むたびにつくづく思います。
本こそ、タイムマシーン!
悠久の過去の人間の人生に立ち会えるのです。
司馬遷の史記はそんな最上のタイムマシーンの一つです。
ある公子が国を救うための作戦を立てます。
師と仰ぐ人物にアドバイスを受け、人材も見つけてもらいます。
いざ、出発と、別れを告げるのですが、
そのとき、師匠についこう言ってしまいます。
「なにぶん、このことは内密に」
師匠は、公子を安心させるべく、自分の首をはねて死んでしまいます。
公子が師匠の人物を知っていたのですから、
そんなことはするはずのない人であることは
わかっていなければならなかったのです。
公子もわかっていたのでしょう。
でも、つい念押しをしてしまう。
これも、大事の前では、無理からぬことかもしれません。
でも、一人の命を奪う失言でした。
この言葉を聞いたときの、師匠の失望、落胆。
それに気づかぬ公子。
たった数行の言葉から、
2千数百年の時を経て、この瞬間がよみがえります。
こんな芸当ができるのは本だけ。






午後3時半、喫茶店を出発して、
前回通り、加美駅を目指して北上しました。
午後4時半、駅に到着し、41分発普通に乗車。
本日も2時間、絶好調でした。
ズマロン28mmF5.6の収穫は、
395枚、
銀塩フィルム換算約11本。
こんなものをよく撮るな、そう人が言いそうな写真ばかり。
それが私。
自分からは逃れようがありませんね。
と言って、別に逃れようとしたことはありませんが。
私の場合、写真をはじめてから終始一貫して、
質よりも量、これですっ飛ばしてきました。
とにかく撮らなきゃ、お話にならない。
それが私の立場です。
そして、もう一つ、根拠があります。
どうせ素人の写真は、カメラ、レンズ頼み。
カメラ、レンズが勝手に撮ってくれるのですから、
四の五の理屈を付けることはない。
ただシャッターを押すだけ。





今日は、先週土曜日に続いて、大阪平野区に行きました。
所用を済ませて、午後2時半から撮影開始。
今日の装備は実にシンプル。
ズマロン28mmf5.6付きライカM9
レンズは超小型のシルバー、
これに黒の角型フードがセット。
M型ライカにはとても似合います。
開放値が暗いので、終始、開放で撮ります。
この開放の描写がとてもよいのです。
ちょっと古風な味わいで、コクがあって、鮮鋭。
これ以上の厚みは欲しくないと言う感じです。
土曜日とちょっとコースを変えましたが、
結局同じコースにたどり着き、
加美駅南の小さなお店で、
前回と同じチーズケーキ・コーヒーセット。
たったの500円。
撮影後1時間のコースにちゃんと待っていてくれるお店なのですから、
重宝です。
入ると、なんとまあ、カウンターの両側の定席に、
前回とおなじ客が座っているではありませんか?
土曜日以来ずっと座ってきたのでしょうか?
まあ、そうではないでしょうね。
でも、お二人とも独身男性、
一人で作る寄りは、ぬくもりを求めて入り浸りのようです。
完全なる庶民の町。
休みながら、ズマロンの画像を少しチェックしてみました。
マクロスイター26mmとはまるで違う写真を撮っています。
なにしろ最短撮影距離が1mなのですから、
かなり離れたディスタンスの写真が並びます。
これはこれで結構ですね。
そのうち、ごらんいただきましょう。
そう言いたいところですが、
完全なるインフレーション状態。
いつごらんいただけることやら.......





昨日の写真、後半は帰り道。
バス停から我が家まではわずか200メートルほどですが、
私にとっては、写真の宝庫。
とくに、空にこんなに近い場所はあまりないと思えるほど。
いつも空を見上げながら、ゆるやかな下り坂を歩きます。
ある日、iPhoneのイヤホーンを耳に付けて帰りました。
あんまり空が面白いので、見上げながら、
7,8メートルの道を右から左に斜めに移動しました。
私が左端に行き着いた次の瞬間、
私をかすめるようにして、
プリウスがすっと通り過ぎました。
一瞬のニアミス。
でも、私は空の美しさに恍惚となっていたので、
別に驚きもせず、見送りました。
後で考えました(ちょっと鈍すぎますが)、
「あのとき、危なかったんだな」
それ以来、道を歩きながらiPodを聴くのは止めました。
でも、カメラを持ったら、同じことが起こります。
背後のことなど、完全に忘れます。
いきなり道を横切ることだってあります。
いつか背後からきた車やバイクと接触する可能性は、
全世界の他の誰よりも高いかも知れません。
今回は、そんな事故もなく、
楽しく写真を撮りまくりました。
キノプラズマート19mmf1.5、
私には絶品のレンズと思えるのですが......














出勤の際にレンズを一本持ち出す、
これが習慣となって半年を超えました。
またか?
同じ処で、同じような写真を撮って、
なにが面白いんだろう?
そうお考えの向きも多いでしょう。
私自身としては、とても面白い実験だと考えています。
すでにこの種のフォルダが70を超えています。
それぞれ100枚強平均ですから、
職場界隈だけで、7000枚を超える写真が集まりました。
もちろん同じ場所、同じ被写体も沢山あります。
でも、毎回、新発見があります。
万物は流転する。
路地だって流転しているのです。
私も流転しているのです。
毎回新発見があっても、不思議ではありません。
今日は、キノプラズマート19mmf1.5を持ち出しました。
撮影時間はいつもの3分の2程度でしたが、
かなり沢山の新発見があった感じがして、
今日は爽快な気分になっています。
2回に分けて、掲載します。
まずは、奈良町を中心とする光景から。














出勤日、お昼、レストランに向かう途中、
行きつけのラボにフィルム4本の現像をお願いしました。
写真界の巨人、コダックの倒産により、
全国のラボ営業の写真館、苦しくなりそうですね。
私も苦しくなります。
一応、300本弱のネガカラーフィルムは備蓄しました。
60本は今年3月が使用期限。
残りは来年3月です。
月間10本程度のペースに落ちていますので、
ちょっとペースアップしたいところですが、
これからの購入計画が立たないので、
大事に使いたいものです。
保管用ケースに入れて室温で保存した場合、
使用期限が切れたフィルムがどんな風に劣化するか、
見当もつきませんが、
私のように、色再現を完全に無視する撮り方の人間には、
使用期限など無意味です。
どう劣化しても、写っておればよいのですから。
むしろラボがいつまで営業してくれるか、
それが問題になりそうです。
これから何年写真を撮れるか、神のみぞ知ることですが、
30年はホロゴンウルトラワイドを使いたいものです。
もちろん、ライカMシリーズが進化して、M用ホロゴンが15mmのまま、
フルフレームで画像劣化もなく使えるようになれば、
デジタルでもホロゴンが活用できるようになります。
それでも、銀塩フィルムの作り出す雄渾なイメージは無理でしょう。
誰もが、不意のカタストロフィに怯える時代になりそうですね。
こんな時代、
ますます現在のこの一瞬が大切になりますね。
やりたいことがあったら、
今、やろう!







佐伯祐三は、やたら字の詰まったポスター、看板を描きました。
どうやらこんなポスター壁を描くのが好きだったようですね。
私はもちろん大好き。
ですから、佐伯祐三展を観たとき、夢中になってしまいました。
私には彼の気持ちが分かるような気がしたからです。
何も、ポスター、看板が好きだったわけではありません。
ポスター、看板、落書きが壁を次第に埋め尽くし、
時の経過とともに、壁全体がアートと化してゆく、
そんなプロセスに夢中になったのです
彼もまた、時間芸術に魅せられた一人だったのです。
彼のパリはゴージャスです。
でも、今、佐伯の壁がどれだけパリに残されているでしょう?
全面的なクリーン作戦が行われてきたようですね。
美に対する二つの相容れない考え方が正面衝突してしまいました。
私や佐伯は、時間芸術と化してゆく古い壁にこそ、
人間の歴史と真実が埋め込まれていると考えます。
でも、時間芸術を美しいと考える人間はごく少数です。
写真を愛好する人間をとってみても、
正統なる美を好む向きからは、私の写真はゴミ。
正統なるコマーシャリズムの観点からは、
佐伯の壁は百害あって一利なしの邪魔者、
経済的発展に逆行する障害物となります。
つまらないですね。






陳小林先生に揚琴を習い始めた最初の頃に、
とても美しい映画主題歌を揚琴で習いました。
大海啊故鄉 (電影原聲) The Sea, The Homeland (Original Soundtrack)
(http://www.youtube.com/watch?v=sILzhr-bhiM&feature=related)
陳小林先生が、もとの歌はこうなんだと、歌ってくれました。
次のビデオにその意味が英語に訳されていました。
[春晚 HQ] 1983年春晚 / 大海啊故乡 / 郑绪岚
(http://www.youtube.com/watch?v=8I1nDyz-jrY&feature=related)
When I was little,
Mom told me The ocean is my home town I was born near the ocean,
and grew up in the ocean Ocean, oh ocean.
It is where I live the wind blows,
the waves come and go you have been with me
while I travelled everwhere Ocean, oh ocean.
You are just like my mom.
Even at the most remoted corner of the world.
you have been always with me.
陳小林先生の歌声はとても中国的で、心に沁みました。
ああ、ぼくは中国の文化を学ぼうとしているのだ、
そう感じました。
二胡をおやりになっている人たちの中には、
ただ二胡の音色が好きで、
この二胡で日本の音楽を弾いてみたいという方がかなり多いようです。
私はこう考えます、
中国の楽器を学ぶのだから、中国の音楽を弾きたい。
中国の文化と心を学びたい。





お暇でしたら、次の中国伝統弦楽器による五重奏をお聞きになってみて下さい。
Shepherd's Song 牧羊曲
(http://www.youtube.com/watch?v=1OJ9S57Bzp8&feature=related)
Spring of Tianshan 天山之春
(http://www.youtube.com/watch?v=MG7cimYy6pA&feature=related)
Two Musical Pieces of Tang Dynasty 唐曲二首
(http://www.youtube.com/watch?v=JI4GJSLJReA&feature=related)
西洋クラシック音楽とはまったく別の文化に属しています。
左から二胡、柳琴、揚琴、琵琶、古箏。
そのアンサンブルの素晴らしさはどうでしょうか?
どんな文化にも、別種の音楽体系があって、
それぞれに素晴らしいということに、
いつも不思議な思いをしています。
民族、文化が特有の音楽を育てたのに、
別の民族、文化の人間までも感動させる力を持っている。
これは、音楽が人間の本質を形づくる成分だからではないでしょうか?
ところで、五重奏に戻りますと、
揚琴がど真ん中にいます。
リズムを揚琴が決めるからですが、
奏者が左右に眼を配りながら、
まことに巧みに音楽をリードしています。
見るたびに、惚れ惚れしてしまいます。







戒壇院南の住宅街、水門町から西に進み、
奈良県庁の北の住宅地を撮影し、
奈良女子大にぶつかると、南に回り込んで、
鍋屋町から内侍原町に抜けました。
こんなものを撮っていたら、
そりゃ、誰だって沢山写真も撮れますよ、
という見本のような写真ばかり並べてみました。





戒壇院の南あたりが水門町という閑静な住宅地。
写真家入江泰吉の家があったことで有名ですが、
その水門町で撮った写真たちをごらん頂きましょう。
「男子の本懐」という言葉があります。
これをし遂げてこそ、生きていた甲斐があった、
そんな偉業を成し遂げたときに使いますね。
「カメラマンの本懐」って、なんでしょうね?
たいていのアマチュアカメラマンにとっては、
第一級のコンテストの大賞を取れる写真を撮ること、
第一級の写真ギャラリーで写真展を開催すること、
出版社から写真集を出版すること、
こんなところでしょうか?
私は、自分じゃカメラマンとは思っていないので、
「ロボグラフィストの本懐」とでも言いましょう。
それはとても簡単で、とても難しいことです。
すなわち、
ひたすら撮り続けること!
写真を撮り続けられること、
それが人生への報酬、
私はそう考えています。
ほとんどのアマチュアカメラマンは、
たまにカメラを持ち出して、撮影に出かけます。
私は、外出すると、写真を撮ります。
「どこでもドア」はありませんが、
「どこでも写真」しています。
別に撮り続けたからと言って、
傑作が撮れるわけじゃありません。
傑作狙いをやめたから、気軽に撮れるのです。
それがこんな写真たちなのですが、
べつに写真家ごっこをしているわけではないので、
べつに卑下する必要もないわけです。
あしからず。








東大寺界隈の旅は戒壇院に差し掛かりました。
えっ、戒壇院に行って、撮ったのはこれ?
そうなのです、と、胸を張る撮影者。
四天王像くらい撮ってきたらどうなの?
しかるべきツテがあって、
かなり高額の謝礼をはずめば、
可能かも知れませんね。
地獄の沙汰も金次第って言いますから。
ふん、なんだか見当違いのような、
図星のような......?
せめて、正面の石段くらい撮ったらどうなの?
そう言えば、そうでしたねえ......






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