わが友ホロゴン・わが夢タンバール

660.01 ホロゴンデイ167「2016年8月24日ホロゴン的鶴橋を楽しんだ」1 お久しぶり!



久しぶりに、ホロゴン写真に戻りましょう。
長い間、ホロゴンとホロゴン以外のレンズの各シリーズは拮抗していました。
近頃、気づいてみると、ホロゴン外傅が9シリーズも先行しています。
なぜか?
どうも分かりません。
でも、一つだけ分かっていることがあります。
わが友ホロゴンには申し訳ない事態です。
まずは、ホロゴンの定住地とも言える鶴橋シリーズで、
ホロゴンに謝意を表することにいたしましょう。





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# by hologon158 | 2016-09-30 10:32 | ホロゴンデイ | Comments(0)

659.06 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」6-完-魂の冒険


写真に本文が追いつきました。

9月10日土曜日、
DAさん、AKさん、二人の親友と奈良町、東大寺界隈を巡りました。

私は宮崎貞安さんのニューレンズの試写。

    ウルトラワイドペラール17.8mmF4.5

DAさんは、私からお回ししたニューレンズ、
スーパーワイドヘリヤー15mmF4.5

単身赴任先の東京から帰省したばかりのAKさん、
午後姿を現したとたんに、
私が使うウルトラワイドペラールに魅せられて、
午後ずっと試写。

私はバッグに潜ませた対照用レンズを取り出しました。

    スーパーアンギュロン21mmF4

思いがけず「超広角レンズ試写会」となりました。

午前中は奈良町を撮影し、
行きつけの喫茶店「ジャルダン」で昼食。
エビフライ定食¥850は盛りだくさんで、
エビも衣で稼ぐセコイ方式ではなくて、
実質があって、まずまずのお味。
たっぷりの量でしたが、気がついたら平らげていました。

DAさん、
「預かってたスーパーワイドヘリアー15mmF8、
やっぱり頂くことにしました」
超広角が一本片づきました。

ちょっと話が変わります。
現代は知りませんが、明治から昭和期にかけての経済勃興期では、
立ち上げた事業が成功して軌道に乗って、
時間的にも資金的にも余裕のできた日本の実業家の陰には、
配偶者以外の女性の影があったものでした。
おもしろいものです。
なにもかも揃って、まさに妻の鏡と言う他はないほどの完璧な妻がいるのに、
なんの取り柄もないように見える普通の女性に密かに通う人もいたようです。

ある実業家が語っていました、
「ゆったりとくつろぐことができます」
そんなものでしょう。
趣味に没入できて人生を豊かにできる男性には煩わしいだけですが、
仕事以外にはなにもない人には、こたえられないほどの慰安なのでしょう。

人生のフェイズをさまざまに上下することで、
精神を柔軟にすることができます。
満ち足りた完璧な人生は、ゴムをどこまでも引っ張り続けるようなものです。
次第に精神は硬化し、張りつめ、いつか切れます。
余暇を自分でプログラムできない人の一種の自己防衛策だったのでしょう。
でも、どんなに正当化しようとしても、
それが裏切り、背信であることには変わりません。

レンズでも同じことが起こりますが、
こちらは裏切り、背信ではありません。
これは私の自己防衛なのかもしれませんが、
ホロゴンという伴侶を得ながら、
数々の古代レンズに心を寄せて夢中になっている!
昭和成金ならぬ、平成成玉風の遊び人風になってしまいました。

でも、一つおもしろいことを学びました。
どんなレンズも、これはこんなレンズなんだ、と、
決めつけることができない!
基本となるような性格がはっきり見えるレンズもあります。
もうしわけないけど、そこまでのレンズ。
でも、本物のレンズは、本物の人間と一緒。
使う度に違った顔を見せてくれます。
その全貌を理解し尽くすことなどできません。

一番驚くことは、まったく予期しない機会に、
まったくなんでもない光景を前にして、
突然大化けして、とんでもないプレゼントをしてくれること。
そんな大化けの確率は、
優等生レンズよりも無名に近い、
レンズとしての性能がよろしくないレンズの方が高いようです。
こんな大化けがレンズ趣味の醍醐味なのでしょう。

私は昔からレンズ収集家のレンズ評価をまったく信じていません。
レファレンスのレコード一枚で、
すべてのオーディオを比較評価するオーディオオタクが居ましたが、
彼らと一緒。
専門用語を駆使して、すべて調べ尽くしたかのような御託を並べますが、
前記のような大化けに言及した人には、
例外的な2、3人を除いて、出会ったことがありません。

私がレンズをとっかえひっかえ楽しむのは、
そのレンズの性能を見極めようという気持ちからではありません。
女性と一緒、なんて分かったようなことを言ってしまいたくなります。
私は妻一人しか知りませんが、もう千変万化ですね。
完全に見極めることなんて、ハハハ、ということです。
だから、良いレンズも一緒。
時々どかんと襲って来る大化け体験を満喫したいから。

この日は、超広角の大化け体験の日でした。
で、大化けに出会ったか?
それは、こうして写真を並べることで確かめます。

そんなこと、撮った瞬間に分からないのか?
そう質問されますと、答えはたった一つ。
「分かりません」
「なぜ?」
「その場でどう撮れたか、確認などしないから。
そして、どのショットもみんな私にとってはベストチャンスなのですから」

マックで大きく眺めて、初めて、
「おおっ!」
これがロボグラフィの醍醐味ですね。

私も最初は、沢山のレンズに手を出すなんて、節操がない、
そう自分で感じていました。
でも、仕事上日々出会えたクライシスと冒険の楽しみが去った今、
レンズの冒険もまた、私の胸を躍らせ、日々の生活を彩ってくれます。
一生やめられない魂の冒険、そうとまで言いたくなります。




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# by hologon158 | 2016-09-29 12:35 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

659.05 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」5 不空羂索観音



随分昔になりますが、9月7日水曜日、
初めて東大寺美術館に入りました。
三月堂のご本尊の不空羂索観音とその脇侍の日光、月光菩薩が移されています。
以前に、仏像にはお堂の中に正しい立ち位置が定まっているらしい、
だから、美術館に移すのはまちがっているのでは、と書きました。
東大寺には申し訳ないけど、
この美術館で、その疑問は正しかったのじゃないか、
という気持ちになりました。
すばらしい美術館です。
でも、三月堂では、観音様たちはお住まいになっていました。
修理工事中の一時的な転居のようですが、美術館ではただの陳列品。

まず、分厚い保護ガラスの中に納められました。
これを見た途端、
「アチャー!!!」
4枚のガラスの継ぎ目が丁度観音様とお二人の菩薩様の真っ正面!
誰がこんなこと許したの?
観音様、菩薩様の身になって考えたことがあるの?
ずっと目の前にガラスの合わせ目をつきつけられながら、
過ごすんだよ!
信者さん、観客の身になって考えたの?
信者さん、真剣に合掌して、見上げると、観音様ではなくて、
「ガラスの合わせ目様」がそそり立っている。
「目出たい」という言葉そのままに、
あきれかえって、目が飛び出てしまいます。
誰が決めたんじゃ!??
誰もそれはおかしいって言わなかったの????
あんたたち、信仰あるの?
無神論者の私でも腹が立って腹が立って!

そのうえ、仏様を浮かびあがらせる照明が基本的にトップライトだけ。
なぜか、それでも観音様と日光さんはまずまずしっかりと浮かび上がります。
でも、私にとっては、世界で最高の立体造形芸術の一つである月光さん、
鼻の下をちょこっと黒くして、とても影の薄い存在にされてしまいました。
三月堂では、この三体の像はもっと低い段の上に、
そして、私たち観客にもう少し近くお立ちでした。
斜め上からの光で、うっすらと影がつき、美しさを際だたせていました。
遠く離れた美術館ではまったく味わえない、
いきいきとした迫力で私たちに迫ってこられたのです。
日光、月光両菩薩の魅力は、
とても繊細で微妙な表情の豊かさ、やさしさにあります。
こんなに遠くに立っておられると、この表情が全然見えないで、
私たちのことなど、関心ないという我関せず風の表情に一変しています。

不空羂索観音は、三月堂では、堂々とそそり立ち、
まるで魔教の主神のように、異界のたたずまいを生み出していました。
対照的に、その左脇においでになった月光さんが、
むしろ清らかに浮かびあがりました。
まさに月光に照らされたかのようなすゞやかに澄み切ったたたずまいが
私たちの心から澱を洗い流してくださるようでした。
そして、かなり私たちの視線に近い高さだったので、
月光さんの比類なく美しいお顔が、
合掌しておられる両手が、私たちにすっと近づいてきて、
なんとも親しみ深いのに、なんとも超越的な存在として、
私たちをやさしく包み込んでくれたのです。
たしか照明などありませんでした。
ギリシアの神殿と同じです。
窓、天井からの自然光が浄玻璃の世界を出現させてくれたのです。

係員の説明では、「コントラストを付けるように工夫したのです」とのこと。
ああ、コントラストの問題じゃないですよ!
浄玻璃の光明の中に菩薩様たちが聖なる姿を現された、
そんな気持ちに見る人に味あわせるにはどうしたらよいのか、
それを考えなきゃ!
三月堂ではそれができていた。
だとすれば、せめてあの雰囲気を美術館の中に再現するよう努力しなきゃ!

心配になりました。
東大寺のお坊さんたち、ほんとに信仰持っているんだろうか?
だったら、こんな美術品陳列に成り下がってしまうことを
どうして許したんだろう?
もう2度と行きません。
むしろ記憶に残る月光さん、日光さん、不空羂索観音の
お姿を想起することにします。
なんだか人間の心が思っている以上に深刻に貧困化しているんじゃないかな?
そんな感じがしてきました。
三月堂修復完了までの一時の宿りだったら、
信者たちが信仰のために美術館を訪れることを考慮して、
むしろ三月堂そのままに再現するとか、
なんとかして仏堂らしいたたずまいを設計するとかして、
信者たちの心を温めて上げるように配慮すべきではありませんか?





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# by hologon158 | 2016-09-27 01:11 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

659.04 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」4 創造的な決断



人間って、ちょっとしたことで、ある種の真実を悟るようですね。
きっかけはこうです。
突然、ミニコンサートに出演することになったのです。
付虹先生のグループとして揚琴コンサートに出たとき、
一人の音楽家と知り合いました。
そのSHさんからお電話をいただき、
「私が伴奏しますので、
リコーダー二重奏でミニコンサートに出ましょう」
「とんでもない、まだ始めて1年なのに!」
ということで、出演を承諾してしました。
(あれっ?
かなり中抜けがありますね。
でも、どうしてこうなったか、自分でも思い出せません。
とても明るく気持ちの良い方なので、
彼のペースに乗せられてしまったのかも?)

でも、私の415の古いピッチのデンナーは使えません。
SHさんお持ちのリコーダーは440だからです。
そこで、30数年前に数年独学したとき購入して、
そのまま30年間、転居数回の間、
ずっとそれぞれの私の書斎の本棚に裸で転がったまま、
ついぞ弾くこともなかった、
440のアルトとソプラノのリコーダーを使うことになりました。

昨年来、リコーダーを再開したときは、
リコーダー熱再燃のきっかけとなった友人AKさんから、
彼が昔愛用していたドルメッチの415のアルトを頒けていただいて、
これを使っていたのですが、
時折メックも取り出しました。
でも、ボーボーと取り留めのない、スカスカの音。
こりゃ、ダメだ。
と、その都度、二軍に逆戻り。

でも、今回はもうこれしか頼るものはない!
覚悟を決めて、毎日毎日、選んだ3曲を練習し続けてきました。
私がAKさんの斡旋で名人杉原広一さんに作っていただいた
スギハラ・デンナーは、
とんでもない位すてきな音で鳴るのですが、
これを途中で弾くと、ボロのメックを使う気持ちが失せます。
デンナーをセーム皮に丁寧にくるんで、棚にしまい、
(つまり、リコーダーケースさえない)
メック一本で約1ヶ月練習を重ねてきました。

すると、不思議なことが起こりました。
メックのアルトはグレナデイラという黒く重い木でできています。
素人用としては、かなり上等な楽器なのです。
でも、ボーボーと空っぽみたいな音でした。
それなのに、だんだんと音が締まってきたのです。
私がリラックスして吹いているせいもあると思います。
使わないで乾燥しきっていたのに、
使って、段々と湿気が本体にしみ込んでいったせいかも?
小ホールとはいえ、コンサートホールにちゃんと音が通るのか、
どんな風に響くか、
まるっきり予断を許しませんが、
とにかく気持ちよく音が出せるようになってきました。

メックのソプラノはパリサンダーという軽めの木ですが、
こちらは美しい木目が出て、30数年も経つと、外観はかなり美しい。
でも、音はまだ軽い。
あと1ヶ月少しの時間があります。
ちょっとでもアルトの身の詰まった音に近くなってほしい。
そのためにも、ひたすら吹くだけ!

こんな風にして、親友のAKさんの評価では、
「箸にも棒にもかからない」「オリジナルとは似ても似つかない」
現代のコピーでも、私にちゃんと喜びを与えてくれること、
こんなささやかだけど、自分の身の丈にあった発見をする日々を
今送っています。

どうもいけませんね。
通人でもないのに、なにかと熱狂的に収集してしまうという、
弱いところがあるようです。
近頃では、クラシック萬年筆。
100本以上買いあさってしまいました。
結局分かったことは、本当に使いたいのは、そのうち数本だけ。
あとはどうしようもないコレクションを抱えてしまいました。
この数本だけ見つかっただけでも良しとすべきだ、
という考え方もあります。
でも、今更ながら遅いのですが、私は字が下手なのです。
下手が最高の書き味の萬年筆を使ったら、どうなるか?
下手な字が書けるだけ!
だから、使うことがほとんどないままに。

私は、字が下手なのに、文書をひたすら書く職業についていました。
そこで、文書作成のメカ探しに狂奔しました。
カタカナタイプライター、
巨大な邦文タイプライター、
業務用ワープロの草分け、文豪15D(150万しました)、
マッキントッシュSE30で生涯の方向が決まりました。
その後はずっとマックプロを幾度も買い換える人生。
字は下手だけど、タイピングは上手。
だから、生涯、字を書きまくってきました。
でも、肉筆はメモ帳にしか書かない人生ですから、
芸術的なビンテージ萬年筆も、今では、哀れ、鑑賞用。

第2の人生に入って、そんな贅沢は一切できなくなりました。
クラシックレンズも、百数十本集まってしまい、
私が使いきれない、私とは無縁の名器たちが
乾燥ボックスに空しく眠っています。
この分野では、すでに同種の決断を実行しています。

ニューレンズを買うのはよそう!
もうレンズ試写は、手持ちのお気に入りたちと、
宮崎貞安さんから依頼されるニューレンズだけに止めよう。

今朝、メックのグレナデイラで、
かなりやさしい3曲のバロック、ルネサンスの二重奏曲を練習して、
はっと悟りました。
自分がどの程度のものか?
この程度なんだ。
要するに、ただの素人なんだ。

AKさんは、ルネサンス楽器をオリジナルもしくは、
それに一番近い杉原さんのコピーで楽しんでおられる、
まさに通人です。
でも、今回の体験でつくづく悟りました。
そんな私が通人を真似してどうするの?
自分らしく生きなきゃ!!!!!

メックのグレナデイラ体験は私に貴重な決断をもたらしてくれました。
三流の楽器ですが、三流の人間にはこれで十分。
これでいいじゃないか!
もう最高のものを求めるのはやめよう!
萬年筆と一緒。
手に余り、実力を十分発揮することなどできないでしょう。
今あるもので、楽しむ、
それが賢明な人間のとるべき道ですね。

私は、いつも書いていますが、
「継続は力なり」を信奉する人間です。
山中鹿之助は、毘沙門天でしたか、神様の一人に、
「我に七難七苦を与えたまえ」と祈ったとか、子供の頃読みました。
私が祈るとしたら、
「我に決意を継続する力を与えたまえ」
これですね。

実は杉原さんには、
さまざまなリコーダーの歴史的名器のコピー制作をお願いしていたのです。
スティンズビーJr.のアルトリコーダー(異次元のサウンドなのだそうです)、
テルトンのソプラノリコーダー(ブリュッヘンがオリジナルを使っています)
ルネサンス時代のF管アルトの名器のコピー。

杉原さんはさまざまな分野のプロのために、
さまざまなお仕事をなさっている方です。
よほどの暇がないと、おそらく私以外の多数の方からも依頼がある
オリジナル名器のコピー作業にはかかれないでしょう。
だから、私の依頼ももちろん実現の可能性がかなり薄いものでした。
そうする間に、今回の悟り。
今はっきりと分かりました、
私には完全に過ぎた名器ばかりだ!

すでに作って頂いたデンナーで十二分に一生楽しめます。
メックのでたらめコピーでさえ、
たった1ヶ月吹き込むだけで、かなり化けてくれるのです。
スギハラ・デンナーは、入手以来どんどん音が変わってきました。
コンサートが終わって、デンナーに戻ったら、
きっとびっくりするほどよく鳴ってくれるでしょう。
メックでさえ、1ヶ月でかなりよくなるとすれば、
デンナーを10年使い続けたら、どうなるでしょう?
そう考えただけで、体がゾクゾクしてきます。
この喜びだけでも、人生の最大の贅沢の一つ。
(もう一つは、もちろん、ホロゴン!)

2016年9月26日、実に創造的な決断ができた、
私はそう確信しています。
狭い道は集中を高めるという意味で常に正しいからです。
善は急げです。
ただちにAKさんにこの決断をお伝えすることにしましょう。
「いつか本当に気が向いたときに、
デンナーのピッチ440用の換管だけはお願いします。
あとは全部、夢を見たと考えて、製作の依頼を取り下げます。」
そうお願いすることにします。

こんな風に書いていると、
だんだんと数日来ひいていた風邪が治ってきたみたい、
と言いつつ、せき込んでいる私ですが、気分は晴れ晴れ。
創造的な、そして自分にぴったり合った決断をしたときは、
いつもこんな風に清々しい風が吹きますね。

よし、午後は、心を澄ませて楽器を練習しよう。
実は、本日は午前中大阪で付虹先生のレッスン、
午後は大和西大寺で陳少林先生の揚琴伴奏レッスンと、
月2回の揚琴レッスンの梯子日だったのですが、
とてもそのエネルギーはないので、お断りしました。
幸い、揚琴、リコーダーともに、できるだけ脱力をして弾くべき楽器。
その点はすべての楽器に通じるでしょうけど、
ピアノ、トロンボーン、チェロ、いろいろな楽器は、
体力も絶対に必要ですね。
私は、かなり軽快に使える楽器で幸運でした。
まず最初に到来するのが、揚琴のコンサートなので、
まず、揚琴の練習、
その後で、今や愛器となったメックの2本で、リコーダー二重奏の練習、
その合間に暇を見て、ブログ。
こんなスケジュールで自宅静養をいたしましょう。

と、再び咳き込みつつ、ワクワク。




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# by hologon158 | 2016-09-26 17:07 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

659.03 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」3 目が合う限り

私の場合、玄関を出たらすでに撮影開始。
「ゆりかごから墓場まで」という言葉がありましたが、
私の場合は「家を出てから帰るまで」撮影。

「そんなこと、したくない!
という声が聞こえてきますね。
なぜか?
みなさん、写真のモチーフは被写体にあるとお考えだからです。
だから、それ自体がフォトジェニックな被写体を発見するのが、
写真家の勝負所なのだ!

私は写真家じゃりませんから、
フォトジェニックな被写体など無縁。
どんなものであれ、私だけを待っていてくれるものたちがいます。

あなたには恋人が居て、
事情があって数年会いたくても会えなかったとしましょう。
新宿の雑踏の中をいらいらしながら揉まれ揉まれて進んでいるとき、
数十メートル前方に彼女の姿!
どんなにたくさんの人が居ても、あなたは恋人に気づくでしょう。
彼女も気づきます。
「わっ!!!」
「キャー!!!」
二人は行く手を遮る人たちをかき分け、押し退け、
踏み倒しながら(は、しないか?)突進し、
ひしと抱き合うでしょう。

恋人に初めて出会うときも、同じです。
ああ、この人は僕のために生まれてきた!
ダンテとベアトリーチェとの出会いがそうでした。
私と妻との出会いがそうでした(おっと、これは余計か?)
とにかく分かるのです。
ダンテは、幸か不幸か、ベアトリーチェとついに結ばれませんでした。
私は妻と結ばれました。(おっと、また余計な!)

ロボグラフィたちとはまさしく一期一会。
その出会いは上記の出会いと一緒なのです。
恋人たちは心に銘記しますが、
ロボグラフィは名レンズたちが記録してくれるのです。
ロボグラフィたちとは、目が合う限り、全部、結ばれるのです。
応えられませんね!

これは傑作になる!
そんな気持ちが激しく起こらない限り、シャッターは落とさない。
そんな方が多いですね。
「写真は数じゃないよ」、そんな方はそうおっしゃいますね。
でも、私は別の「下手の鉄砲数撃ちゃ当たる」式を狙っているわけじゃない。
作品主義の方とはついに話が合わない、それだけですね。
だから、棲み分けしています。
写真家は私のような素人写真のブログには来ません。
私も参りません。
写真を見るなら、カルティエ=ブレッソンやエドワード・ウェストンの方がいい。

なぜか大好きな人たちのブログに通っています。
素敵な写真を撮る人もいれば、そうでない人もいます。
ほとんど携帯で見ていて、コメントはほとんどしないので、
私が通っていることは知らない人も多いでしょう。
向こうが私を好きとは限らないからです。







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# by hologon158 | 2016-09-25 23:46 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

659.02 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」2 火星探査


今回はまともな人なら絶対に近寄らないテーマを採り上げます。
火星には生命はあるのか?

NASAは2012年火星に探査機Curiosity roverを送り込みました。
NASAがこの探査機を火星に送り込んでなにをしようとしているのか?
NASAは火星でなにを知りたいのでしょうか?
ウィキペディアによれば、
「過去と現在の火星における、生命を保持できる可能性について調査する」
これがどうもよく分かりません。
あまりにも漠然とし過ぎています。

念のために書いておきますが、
NASAは科学研究機関ではありません。
国防相に所属する国防を主目的とする機関なのです。
だから、探査結果を国民に、まして世界に
正確に報告する義務などまったくありません。
月探査も火星探査もその唯一無二の目的は
合衆国の安全と繁栄のために月や火星を調査しているだけ。
もしNASAが純粋な科学研究機関であり、
あなたがその最高責任者であるとしたら、
あなたは月や火星の探査でなにを知りたいですか?
実に簡単明瞭ですね。

①地球外生命の有無
②地球人による活用の可能性
③宇宙論、生物学等あらゆる学問の比較研究資料の収集

じゃ、どんなところを探査するか?
私が選ぶとすれば、次の3地域。
①水のある場所
かなり大きな水面が何カ所か見つかっています。
一番生命探査に適しています。
②シドニア地区
人面石で有名な地域です。
人面石についてはまだ議論が続いていますが、
楕円形のマウンドに乗っていること自体が自然説を困難にしています。
さらに、研究者たちがピラミッド群を見つけ、
有意な幾何学的配置を見つけだしています。
③地下口
おそらく何百キロに渡り、緯度線に沿って、
ずらりと地下への入り口と思われる四角い開口部が並んでいます。
グーグルマースで確認できます。
荒野にポッカリと口を開けている光景は実に不思議、と言うより、
奇怪な光景です。
キュリオシティが入っていけるような平坦なトンネルはないかもしれませんが、
入り口の構造や周辺部の状況を調査する価値はありそうです。

じゃあ、キュリオシティはこんな場所を探査しているか?
いえいえ、独自のプログラムに基づいて、荒野をやたら走り回っています。

NASAのサイトにその写真が次々と発表されています。
熱心な好事家たちが、火星人の遺跡、異物を探して、
まさに鵜の目鷹の目で精査して、
その結果を次々とYouTubeにアップしてくれています。
これが実に面白い。

NASAのサイトに自分でも行って確認したのですが、
公開写真はかなり精度を落としてあります。
少し拡大しただけでも、ディテールがぼやけてしまうほど。
大げさに言えば、塵一つだって検出できるほどに超高精密画像のはずなのに。
つまり、NASAは精密な情報など部外者に提供するつもりがないのです。
(ついでに言えば、我が国の月面探査写真もほとんど公開されていません。
国民の税金で撮ってきた調査結果を公表しない?
なぜなのでしょう?)

ところが、そんな画質を大幅に落とした写真でも、
自然にできあがったものとは思えないものが次々と見つかっています。
妻は、そんなものはみんな面白半分の加工だと主張しますが、
真面目な研究家は元写真のURLをきちんと付記していますし、
多くの好事家たちが同じ画像を使った記事を発表しているので、
キュリオシティの写真であることは疑いがありません。

太陽系に関する研究書を読みました。
いつの頃か不明ですが、火星の南極付近に巨大な彗星が2個相次いで激突し、
火星全体の地殻を激しく突き上げる衝撃を与え、
火星の球体は北極方向に盛り上がるほどにいびつに変形し、
大地の形状すべてが破壊され、大気も劇的に吹き飛ばされてしまい、
大地を覆っていた海も巨大な津波を起こし、
大地震と相まって、地表の自然を破壊しつくした結果、
現在のように、全土が荒涼とした砂漠、荒れ地になってしまったのだそうです。

キュリオシティの写真がそれを物語っています。
地球の地層なら、断層、破砕がない限り、どこに行っても、
大地は層状に堆積しています。
ところが、火星の地表面は津波と台風と地震によって、
文字通り砕かれてしまった、という感じ。
現れている地層もずたずたにちぎれ、
なにもかもが無秩序に散乱して大地を埋めています。
水もないのに、大地がこんなにばらばらに壊れてしまうのでしょうか?

ところが、面白いことに、NASAの最新の画像の一つなど、
その壊れた地面にかなり壊れた状態ではあっても、
しっかりと石塀が「コ」の字形に立ち並んでいます。
こんな形状が自然に形成されるメカニズムをご存じだったら、
地球上に同種の自然地形があることをご存知だったら、
是非教えてください。

アブ・シンベルの崖に刻まれた大神殿の像とそっくりに、
断崖の狭間に神像のようなものが3体も刻み込まれた写真もあります。
妻が手に入れた学研の図鑑「宇宙」にまさにその断崖写真が掲載され、
小さいので画質は充分ではありませんが、
狭間の神像の頭がちゃんと見えています。

    NASA Rover finds Egyptian Statue on Mars?!
    (https://www.youtube.com/watch?v=MvOWnkJHHBI)

自然にこのような形体が生み出されるメカニズムがあるのでしょうか?
私には誰かが崖を切り込んで、削り出したとしか考えられません。
これまでYouTubeで発表されている情報を総合すると、
なんとも奇妙な文明なのです。
地球人ととてもよく似た風貌、体型の人たちが、
地球のエジプト、ギリシャ等の古代文明とかなり似た、
彫像、彫刻を装飾に多用する遺跡を残しているようなのです。

キュリオシティのオリジナル画像だともっと鮮明で、
自然物か人工物かは一目瞭然の筈です。
NASAは超精密のオリジナル画像を精査して、
火星の生命の有無、文明の存否をすでに確認し終わっているはず。
でも、オリジナル画像は公開しないし、NASAの研究結果も絶対に発表しない。
なぜか?
これらの奇妙な形状のものたちが自然に生成したものであるなら、
公開をはばかる必要がどこにあるのでしょうか?
「皆さん、根も葉も憶測をしておられるけれど、全部間違い。
さあ、精密画像をご覧なさい。
そんな憶測はなんの意味がないことが分かりますよ」

でも、知性ある存在による加工物だとしたら、
火星は大変な可能性と潜在的な富の宝庫だと分かります。
火星は知性的な文明を生むほどに豊饒の資源に満ちているのです。
もし火星に文明があったとしたら、
遺物からあらゆる種類の軍事用資源が発見されるかも知れない、
となると、どんな情報が今後重要性を帯びるか、予測不能。
とにかく、NASAだけの秘密としておこう、
NASAがそう考えるのが自然ではありませんか?

昨年でしたか、NASAが新種のスペースシャトルの飛行実験をしました。
ネットニュースで見ました。
職員が誇らしげに「今回のシャトルには特別の被覆を装備しているので、
ヴァン・アレン帯を安全に抜けられかどうかをチェックするのが目的だ」
アーレーレー?
「アポロたちはそんな被覆のない小型軽量のスペースシャトルで、
ヴァン・アレン帯を突っ切って何度も何度も往復したじゃないの?
乗組員たちには一人として放射能汚染の重大な結果は出ていないから、
ヴァン・アレン帯は依然喧伝されていたような汚染の危険は
ぜんぜんないと証明ずみなんじゃないの?」
事実、そのような学説がネットでは見つかります。
「人体には危険はない程度である」
それなのに、特別の被覆を装備したスペースシャトル?
どうもNASAのやることって、
徹頭徹尾、信用できないという感じがしませんか?

でも、NASAは必死なのです。
月面着陸がフェイクであったとする説がさらに信憑性を高めるとしても、
火星に人間を送り込みたい、真剣な動機があるからではないでしょうか?




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# by hologon158 | 2016-09-24 16:49 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

659.01 ホロゴン外傅176「2016年9月10日ペラール17.8㎜に奈良町を任せてみた」1 ウルトラワイドペラール



宮崎貞安さんの最新作レンズ、
ウルトラワイドペラール17.8mmF4.5。
今度は奈良町での試写分をごらん頂きましょう。

私の-1.5設定はまずかったようです。
みんな、真っ暗!

たいていのデジタル写真家はニュートラル、RAWで撮っておいて、
現像ソフトで思い通りに仕上げるのでしょう。
私はJPGで撮ったままを原則としているので、
最初から露出補正をしています。
どうも私のフィルム時代の感覚はデジタルには合わないようです。

でも、実はこんな暗い写真が自分の好みなんだから、
これを変えるつもりもないのですから、
宮崎貞安さんにはちょっと申し訳ない感じ。

不思議です。
ホロゴン15㎜F8とはほとんど違わないはずなのに、
どちらかと言うと、21㎜レンズの感覚で撮れます。
ホロゴン15㎜F8よりも遙かに使い勝手がよいニューレンズ、
そう評することができそうです。





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# by hologon158 | 2016-09-23 12:02 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.06 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」6-完-一人称



言葉って、どうやって生まれたのでしょう。
聖書には、「始めに言葉ありき」とあります。
近頃、私の孫プリンセスの言動を通じて、
感じることがあります。
どうやら、言葉が生まれたのは次の2つの条件がそろったからではないのでしょうか?

① まず、自他の区別ができるようになったこと。
このことと、自分自身を確立することは鏡の両面のようです。
② 集団生活をするようになって、集団の協力関係を築くために、
お互いに認知し合い、理解し合う必要が生まれたこと。
この2つの条件が組み合ったとき、
第一人称、第二人称、第三人称の区別が明確になったのでしょう。

たとえば、「私とあなたと一緒になって、あいつをやっつけよう」
「私がこちらから、あなたがあちらから、あの鹿を同時に倒してしまおう、
そしたら、あの鹿も逃げられないだろう」という風に。

4歳の孫プリンスのピアノレッスンの往還のおしゃべりは、
私の近頃一番の楽しみとなっています。

この孫プリンスも第一人称を学んでいる最中のようです。
「運動場で遊んでたら、また...君が頭叩いた」
「で、どうしたの? 叩きかえしたの?」
「そんなことしないよ。
先生に言っておいた」

プリンスは生涯けっしていじめっ子にならないでしょう。
私がそうだったからですが、
理由なく人を叩いたり憎まれ口をきいたりするのは、
なにか性格的もしくは家庭的に問題を抱えていて、
それを自力で処理解決できないために、
このような形で転嫁するようになると考えられます。
問題を抱えて、同じような形で処理する親を見習っています。
孫プリンスには、これまで通りまっすぐに育って、
まっすぐに生きて欲しいものです。

「ムカデみたいなのが保育園に出てきたよ」
「ヤスデじゃないの?」
「ヤスデじゃないよ。ヤスデだったら、おれも触ったよ」
たいてい何でも知っています。
そして、「おれ」と誇らしげに一人称を使えるのが最近の自慢。
(庶民の町なので、「ぼく」を使う子はいないのです)
「ムカデも出てきたよ」
「ムカデは害虫じゃないから、触らなければなんにも問題ないよ」
「害虫ってなに?」
「人間に悪さする虫のことだよ」
「そう言えば、先生がそう言ってたよ」
「ムカデが出てきたら、タオルをフワッとかけたらいいよ。
そうしたら、ムカデはタオルにしっかりつかまるから、
そのまま庭に出ていって、タオルを振って落としたらいいよ」
「そうかあ。ママがやってたよ」
(ママは私の直伝です)

「昨日、....が飛んできたよ」
私の聞いたことのないトンボの名前です。
「ふーん、赤トンボも来る?」
「来るよ。....は赤トンボの一種だよ」
私よりも詳しい。

映画の話も。
「ナイトミュージアム2、また見たよ。
おもしろかったよ」
前には、「2回見たけど、最後の方がむちゃくちゃになって、
あんまり」と言っていました。
基本的に大きな子供と大人向けの映画です。
分かるわけがないうえ、第一作も、ラストがアメリカ映画らしく、
おもちゃ箱をひっくり返したようなカタストロフィだったのですから、
若干想像力が二番煎じになってしまう2作目はもっとひどかったのでしょう。
でも、見直してみたら、そのあたりもなんとか消化できたらしい。

ちゃんと映画の作りも説明してくれます。
「ミュージアムのみんなも一緒に引っ越すんだよ。
第26代大統領セオドア・ルーズベルトも、ティラノザウルスも」
「エジプトの王様いたね」
「アクメンラーも引っ越すよ。
第26代大統領セオドア・ルーズベルト(常に称号つきで、省略しません)が
望遠鏡でのぞいていた....(開拓時代の偉大なネイティブアメリカンの女性)も引っ越すよ」
(私の方が覚えきれない)

それから、ちょっと記憶が欠けている部分も白状します、
「それから、剣をもっている人いたね、誰だったかなあ」
しばらくして、思いだしました、
「ああ、アッチラだ。アッチラも引っ越すよ」
「アッチラって、昔の王様なんだよ」
「そう? アクメンラーもそうだよ。
それに、第26代大統領セオドア・ルーズベルトも王様だよ」
「ナイトミュージアム1」の中でそんなこと言ってたかな?
どうやら、大統領も国王も同じなんだと自分で考えたようです。

「なんだかノドが乾いた。
帰りにジュース買おうよ。
アップルジュース飲みたい」
これがレッスンの後の楽しみのようです。

ピアノレッスンの最初のご挨拶もかなり穏やかになってきました。
とてもはっきりと「よろしくおねがいいたします」と発音します。
先生が宿題に出していた課題を次々と復習していきます。
その都度即座に、プリンス、大きく瞳を開いて先生をまっすぐ見て、
「それ、復習したよ」
復習したかしなかったかがはっきり分かるので、
先生も教えやすいでしょう。

帰り道で、カメラを取り出して、歩きながら、
ロボグラフィを片手間にパチパチ。
「なんで写真撮るの?」
「おもしろいものを見つけたら撮ってるんだよ。
写真を撮るのが大好きだからね」
「ほかにどんなことが好きなの?」
このやりとり、大人と幼児の立場が逆転しているみたいですね。

この日の私のおみやげは新幹線特集の絵本。
数知れない型の新幹線がページを埋めています。
プリンス、すでにほとんど覚えていました。
私にはみんな同じに見えるのですが、
全部違って見えるようです。
指さして、
「82A型(うろ覚え)、...君が乗ったよ。
800B型(うろ覚え)、...君が乗ったよ。」
お友達と情報交換もし合っているらしい。
恐竜をありったけ覚えたと思ったら、
傍らでは新幹線もどんどん覚えてきたようです。
記憶力が猛烈に悪い私の孫とは思えないのですが、
プリンスの両親も私の妻もみんな何でも記憶できる能力があるようで、
私に似なくてよかった!

このピアノレッスンの付き添いは私の妻が言い出したことでした。
「わたしが責任持つから、ピアノはしっかりと弾けるようにしよう」
ところが、希代の多忙人間なのですから、たいてい都合が悪い。
どうやら、私が手足として、彼女の代理として付き添い、
妻がそれを監督することで、使命は完遂、ということになるらしい。
でも、毎回おしゃべrを楽しめるので、よしとしましょう。

一人称の話に戻りましょう。
孫プリンスの妹、孫プリンセスは2歳になる前から、
一人称単数を自分で発明しました。

普通幼児は他から呼びかけられる自分の名前で自分を呼称します。
「あっくんねえ」とか、「あやかもしたい」
ところが、孫プリンセス、自分のことは「とよ」と呼びます。
近頃は文法もしっかりしてきました。
「とよ、※※※(お兄ちゃん)と一緒に、そとに行く」
お兄ちゃんはちゃんと名前を呼び捨てです。

王様や殿様が「余は大義じゃ」とのたまわるのにちょっと似ています。
どうしてそんな一人称を作り出したか、両親も分かりません。
保育園のお兄ちゃんのクラスの子供たちも、
プリンスの妹が「とよ」と自称しているのを知っていて、
お兄ちゃんにもそう呼びかけます。
これは一人称を二人称に誤用しているということでしょう。

一人称単数を使うことと、主体として認識できることとが一致しているのか、
していないのか、分かりませんが、
孫プリンセスはすでに主体的に行動できます。

「トイレに行く」、突然言い出します。
おしめを自分で脱いで、私がトイレの扉を開け、
蓋を取ると、さっさと上って、ちょろちょろ。
トイレットペーパーをちぎると、さっと受けとって、自分で拭いてから、
トイレの横のステップに立ちます。
私がトイレの蓋をすると、さっと上って、右脇のレバーで水を流し、
手を洗ってから、下りてきます。
ママの話では、ときどきついでに顔まで洗うそうです。
これ全部(最後は除く)お兄ちゃんから学んだことです。

お兄ちゃんのできることはすべて自分もできるようにする、
これが全世界の妹に共通する基本ポリシーですね。
モーツァルトもジャクリーヌ・デュプレもそうやって姉を追い抜きました。
彼女の一人称がいつ「わたし」に移行するか?
これが楽しみです。
そのときは、お兄ちゃんに方を並べているかも知れません。





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# by hologon158 | 2016-09-22 23:20 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.05 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」5 ビオゴンで一回り


孫たちの保育園の祖父母会の続き。
祖父母会が午前11時15分頃終わってから、JR加美駅まで撮影。
持参したセットは、超ヘビー級レンズです。

   ツァイスのビオゴン21mmF4.5

マツバラ光機でMマウント改造版を入手したのは20数年前。
ムクの削りだしの筐体のレンズも重いけど、
その描写がまさに重厚。
ライカのスーパーアンギュロンに優るとも劣らないカリスマレンズ。
この21mmの両雄の運命は、ボディの優秀さで決まり、
圧倒的にスーパーアンギュロンの勝利に終わったようです。
でも、ビオゴンの描写力はときに鬼気迫るものを感じるほど。
レンズが優秀なことだけでは決まらないのでしょうね。

JR加美から普通電車で新今宮駅に移動しました。
今日は孫たちのママの帰宅が遅れるので、
私が夕食の買い物をしてから、
孫たちを保育園から引き取って帰ることになっています。
私がなにもできないでくの坊なら回ってこない役柄です。
できる男はつらい...

それまで4時間ほどあります。
新今宮の商店街に入り、
手近のレストランで昼食(貧弱だった!)。
商店街を最南端まで撮影してから、飛田新地を経由して北へ反転。
4軒ばかり例のお店を通りました。
昼日中なのに、玄関が華麗に飾られて、
美しい女性が美しく装って、老女にかしづかれて座っています。
以前見たときはそうでした。
でも、私は一度も視線をそちらに向けませんでした。
見ることができなかったのです。
なぜか?
あまりにかわいそうで。
生涯この種の遊びを体験したことがない私です。
ネット記事によりますと、
とても美しい女性たちが気軽に飛び込んで、
手っとり早く大金を稼ぐのだそうです。
でも、彼女たちは気づいていない。
泥田に足を踏み入れたら、足は泥だらけになります。
心に一生消せない泥を塗ることになるのに...
生活のリズムが狂って、借金まみれになってしまい、
そのまま夜の社会に住み着く羽目になりかねません。
社会そのものがどこか狂っています。
美女たちはそのあおりを受けてしまっている、
そんな感じがします。

午後1時に商店街内のちょっと大きな喫茶店で、
チョコレートケーキとアイスコーヒーを頂き、半時間休憩。
暇な老人たち(とくに男性)がシングルでやってきて、
ほとんどの席を占めて、スポーツ紙を読んでいます。
喫茶店でスポーツ紙、
家に帰ったらテレビ漬けじゃ、
アホになるよ、そう言いたいところですが、
日本の社会が、暗記勉強、選抜試験一点張りのシステムで、
自分の頭で考えない勤労者たちをわざと作り出したのです。
指揮するのは一部のエリート層で十分、
その他大勢は余計な思案などしない従順かつ勤勉に働きなさい、
というポリシー。

でも、団塊世代を通り越して、少子化時代になって以降、
この傾向は少し変わった感じがします。
オリンピックで活躍する人たちも、
自分の頭で考え、自分の人生を自分で作りだす創造的精神の持ち主たち。
この暗い時代に、若者たち、特に女性たちが
個性的で強靱な精神を持ち出しているあたりに、
救いの曙光が見えるのかもしれません。





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# by hologon158 | 2016-09-21 16:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.04 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」4 中国音楽コンサート



RJ先生のコンサート、最高でした。
定員250名の座席がほぼ満員となりました。
私たち夫婦の席は2列目の右サイドの通路側2席。
1列目が関係者用の空席だったので、
かなり近くで、邪魔もなく、ゆったりと演奏を楽しめました。

RJ先生が二胡を演奏したのは、
① 江河水
② 空山鳥語(ただし、高音二胡の高胡)
③ 「天空の城ラピュタ」より「君をのせて」
④ 「千と千尋の神隠し」より「いつも何度でも」
⑤ 二泉映月
⑥ 賽馬

①は二胡の名曲にして難曲。
弾くことはできても、新婚後ただちに徴兵された新郎が
戦地で世を去ったことを知らされたうら若い新婦の
悲痛、絶望を描き出すことはできません。
閔恵芬さんが若い頃から無比を誇った曲ですが、
RJ先生は、変化に富んだサウンドの豊かさにおいてはむしろ勝ります。
閔さん亡き後はRJ先生に及ぶ演奏家はあまりいないのでは?

②は本来二胡の曲なのですが、
RJ先生はさらに演奏の難しい高胡による演奏で、
二胡の演奏者たちをはるかに圧倒する超絶演奏。
他の演奏家の演奏は大変に巧い演奏だという印象。
RJ先生の演奏は、本当に深山幽谷に居て、
数え切れない種類の山鳥たちのさえずりに耳を傾ける気分を味わえます。
二胡で大家たちが弾く演奏とはまるで次元が違います。

⑤の「二泉映月」は先生が中国民族音楽コンクールで優勝した、
まさに曰く付きの得意曲です。
門付けでお金を稼いでいた、
いわば昔のストリートミュージシャンが作曲した希代の名曲です。
明日の希望のない人生の悲哀、絶望を浮かび上がらせる演奏ができる人は、
当然ながら、稀です。。
曲は幾度も幾度も同じテーマを繰り返します。
いわば、絶望の繰り言、独り言。
でも、繰り言も演奏も、同じ調子で繰り返すだけなら、
聴衆はあっと言う間に退屈しきってしまいます。
そうさせまいところに、演奏家の人間性、技量が出てしまいます。
圧倒的な演奏でした。

他の4曲は箜篌(くご)と呼ばれる中国ハープ、琵琶との合奏です。
この4曲で圧倒的に目立ったのは、
RJ先生の本当に美しく合奏しようとする姿勢でした。
RJ先生のような正真正銘の大家でなくても、
コンサートの中心となる二胡演奏家というのは、
「我こそはスターなり。他のみんなは私の引き立て役だからね、
いいね」式の自己中がほとんど。
最初から最後まで圧倒的に弾きまくります。
日本で圧倒的に人気の高い二胡奏者が男女各一人ずつ居ますが、
この二人がその典型です。
いつも同じ音色、ほとんど同じ音量でしか音楽が作れない。
私はこんな演奏を「丸太ん棒音楽」と呼んでいます。
バックグラウンドミュージックに最適です。
だから、喫茶店で流れています。
私が頭に来るのは、二胡をやる人でも、
このような人たちがトップの音楽家だと思っている人が居ること。
「せいぜい長生きしなさい」
そう言ってあげましょう。
音楽だけではありません。
写真で、芸術でも、政治でも、あらゆる分野で、
目立つ人がトップだ、という誤解が横行しています。
つまらない世の中だ、つくづくそう思います。

興奮して、書き落としそうになりました。
競演した箜篌の草分け的存在の奏者崔君芝さんも素晴らしい演奏家でした。
大中小3種類の中国ハープを弾き分けました。
ハープと違うところは、
弦が左右2列に並んでいること。
右手側はときにピック演奏をすること。
弦の張りがかなり強いらしく、
ハープよりもかなり固い音で、
中国琵琶、古箏に近い音楽になります。
かなり新しい楽器らしく、ときおり激しい打撃音が混じるのがちょっと難。
打撃音がまったくないアンコールの中国の民謡はとても美しい音楽でした。

驚嘆したのは、琵琶演奏。
ご自身が編曲して、有名なコンテストで受賞された「荒城の月」
琵琶の良さと曲の良さとが見事にマッチした名演奏でした。

東京との往還の新幹線のぞみ号はどちらも2人席を占領できました。
こんな旅なら、またやってもいいのですがねえ。

コンサートホールから最寄りの山手線の駅までタクシーを使いました。
「電車でもいいんだけど、乗り換えが新宿。
あのものすごい雑踏を見ただけで、ぞっとするんですよ」
道中こう言いますと、運転手さん、
「私もそうです。
昨日も、息子のところに孫を見に行くことにして、
駅まで行って、ホームの上って、やってきた電車の満員状態を見たら、
もうだめ。
駅員さんにちょっと用ができたのでって言って、
シーカをキャンセルしてもらって、
息子には、気分が悪くなったので行けないって、電話しましたよ。
吐き気がしてしまうんですよ」
私と一緒の人が東京にもいるんですねえ。
かわいそうに。
この人、5年前に北海道から移ってきたんだそうです。
とても当たり前の人でした。

という次第で、楽しい一日でした。
帰りの新幹線のぞみでも、窓際の空席の座席券をとりました。
14号車と、遙か後方の車両でした。
JR京都駅でのぞみの長大な車両の長さ+αを大急ぎで駆け抜けました。
そうしないと、近鉄京都線の特急に間に合わない。
その気分はまるで宙を駆けるようでした。
コンサートの興奮もありますが、もう一つ決定的な理由がありました。
その理由は近いうちに明らかにします。
皆さんにも関心のあるニュース。
乞うご期待!



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# by hologon158 | 2016-09-20 21:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.03 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」3 最高の女性たち

今でも韓流ドラマ一辺倒。
チェ・ジウ主演のドラマ「2度目の二十歳」を見終わりました。
かなりの視聴率を稼いで、
チェ・ジウさんは、トップスターの地位をさらに確立したそうですが、
ここだけの話、ハラハラドキドキもなく、キュンともならず、
韓流ドラマの存在を世界に広めた往年の名作たちとは比較にならないレベル。
彼女自身、渾身の演技とは言いがたい生ぬるい演技に止まっています。
それでも、最高!

韓流ドラマの水準がかなり低下した感じがします。
以前はまさに選り取り見取りで、傑作3に駄作、凡作1ほどの割合だったのに、
今は傑作1に凡作5ほどの割合に落ちてしまいました。
これからはよほど選別し、見落としている旧作も探す、
そんなスタンスに変わる必要がありそうです。

でも、そんな凡作でも、
ときどき娘の家で見る日本のドラマとは演技のレベルが断然違います。
韓流ドラマの演技者たちは腹の底から声を出しているのに、
日本のドラマの主演スターたちって、意地悪い言い方で済みませんが、
口先だけでぼそぼそ、表情は虚ろというレベル。
往年の俳優たちはちゃんと腹の底から声を出し、
完全に役柄になりきっていたのに!

「2度目の二十歳」のラストに出てきた言葉はよかった。

   「現在、今、この時間が贈り物なんだ」

私の大好きな感じ方です。
まさに一瞬一瞬が贈り物、
ああ、ありがたい!
こんな幸せなことがあるだろうか?
そう感じつつ生きたいものです。

この記事を私は東京行きの新幹線のぞみの中で書きました。
二胡の師匠、RJ先生が東京オペラシティでコンサートを開催されたのです。
何年前の北京コンサート以来です。
RJ先生、実は中国二胡の最高の演奏家の一人です。
大学に入る前に中国有数の国立北京電影楽団のコンサートマスターになり、
18歳で全国器楽コンクールの二胡部門で優勝し、
100を越える映画、ドラマの主題歌、背景音楽を独奏されました。
そのまま北京で活躍されていたら、
今頃、中国随一の大演奏家の地位を確立されたことは間違いがありません。
現在のトップ演奏家たちと比較しても、音楽のレベルがまったく違うのですから。

でも、北京中央音楽院を卒業されたのに、
音楽の基礎から勉強しなおすことを志し、
師匠である中国伝統音楽の最高の大家の一人劉明源先生の許しを得て、
日本に来て、芸大、東京音大の作曲科で作曲を学んだ後、
日本で二胡を教えることをライフワークとされて、日本に定住しています。
中国で二胡を教える先生の大半はろくに日本語がしゃべれないのですが、
RJ先生は日本語もほぼ完全。
心もまっすぐ。
まさに傑物です。

さて、東京に行く位で旅というのもおこがましい感じですが、
こんな旅でも、今の私には大旅行です。
昨年中国雲南省の秘境ツアーに参加して、
旅はもうこりごりという気分になってしまいました。
別に体がついていかなかったわけではありませんが、
私の写真スタイルが完全に日常のロボグラフィに定着してしまったので、
別に珍しい土地で写真を撮りたいという気持ちがなくなってしまったからです。

でも、バッグにはちゃんとカメラを潜ませました。
リコーGX-R
スピードパンクロ28mmF2
実質42mm準標準として使い勝手のとてもよいレンズです。
新大阪駅でのぞみの到着を待つ3分間に早速使いました。
美しい舞妓さんのポスター3枚を含めて、
ほとんど美女ばっかり。
(丁度、レンズ千夜一夜に記事を投稿しました)

それにしても、思いませんか?
このごろ、とてもスタイルの良い女性が増えましたね。
生活が現代化するにつれて、プロポーションが良くなっていくようです。
なぜなんでしょうね?
私の生活もかなり現代化した感じがしますが、
ぜんぜんプロポーションが改善されない。
なぜなんでしょうね?





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# by hologon158 | 2016-09-18 22:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.02 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」2 アホになるよ



No.657.06の続きです。
孫たちの保育園の祖父母会が午前11時15分頃終わってから、
JR加美駅まで撮影。
持参したセットは、超ヘビー級レンズです。

   ツァイスのビオゴン21mmF4.5

マツバラ光機でMマウント改造版を入手したのは20数年前でした。
ムクの削り出しの筐体のレンズも重いけど、描写がまさに重厚。
ライカのスーパーアンギュロンに優るとも劣らないカリスマレンズ。
この21mmの両雄の運命は、ボディの優秀さで別れたようです。
圧倒的にスーパーアンギュロンの勝利に終わったようです。
ビオゴンの描写力はときに鬼気迫るものを感じるほど。
でも、レンズが優秀なことだけでは決まらないのでしょうね。

JR加美から普通電車で新今宮駅に移動しました。
今日はママが受診する予約時間が遅いので、
私が夕食の買い物をしてから、
孫たちを保育園から引き取って帰ることになっています。
私がなにもできないでくの坊なら回ってこない役柄です。
できる男はつらい...
それまで4時間ほどあります。

新今宮の商店街に入り、
手近のレストランで昼食(貧弱だった!)。
商店街を最南端まで撮影してから、飛田新地を経由して、
北上。
4軒ばかり例のお店を通りました。
昼日中なのに、玄関が華麗に飾られて、
美しい女性が美しく装って、
老女にかしづかれて座っているはずです。
でも、私は一度も視線をそちらに向けませんでした。
見ることができなかったのです。
なぜか?
あまりにかわいそうで。
生涯この種の遊びを体験したことがない私ですが、
ネット記事によりますと、
とても美しい女性たちが気軽に飛び込んで、
手っとり早く大金を稼ぐのだそうです。
でも、彼女たちは気づいていない。
泥田に足を踏み入れたら、足は泥だらけになります。
心に一生消せない泥を塗ることになるのに...
社会そのものがどこか狂っている。
美女たちはそのあおりを受けてしまっている、
そんな感じがします。

午後1時に商店街内のちょっと大きな喫茶店で、
チョコレートケーキとアイスコーヒーを頂き、半時間休憩。
暇な老人たち(とくに男性)がシングルでやってきて、
ほとんどの席を占めて、スポーツ紙を読んでいます。
喫茶店でスポーツ紙、家に帰ったらテレビ漬けじゃ、アホになるよ、
そう言いたいところですが、
日本の社会が、
暗記一点張り、選抜試験一点張りのシステムで、
自分の頭で考えることをしない勤労者たちをわざと作り出したのです。
指揮するのは一部のエリート層で十分。
残りは、余計な思案などしない従順かつ勤勉な平社員で十分、
というポリシー。

でも、団塊世代を通り越して、少子化時代になって以降、
少し傾向は変わった感じがします。
オリンピックで活躍する人たちも、
自分の頭で考え、自分の人生を自分で作りだす
創造的な溌剌とした精神の持ち主たち。
この暗い時代に、若者たち、
特に女性たちが個性的で強靱な精神を持ち出しているのが、
唯一の救いかもしれません。




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# by hologon158 | 2016-09-18 11:04 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

658.01 ホロゴン外傅175「2016年8月13日郡山ならタンバールに任しとき」1 タンバール



現代超広角レンズの一つの極点を示したのが、
ウルトラワイドペラール17.8mmF4.5であるとすれば、
ライカがソフトフォーカスレンズの一つの極点を示したのが、
タンバール90㎜F2.2、そう言うことができそうです。

親友のDAさん、AKさんと大和郡山の旧市街を回りました。
東京に単身赴任中のAKさんが近頃よく参加してくれます。
以前は10人近く居た写真の仲間があれこれの事情で、
時折集まってもせいぜい6人でしょうか?
そんな中で、かなり勤勉に参加していただいています。
東京での日々の勤務、東京からの帰郷の負担を考えると、
ありがたいことです。
写真撮影が最上のリフレッシュ、人生の喜び、
そうお考えだからです。

私はタンバールをソニーα7に付けました。
一々ピントを合わせますので、他のレンズに比して、
撮影量が減るのは当然です。
この日は467枚。
絶好調と言うべきでしょう。
その半分ほど、243枚ピックアップしました。

ペッツヴァールとはひと味違ったソフト感は、
一種重厚なフレイバーを醸しだして、
このレンズだけにしかない威厳、
本ブログのタイトルロールレンズにふさわしい存在感を
感じさせてくれます。




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# by hologon158 | 2016-09-16 11:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

657.06 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」6 祖父母の会



かなり昔話。
9月1日木曜日、孫2人の保育園参観日でした。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に遊ぶ会。

えっ、私がおじいちゃん?
とんでもない。
まだ青年にちょっと毛が生えた程度ですよ。
でも、暇だったので(毎日暇)、出かけました。
100人を軽く超える子供たちがひしめきあっていました。
その前に小さな椅子が置かれて、
祖父祖母どもがずらりと並んでいました。
なんだ、これは?
30人もいないじゃないか?
ほとんど来ていない!

我が4歳のプリンスと2歳のプリンセスも居ます。
第一部は一番小さな2歳児クラスから各クラスの歌。
1曲目はかろうじて見られた姿も、
2曲目は友達の陰。
プリンセスは2曲歌ったら、さっさとさよなら。

お兄ちゃんの方はいつも一番前に出て、
華麗なアクションで楽しんでいるんだけど、
なんだか一番小さく、幼い感じ。
こんなかわいいのがいつかおっさんになる?
想像したくない!

第二部は、孫たちと様々の遊び道具に親しむ会。
折り紙、独楽回し各種、けん玉など。
私はまず独楽回し。
おもしろいのは、次々の子供たちが「教えて」とやってくる。
かわいいですね。
子供たちに教えて以来です。
でも、やってみると、できるものですね。
子供たちのために紐をかけるのが忙しい。
投げ方を教えるのはさらに難しい。
でも、おもしろいですね。
コマを回すスペースに同時に数個いつも廻っているのです。
自分でさっさと見習って、ちゃんと回すのがいる!
すごいですね。

最後にお片づけをしてから、椅子をずらりと並べて、私たちが座る前に、
年長組の2組の子供たち60人ほどがずらっと並び、
ピアノ伴奏で「上を向いて歩こう」を
大迫力で合唱してくれました。
間奏も夾んで4番、立派に歌ってくれました。
みんな覚えているのです。涙がこぼれそうになりました。
孫たちはもちろんですが、この子供たち全員が立派に育って、
しっかり生きていってほしいものです。

先日、小学校6年の同窓生が訃報をメールしてくれました。
私はたった2学期一緒だっただけなので、
なくなった方のことをぜんぜん覚えていません。
20年間膠原病で苦しんだ果てに、
いわば天寿を全うせずに、世を去ってしまったそうです。
こちらは病気一つせずに、まだピンピンしている上に、
ご本人を思い出せないのは、かなり申し訳ないという気持ち。

保育園の各クラス30人ほどの子供たちは、
自然環境も社会環境も加速度的に悪化しつつある現代に、
今からどんな人生を歩むんだろう?
ものすごく心配になってきます。

それにしても、私は幸運そのものの人生を送らせてもらっています。
病気らしい病気を一つもせず、
入院したのは検査入院たった1回だけ。
思う存分やりたいことを、人に気兼ねなく楽しみ続けて、
今はさらにその楽しみがどんどんと増えている。
贅肉もなく、お腹も出ず、いくらでも歩けて、よく眠れてと、
道長ばりに「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」
と歌いたくなりますが、
もちろんそんな良いことが永遠に続くわけではありませんね。
道長も晩年は悪いことばかりでした。
最後の最後まで幸せな人も居ますが、
そのような人はいわば宝くじを生涯にたった1回1枚だけ買ったら、
1億円が当たってしまった人のようなものです。

多くの知識人が晩年来世の報いを約束する宗教に入信してきましたが、
これも一つの対処法でしょう。
たとえば、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドも、
第一次世界大戦で愛する息子を失った後、
妻の信仰していたカトリックに帰依したのもその一例のようです。
私はどうもその道を選択する可能性はなさそうです。
超越者の存在を信じることができないので。

もう一つの方法は「明日に向かって撃て」で主人公二人、
ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドが採った道、
やりたいことをやりまくって、若くして派手に死んじゃう、
この方法も絶対に採用したくない。

とすると、残された可能性は、
今後どんな不幸に見舞われても、
不屈に耐える強靱な精神を鍛えること、
これしか対処の方法はありませんね。





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# by hologon158 | 2016-09-14 02:28 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

657.05 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」5 リアルアート


近頃のアート事情などまったく不案内ですが、
先頃書店で見つけた本には驚きました。
題名は忘れました。
リアルアートが入っていたかも知れません。

絵画なのですが、まるで写真に撮ったようにリアルなのです。
大げさに言えば、毛穴の一つ一つ、産毛の一本一本まで描かれて、
その場にいるかのような姿。
モデルはたいてい若く美しい女性たちです。
おっさんをリアルに書いても、誰も見る気になりませんからね。

でも、この女性たち、美しいけど、個性がまるで感じられません。
偉大な画家たちが描いて来た女性たちはそれぞれに人生があり、
精神があり、さまざまな感情があり、苦悩とか驚きとか、
まさに描くに値する体験を生きる瞬間のイメージ。
いわば「描くに値する人たち」でした。
でも、この画集の女性たちには、そんな体験も情感も感じられない。
そうなると、ただ外観を描いただけじゃないの?
これじゃ、写真で十分じゃない?
こんなに苦労して、ここまでリアルに描けますコンテストしたって、
意味がないじゃの?
どうも納得できないのです。

磯江毅というリアルアートの草分けの画家がいました。
この人は違いました。
しっかり鉛筆のデッサンで超リアルなヌードを描き出して、
圧倒的でした。
でも、カラーで描くと、ただの風俗絵にしか見えないのですから、
不思議です。

自分の勝手知らない分野に口出しする危険を先頃書いたばかりで、
こんなことを書くのはどうかと思いますが、
誰も読まないので、平気で書きます。
実物を見たら、また違うのかも知れません。
磯江毅さんの絵は、回顧展は拝見して、圧倒されました。
この画集の作品も美術館で見たら、また違う印象かも知れません。
でも、どうも、リアルアートの方向性がおかしくなっているのでは?
そんな感じが拭えません。
以前から実物そっくりに描く画家は居ました。
19世紀半ば以降のこうしたリアルアートへの批判の骨子は、
そんなにリアルに描きたかったら、写真を撮ればいいじゃない?
アートの本質は超越であり、メタモルフォーゼであるからです。
磯江毅さんのモノクロ鉛筆画にはこの両方がありました。

カラーの美人画にはこの両方がありません。
ただ思いつきと優れた技術があるだけではありませんか?
モデルが居るのか居ないのか、分かりませんが、
描かれた女性がただの現代美女でしかなく、
そんな女性からは、私たちの心に大きな感銘を与える、
深い思いも情感も人生もなにも感じられません。
ちょっと意地悪い表現をお許し頂くことにして、
「ふつうの女の子だって、なにかがあるものだ。
でも、これらの絵のただ美しく装って、
美しい表情を浮かべている女性たちにはなにもない。
ただのモデルでしかないじゃない?」

ムンクの「叫び」の女性がただの美しい現代女性だったら、
あれだけの衝撃を当時の人に与え、
現代の人にも与え続けることなどなかったでしょう。
なにか分からないけど、巨大な恐怖と不安と怖れと絶望が
女性をこれほどまで変貌させたのです。
恐怖と不安と怖れと絶望を描くことが目的だったのではなく、
名状しがたい、ありきたりの言葉では言い表せない、
そして、解決、救済、緩和の可能性がまったくない、
どん底の精神状況を視角化したのがこの絵だったのでしょう。
見る人はあたかも彼女と同じ密室に二人で閉じこめられている、
そんな感じさえ抱かせるのがこの絵です。
これが「アート」です。

現代のリアルアートはアートでもなんでもない、
「現代絵画技法練習帖」ではありませんか?
画家の皆さんに声をかけるとしたら、ただ、
「ご苦労様でした」




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# by hologon158 | 2016-09-13 17:23 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

657.04 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」4 大物狙い


写真の撮り方は多種多様、人それぞれですね。

   定点観測
   大物狙い
   一点至上主義
   作品がすべて
   初めにコンセプトありき
   行きあたり、ばったり
   ところ嫌わず

大判カメラ使用者には大物狙いが多いようですね。
ばりばり撮ってたら、お金がいくらあっても足りない、
ほどではないでしょうけど、
大判ポジでゴミみたいな写真を眺めるときの味気なさに
耐えられる方も少ないでしょう。

シートン動物記に「峰の大将クラッグ」という名作があります。
中学1年生のときに読みました。
余談ですが、ここで思いだしました。
全然美しくないのに、立ち居振る舞い、心映えが万事華麗なので、
颯爽として、どこに居ても「はきだめの鶴」に見える、
同級生の女性がいました。
彼女はスタンダールの「赤と黒」を新潮文庫で読んでいました。
私はシートン動物記です。
かなり遅れていたようです。
だからと言って、無理をして「赤と黒」を読む、
なんてかわいいところがないのが私です。
人がやるから、自分もする、ということは子供の頃からしません。
むしろ人がやることはしたくない。
でも、子供の頃やりたいと思ったことは、
大人になってもやりたいものです。
今でも「大草原の少女」とか「飛ぶ教室」を読んでいます。
つまり、全然成長しなかった!

「峰の大将クラッグ」に戻りましょう。
かなり前に書かれたヘミングウェイの名作、
「老人と海」に影響を受けているかも知れません。
作品を構成する本質的ファクターがほとんど共通しています。
「老人と海」の山岳版という感じ。
漁師が一頭の鹿を殺して丸ごと薫製にして、
毛布に包んで、馬の背にしばりつけて、出かけます。
日頃狙っていた大角ヒツジの超大物をしとめる決意を固めて。
首尾よく発見して、一発命中させます。
でも、クラッグは負傷もものともせず逃走します。
漁師は辛抱強くどこまでもどこまでも、
わざと姿を見せるようにして追跡します。
クラッグはどこまでも逃げ続けます。
でも、食事ができないので、次第に飢餓でやせ衰え、
彼の誇りであった巨大な角の重みがずっしりとのしかかってきます。
でも、逃げ続けます。
漁師は薫製肉を頼りに、でも、こちらもよろよろと追い続け、
ついに我慢比べに勝って、しとめるのです。

この本を狩人の立場に立って見る人も居れば、
クラッグの立場に立ってみる人も居るでっしょう。
私は常に弱者、少数者に共感して生きてきました。
だから、この本を2度と読む気にはなれませんでした。
でも、クラッグのことが忘れられない。
義経や龍馬と同じ境涯だからでしょう。

でも、大物狙いの写真家にはかなり参考になる文学です。

   正しい準備
   正しい予測
   辛抱強い待機
   貫徹する意志力
   みんな共通しています。

この狩人に近い撮り方をした人にアンセル・アダムズが居ます。
屋根に撮影用のプラットホームを付けたサファリカーを駆って、
至高の景観を求めて、無人の大地を幾日も駆け続けました。
「セントウィリアムソン山」の超巨大画像をご覧になったことがありますか?
私は見ました。
京セラの稲森さんが購入して、
京都現代美術館に寄贈したギルバートコレクションに、
至高のオリジナルプリントがあります。
神様が生き物を創造しようとした瞬間、
こんな無人の光景を前にしていたんじゃないか?
そんな感じさえします。
大物狙いの写真家たちなら、
羨望と憧れの気持ちいっぱいにただ呆然と眺め続けるしかない、
そんな至高の名作です。

でも、そんな光景に出会うために、
どれだけの心と時間を使うのでしょう?
私は最初の最初から「行きあたり、ばったり、ところ嫌わず」組。
どんな風にかは決まっていない、
とにかく「いいっ!」、そう心にビビッと来たら、
シャッターを押して、どんな風に撮れたかを
モノクロプリントに引き伸ばして眺めるのが喜びでした。
視覚の遊び、認識力テストのようなものです。
ネガカラーになっても、デジタル写真になっても、変わりません。
私の2つのブログに並んでいる写真は全部この種の写真です。
コンセプトと撮影意図も意味もなにもありません。
シーザーの名言「ヴィニ ヴィディ ヴィキ」にならって、
「来た 見た 撮った」、ただそれだけ。
シーザーの通信文には強烈な自負と誇示があります。
私のは、ひたすらシンプルな事実報告。
写真家はほとんど私のブログに来ないのも無理がありません。
写真が意味不明なのには、いらだつし、
枚数をいちいち書くのも、彼らには不可解、不愉快でしょう。
「写真は数じゃない!」
私は、
「写真は数だよ。出会いの数なんだから」
犬が西向きゃ、尾は東。
ま、自分で「尾」と分かっているのがおかしいですね。
分を知っている人間なのです、私は。




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# by hologon158 | 2016-09-12 23:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

657.03 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」3 高大夫の法力



人は知らないことに口を入れるべきではありませんね。

以前に新薬師寺本堂の脇侍の配置のことで、
ちょっと意見を書いたことがありました。
ご本尊の薬師如来像は、
両脇に侍立していた日光、月光菩薩を失って、
両脇がごっそり抜けた状態なので、
本来ご本尊を護持すべき十二神将たちがご本尊からずっと離れて、
しかもそっぽを向いている現状では、
いかにもご本尊が心細げの感じがしたので、
十二神将たちをご本尊の近くに寄せたらいいのにな、
と書いたのです。

数日前、「今昔物語」巻三十一の第三を読んで、
とんだ素人の差し出口だと悟りました。

文徳天皇の御代に実在した
湛慶阿闍梨という僧侶のお話。
第三代天台座主の慈覚大師の弟子だったのですが、
阿闍梨という称号は密教の奥義である真言を極めた人に
与えられる称号ですから、傑出した名僧だったのです。
でも、真言を極めただけだったらよかったのですが、
「内外の文道に足れり。また、藝極まりなかりけり」
仏教以外のさまざまな学問、教養を深く修めただけではなくて、
藝の道までなんでもござれだった!
ダ・ヴィンチ風の天才だったのでしょうけど、
簡単に言えば、好奇心旺盛で、遊び好きだった!
こういう人には起こるべきことがちゃんと起こますね。

当代の権力者藤原良房が病気となって、
快癒祈願の祈りのために、お屋敷に招かれました。
湛慶が当時屈指の名僧と認められていたことが分かりますね。
でも、良房邸滞在中に女官とできてしまうのです。
名僧が女性に迷う!
良房公も慈覚大師も「アチャー!」と手で目を覆ったことでしょう。
その後もそうしたことが絶えず、結局還俗させられて、
元の姓である高向タカムコに戻り、公輔キンスケと名乗ったので、
「高大夫コウタイフ」と呼ばれて、宮廷に仕えて、従四位まで至って、
讃岐の守にもなって、お金持ちになったそうです。
でも、能力相応には出世できなかったようです。
手枷足枷の僧侶の身分を離れて、諸藝を楽しむのに忙しくて、
宮仕えなんかほどほどにしたのでしょう。
なんだかとっても分かりやすい人で、
私にはとても共感できて、好感が持てる人です。
女遊びは別ですが。

ここからが本題。
当時あった極楽寺というお寺に、
金剛界、胎蔵界の両界の木造がたくさんあったそうです。
どれだけあったか、どうもよく分かりませんが、
この木像たちがなぜか沢山安置されていたようです。
正しい順序出並べたいと、密教僧を幾人も招いたのだけど、
諸説ふんぷんで、決着がつかなかったそうです。

高大夫、これを聞いて、極楽寺に足を運び、
両界の仏像たちを点検して、
「全部間違っています」と言って、
「この仏はここ、あの仏はあそこ」と指し示したところ、
仏像たちは、誰の手も借りずに、
高大夫が指定した位置に自分で収まってしまいました。
高大夫が極楽寺に行くと聞いて集まった沢山の見物人たち、
涙を流して喜んだそうです。
女性に溺れてもなお聖人だったのかもしれません。

このお話を読んで分かりました、
仏様たちにはそれぞれに安置されるべき位置があるのですね。
新薬師寺の薬師如来様とその脇侍たちにも定まった位置があって、
勝手にずらしてよいものではないのかも知れません。
そんなことも知らないで、勝手放題のアイデアを
平気で書き散らしたのかも知れないと気づいて、ちょっと冷や汗。

でも、ここまで書いて、ふっと気がつきました。
それじゃ、奈良のお寺さんたち、いったい何をしてるんだ?
勝手に国立博物館や自前の博物館に最高の仏様たちを移しちゃって、
それでいいの?
安全な博物館設備に移して守るなんて言いつつ、
本来の居場所から宗教施設ではない建物に移された仏様たちの
身になって考えたことがあるの?
御移り頂くときにしかるべき儀式を行ったから問題はないのだ、
そうお寺さんたちはおっしゃるでしょうけど、
本音は観光資源としての有効利用にあるんじゃないの?
そう言いたくなりますね。




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# by hologon158 | 2016-09-11 12:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

657.02 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」2 鉄壁のシフト



8月27日土曜日、
近鉄京都駅午後6時発の近鉄奈良駅行き特急の2号車定席に収まりました。
ビスタカーと言って2階建て車両の2階のロマンスシート左側窓際。
できるだけ見晴らしがよく、
西日にさらされないで、
しかも背後の席に殺し屋が来る余地を少なくしたいとすると、
これが最上。
えっ、あんた、殺し屋にねらわれるほどのVIPなの?
もちろんですとも!
私が亡くなれば、この世は闇ですよ。
だから、この世のためにも、用心しなくちゃ!

まだ午後4時なのに、
海苔明太子弁当とスーパードライをいそいそと購入。
店員、「お弁当、あたためますか?」
私、「もちろんですよ。ただし、ビールはあたためなくてもいいからね」
なんだかご本人いそいそしていますね。
実は妻が旅行中。
こんな日は夕食を作るのも面倒。
それに炎天下歩き回ってきたので、
特急の中でいただくのが最善の策です。

特急の前の二人席の背にもうけられたテーブルを二つとも引っ張りだし、
右テーブルにお弁当とスーパードライ、
左テーブルにPomera。
鉄壁のシフトですね。

外野席:しかし、消化に悪いし、
第一、なにを食べてるか分からなくなるじゃないの?
何度も書いていますが、私はグルメじゃない。
「おなかが空いたときに食べるものが一番のごちそう」
今もちゃんとおなかが空いていますので、
コンビニのお弁当でも、猛烈においしい!
ポメラで作文してもいても、おいしいものはおいしい!

私の体は極々貧弱だけど、とてもよくできています。
どんな風に食べてもちゃんと消化してくれます。
病気らしい病気をしたことがない、これは母親譲りです。
ただし、母親はアルツハイマーになりました。
私はなりません。
なぜ?
私がならないと言っているのだから、間違いがありません。

そして、Pomeraで文章を打てば、
もうなにをしていても、パラダイスです。
Pomeraで文章を打っても、アルツハイマーになることを防げません。
大体、なぜアルツハイマーになるのか?
まだ分かっていないんじゃないでしょうか?
でも、Pomeraで打っている文章が意味不明になったら、
アルツハイマーか老人性痴呆を疑う余地が出てくるでしょう。
それに、もしかすると、ポメラはアルツハイマー予防に効くかも知れない。
外野席;そんなたわけたことを言ってると、もうれっきとした痴呆だあ!
私;うるさい!





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# by hologon158 | 2016-09-09 23:47 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

657.01 ホロゴン外傅174「2016年9月7日ウルトラワイドペラール奈良町初見参!」1 ウルトラワイドペラール


ウルトラワイドペラール17.8㎜F4.5

こんなレンズの名前を聞いたことがおありですか?
現代版稀少レンズの制作者として今では世界的に有名な、
宮崎貞安さんのニューレンズなのです。

9月6日届きました。
塗装、刻印のないプロトタイプ。
早速7日に500枚少し試写し、
まず、「レンズ千夜一夜」に試写例を掲載しました。
レンズの説明も一通り記載してあります。
絞りの比較例も掲載しました。

氷室神社の蓮池。
開放でも見事ですが、四隅がかなり減光しています。
F5.6に絞ると、かなり軽減され、
F8ではわずかにさらに明るくなります。
たった4枚玉で約18㎜の超広角をカバーしようというのですから、
無理のないところですが、
私にはこれが逆に美点に映ります。
まるでミニホロゴン!

ライカ純正のスーパーアンギュロン21㎜F4とF3.4は、
今やかなり高嶺の花になりつつあります。
ウルトラワイドペラールはその何分の1かの価格だそうです。

安かろう悪かろうじゃないか?
やっぱり、画像そのものはかなり安っぽくなり、
いかにも現代レンズ風なんじゃないの?
そうあゆぶむ声が聞こえてきそうです。
でも、ご心配なく。
確かに現代的な鮮鋭なレンズですが、
かなりあたたかく、やさしいたたずまいがあって、
かなりライカ的な立体感を出せるレンズ、そんな感じ。

APSサイズのカメラでも、25㎜相当の広角レンズとして使え、
しかも、目立たないパンケーキレンズ。
とりわけストリートフォトには最適の選択肢が一つ登場、
そんな感じがします。
まあ、ご覧下さい。





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# by hologon158 | 2016-09-09 15:31 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.07 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」7-完-安い!


8月27日土曜日の続きです。
比叡山坂本の入り口近くを半時間撮影してから、
民家を利用したレストランで昼食。
ポークソテーライスと生絞りジュース\1200は、
なかなか良いお味でしたが、いかんせん、ほんのちょっぴり。
体を使う私にはあまりにもお上品過ぎました。
レストランを出て、まっすぐ西へ、
比叡山山麓の神社群指してゆるやかな坂を上っていったか?
行きませんね。
途中さまざまなロボグラフィたちがわっと旗を振って迎えてくれるのですから、
いちいち握手するのが大変。
45分ほどかけてようやく坂の上近くにたどり着き、
かき氷の茶店を見つけて転がり込みました。
いつの間にか炎天だったのです。
太陽までも私を見つけたようで、喜んでいるようです。
「みぞれ\280! 安い!」
と喜んではいけません。
供されたかき氷は標準的なかき氷の3分の1でした。
これじゃ、原価ゼロに限りなく近いのじゃない?
生涯にこんなにしみったれたかき氷は初めて!
なんだ、なんだ、大津の商売人たち、
あんまりしみったれ過ぎてはいませんか?
この2軒だけだと信じたいところです。
これじゃ、まるで京都だ!

午後1時、撮影枚数は305枚。
1時間ちょっとなので、まずまずの収穫です。
今日は湖西線車内での麗しの美女に始まって、
沿道サービスは断然Aクラス。
日頃私が精進しているせいでしょう。
午後1時半出発。

日吉大社にご挨拶しておきましょう。
ミニかき氷の茶店を出てから、
神社群を一巡しました。
日吉大社は入山料300円がかかります。
生来ケチなので、料金がかかる神社仏閣は全部パス。
大津人「なんだ、お前もしみったれじゃないか!」
私「いえいえ、どういたしまして。あなた方がしみったれ。
私は倹約家なのですよ」

日吉大社前の渓流を水彩画クラブの人たちがスケッチしています。
ちょっとお二人の絵をのぞいてみて、もうしわけありませんが、
「へたっぴい!」
私は絵は描いたことがありませんが、
最低の条件は分かります。
写生画を描くのなら、
①線をしっかり描く演習をしなさい!
②絵を描くなら、下絵を遠近法でデッサンしなさい!
思ったところから、へなへなの線で書いて、
すぐ色を付けるなんて、どうしたものでしょうか?

渓流のど真ん中の砂州の岩に若い女性が腰掛けて、
裸足の足を渓流に浸しています。
気持ちいいでしょうねえ。
絵になりますね。
アマチュア写真クラブの一行が通りかかったら、
完全によってたかって餌食にされてしまいますね。
でも、おっさんなら絵になりませんね。
どうしてでしょうねえ?





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# by hologon158 | 2016-09-08 23:18 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.06 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」6 永遠の美女



どんなことでも、一旦始めると、なかなかやめられないものです。
人間って、そんな風にできているようです。
だから、始まり、出だしが肝心ですね。
出だしが幸運にもどんぴしゃりに決まったら、
後は芋蔓式に事がとんとんと進む、ということがあります。
出だしでつまづくと、
後はどんな風に回復しようとしても、うまく行かない、
そんなこともあります。
なんでこんな事を思ったか?

笑わないでください。
ちょっとした出来事があったのです。

8月27日、JR京都駅3番ホームで、
比叡山坂本に向かう10時26分発湖西線普通電車での出来事。
4人掛けコンパートメントの窓際に一人で座っていました。
だんだんと乗客が増えてきました。
一人40過ぎの男がやってきて、
私の向かいの座席に大きなリュックを置いて、
なにやら中を点検しはじめました。
直ちに漂ってきました。
かなりの悪臭.........
あまりお風呂に入っていない。
洗濯もしていない。
座るんだろうか?
よしてくれ!!!
作業が済むと、さっさと車両から出ていってしまいました。
じゃ、なんでこんなところで、作業したの?
そう尋ねたいところですが、
どこかでなにか間違った道に入り込んでしまったようです。
この人に関わるのはよしましょう、戻って来られたら、事だ。

ほっとしていると、
まだ二十歳をすぎたばかりの女性がやってきて、
私の対角線向かいに座りました。
若鹿のようにのびのびと肢体、
初々しい表情のとても美しい女性でした。
白のブラウスと黒のミニスカートで、
目のやり場に困るほどにまぶしい。
そこで、大急ぎでPomeraを取り出して、
書き出したのですが、気になってなにも思いつかない。
そこで、なにも思いつかないときの常道手段をとりました。
闇雲にPomeraを打ち出したのです。

どうもいけませんね。
私は女性よりも文章書きの方が好きなのでした。
でも、ときどき目の片隅で女性の姿を鑑賞させていただきました。
どのような姿勢をとっても、美しい。
学生さんの旅の途中のようですが、
生まれも育ちもよくなければ、こうはならないだろう、
そう思えるほどに気品があります。
一番に思ったことは、
孫プリンセスたちもこんな風に育ってほしい。
どうも考えることが爺むさくて、いけませんね。

今回の車両シアターはとてもダイナミックな演出でした。
最初の男性はどうやらなにをやってもうまく行かない人生。
ヒロインは、幸せに生まれて、幸せに育ってきたら、
こうなりますよという、絵に描いたような姿。
でも、そのような境遇でもうまく行かなくなる人は大勢います。
この女性はこれまでの人生の一こま一こまの選択肢を
注意深く賢く選んできたのでしょう。
これからも末永くすくすくとまっすぐ生きていって、
pretty-bacchusさんのように華開かれることを祈りたいですね。

今回の教訓は2つ。
①人生うまく行かないと思ってもあきらめてはいけない。
次の瞬間、思いがけないほどによい方に急展開するかもしれない。
②文章はなにがなんでも書き出そう。
なんとかなるものだ。

蛇足ですが、
男性なら誰にもあると思いますが、
生涯に幾度か、
忘れることのできない印象を残す女性に出会ってきたはず。
私にも幾人か記憶の中に生きています。
最大の印象を私の心に刻み込んだの女性は、もちろん妻ですが、
みんなほとんど化粧をしていない人ばかり。
今回の女性も私の心のカタログに刻み込まれるでしょう。





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# by hologon158 | 2016-09-08 11:14 | ホロゴン外傳 | Comments(2)

656.05 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」5 ロボグラフィ



8月27日土曜日、比叡山坂本に参りました。
久しぶりです。
比叡山延暦寺の門前町。
紅葉の名所ですが、そんな時期に行ったのはただ1回だけ。
穴太積の石垣の町です。
ロボグラフィに溢れています。

ロボグラフィってなんだ?
初めてこの言葉に出会った方は戸惑うでしょう。
辞書を引いても出てこない。
私の造語です。

「路傍」+「フォトグラフィ」
略してロボグラフィ。

路傍を撮っただけではロボグラフィになりません。
そこに何かを感じなくちゃ。
写真が問題じゃありません。
出会いが核心。

別ブログ「レンズ千夜一夜」は、
私の愛するレンズたちの列伝ですが、
最近の記事の写真にポートレートが一枚。
(どこだったか、忘れました)
と行っても、白い石の上に落ち葉が落ちて、顔に見えるだけ。

えっ、顔になんか見えませんか?
そうでしょう。
人間に備わる顔認識ソフトにはかなりのレンジがあります。
なにを見ても、顔とか人間とか生き物とか、
そのものとは別の何かに見えてしまう、
そんな人がレンジ100としたら、
なにを見ても、そのものしか見えないというレンジ0の人まで、
さまざまです。

私は80ほど、そう考えたいですね。
なにかを見た瞬間、そのものではない何かが見えます。
私は出会いこそすべて。
こんなものにゆくりなくも出会って、
「やあやあ、がんばってるね」と挨拶を交わした後の記念撮影。

わざわざ落ち葉を置いて、顔を作って撮る人がいます。
こんな方は結果としての写真がすべてという、自称写真家。
なにかを動かして、なにかを作る、
これは写真家の常道です。
曼珠沙華の季節には、曼珠沙華を何本もちょんぎって、
ここぞという位置に植え込んで、
望遠で撮る写真家がおられます。
友人に聞いた話ですが、
入江泰吉が撮った飛鳥川の飛び石の曼珠沙華の場所に行ってみたら、
曼珠沙華の花が全部ちょんぎられていたそうです。
入江先生の真似写真を撮ったあげく、人には真似を許さない、
そんなアマチュア写真家を私は軽蔑します。
自分の感性にまったく信頼を置いていないのですから。

ロボグラフィとはそんなものとは違います。
路傍のものや人との美しい出会いの記録。
「レンズ千夜一夜」なんてブログを続けていることで明らかですが、
私はいかなる意味でも写真家ではありません。
レンズに撮ってもらって、
レンズの贈り物を感謝の気持ちを込めてブログに記録している、
ただのレンズ趣味の素人。

ということで、久しぶりの坂本になにを持っていこうか?
ちょっと思案しました。
スーパーアンギュロン21mmF4に一旦決めたのですが、
いくつもあるL/Mマウント変換リングが見つからない。
少なくとも5、6個は持っているのに、
心当たりのLマウントレンズには付いていない。
一体どこに行ったのだ!??

そこで、L/Mマウントの要らないレンズ、
エルマリート28mmF2.8第一世代、これに決めました。
とても名声の高いレンズです。
でも、そんなレンズにありがちな癖玉です。
ときどき、ぼってり、と言うより、こってりの重苦しい画像になります。

私の友人お二人が常用するのは第2世代と第3世代。
絶妙のバランスで文句なしの画像。
でも、これはお二人の腕のせいかも知れません。
幾度も使っていますが、まだこなれてきていない、という感じ。
今日はエルマリートをとことん信じきって、
撮ってみましょう。

この記事は京都に向かう特急の中で書きました。
少なくとも3枚、50mmか90mmで撮れば、
カントリーライフの絶妙の魅力を醸し出すスナップが撮れる、
そんな情景を窓越しに眺めながら。

そんな情景を撮ったか?
撮りません。
そう思わせるのは、
カルティエ=ブレッソンに憧れていたアマチュア時代の名残り。
一瞬の抜き取りの早業で鳴らした往年のスリが、
足を洗って隠退した後も、ご婦人の姿に大金をどこかに潜めた気配を感じて、
一瞬、思わずに胸を躍らせてしまう、
そんな感じですね。
いけませんね。




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# by hologon158 | 2016-09-07 02:23 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.04 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」4 人生のイベント



人間って、面白い生き物ですね。
日本人だけかも知れませんが、
かなりの方がイベントが大好きですね。

近頃では、リオで開催されたオリンピック。
今では、祭りのあと、という感じですね。
関連企業とオリンピック委員会が莫大な収益を上げて、
預金通帳だの、マネーロンダリングだの、ポッポナイナイなど、ほくほく顔など、と
お祭りの名残が随所に残されていることでしょう。
でも、一般大衆には、ちょっとした記憶、思い出以外にほとんどなにも残らない。

そんな巨大な線香花火のようなイベントに人生をかけて、
心身をすり減らしたアスリートたちの何パーセントが栄光を手にしたのでしょうね?
栄光もなにも、敗残の痛手だけが残った人たちも数知れずいるでしょう。
面白いことに、勝者も敗者も、
その体験がその人の人生の巨大な転機となることですね。
金メダルを見事獲得することで、自国の英雄、スターとなり、
その上昇気流に乗って、その後の人生を順風満帆に送る人もいるでしょうけど、
一方では、オリンピックで得た栄光、名声が足かせ手かせとなって、
オリンピックを人生の頂点として、その後の人生は、
転落の一途を描く人もいるかもしれません。
逆に、それまで上昇の覇者だったのに、オリンピックではあえなく失格。
敗残の姿を国民の前にさらけ出したのに、
その失敗をバネとして、汚名を挽回し、
堂々たる人生を送る人もいるかも知れません。
可もなく不可もない程度の成績で参加して、
やっぱり可もなく不可もない程度の成績をおさめて、
ひっそりと帰国し、そのまま静かに人生を送ったのだけど、
そのような体験でしっかりと自らを鍛えて、
その後は、人知れず、だけど、豊かな人生を送る人もいるでしょう。

人間の面白いところは、誰にでもあることですが、
非日常的な体験の洗礼をいつかどこかで受けて、
人生の進路を変えて生きていくということではないでしょうか?
誰も気づいていませんが、
一見崖のように見える場所に飛び込み板が設置されている、
その飛び込み板から闇の中にポンと跳躍する、
そんなチャンスと言うか、試練と言うか、
とにかくそんなテストを実は知らぬ間に体験させられている、
それが人生なのです。
飛び込んだら、どんなところに着地するか、分からないから、
平気で順番に飛び込んでいきます。
気がついたら、なんの変哲もない平坦な道を歩いているだけかも知れません。
槍だ、銃弾だ、虎だ、サソリだ、美女だあ、子猫だ、と、
なにが飛び出してくるか予測不能の密林をはいずり回っているかも知れません。
いきなりパラダイスで幸せの陶酔状態にある自分を見いだすかもしれず、
逆に、イテテ、イテテ、ギャー、よしてくれ、裸足で針山を登らされてる、と、
地獄の苦しみを味あわされているかも?
要するに、人生って、波瀾万丈、危険が一杯ですね。

でも、それがイヤだから、人生やめたい、とは誰も思いませんね。
なんにも気づかず、なんにも考えず、流されていくだけ、
これも人生です。

もしかすると、一番賢い生き方かもしれません。
でも、エキサイティングじゃありませんね。
生きていてよかった!
ああ、幸せだあ!
そんな風に心を躍らせるチャンスを自分で捨てているようなものかも知れません。
昔、尊敬する先輩がおっしゃった言葉を思い出しました、

    「私は、広い道と狭い道のどちらかを選ぶ必要に迫られたら、
    いつでも躊躇なく狭い道を選んできました。
    後悔していません」

私もどうやら狭い道ばかり自分で探して、ずんずん歩いてきた感じがします。
地味そのものの人生になってしまいました。
でも、自分じゃ、楽しくて堪らない、ああ、生きていてよかった、
そんな風にいつも思える道。
当然ながら、オリンピックのような大舞台に立つ機会などないまま、
日頃日常の小さな出来事を自分の人生のイベントと捉えて、
精一杯楽しむことにしましょう。




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# by hologon158 | 2016-09-06 23:07 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.03 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」3 苦節十年



2016年7月23日、私にとって記念すべき日になりました。
揚琴を習って10年、ついに!
左手の手首が突然なめらかに回るようになったのです。
こう書いても、楽器をやっていない方にはなんの意味もないでしょう。

ピアノでもそうだと思うのですが、
両手が一つの旋律を演奏することがあります。
そんなとき、どちらも手も同じように動いて、
完全に同質の音を奏でない限り、旋律を正しく歌いあげることはできません。
打楽器は本質的にぶつ切れの音ですが、
その残響音を滑らかにつなげて、一つの旋律線を描き出すのです。
グールドが演奏するバッハの「ゴールドベルク変奏曲」の冒頭のアリアが好例です。
なんという美しい旋律が静寂の中に浮かび上がることでしょう!
グールドの手の動きのなんと美しく優雅なこと!

ちょっと脱線。
グールドがコンサートをやめた理由の一つがここにあるのかもしれません。
完全に自己に没入して、
静寂の中に一つの旋律線を描き出しています。
一つの音をピンと響かせ、それから、絶妙の間合いをとって、
バレリーナのように美しく宙を舞う手が次の音を出そうと、
キーに落ちようとするその瞬間、
ゴホン。
土俵で行司の「待ったなし」のかけ声の次の瞬間、
バッと立ち上がろうとした力士の前に行司がすっと足を出して、
力士の足をひっかけるようなものです。
猛牛のような力士の勢いを止めることはできなくても、
力士の注意力は一瞬この意外な出来事に逸れるでしょう。
もうそれだけで致命的ではありませんか?
グールドにもそれが起こったでしょう。
それも、ときには演奏に幾度も。

私がYouTubeで見た大ピアニストの演奏では、
女性がまったくなんの遠慮もなく、
規則正しく「ゴホン.....ゴホン」と咳を十数回反復しました。
大ピアニスト、かわいそう!
内心煮えくり返るような思いをし続けたことは間違いがありません。
マックのCRTを眺めている私も煮えくり返りました。
今でもときどき思います、
この女性、いったい、どんな人間なんだろう?

話をもとに戻しましょう。
揚琴でも、同様なことができなければなりません。
咳のことではありませんよ。
ぶつ切りの音なのに、一つの旋律線を描き出すこと。

でも、いかなるスポーツもやらなかったせいでしょう、
私の左手は堅く固まったまま。
10年間、私の左手はぎこちなく上下し、
右手と異質なサウンドを出し続けてきました。
一応なんとか曲を弾くことはできます。
でも、いつも親方と徒弟の二人して刃物を叩き出そうとする、
鋳掛け職人さんのような感じ、
カン..コン..カン...コン..カン
規則正しいリズムにならない。
音の強さもリズムも不規則なので、
美しい旋律なんかにはならない。

ところが、23日、
突然、ほんとうに突然、
左手が滑らかに動くようになったのです!
揚琴演奏の双方の柱の一つがトレモロです。
両手を、あるいは片手を使った同じ音を細かく均質に刻み続けます。
ギターやマンドリンと同様です。
「アルハンブラの思い出」を思い出してください。
無理して弾きますと、疲れます。
ところが、左手が回るようになると、事態は一変!
疲れない!
これまでは左手に脳が「細かく上下しろ!」と指令を送り続けていました。
そしたら、左手が「お願い、やめて! 疲れたあ!」と返していたのです。
ところが、そんなやりとりが突然不要になってしまいました。
勝手に両手が細かく上下動を継続してくれるのです。

付虹先生の弟子にはそんな風に弾ける人が幾人もいます。
まだ揚琴習いはじめて間がない方もお二人、
すでに手は滑らかに動いているのですから、
大阪弁で言いますと、「やってられん!」という気持ちになります。
でも、なんだか「やっていこう!」という気持ちになれました。
到達点ではありません。
ただの出発点。
10年もかけて、初心者の次のステップに上がることができたのです。

前にも書きましたが、
私はテレビも見ないし、スポーツも観戦しません。
でも、福原愛ちゃんが大好きなので、
YouTubeで卓球のビデオをあれこれのぞいてみました。
日本女子卓球チームって、面白いですね。
3人の選手が揃いも揃って幼児の頃から親に特訓されて、
幼くして頭角を現した天才ばかり。

どうやらその訓練の土台は、果てしないラリーの応酬を
毎日毎日何時間も続けることにあったようですね。
どんな球にも瞬時に正しく反応するように、
体を完全に自動化するプロセス。
試合では、相手選手はあらゆる秘術を尽くして、
まさに魔球を飛ばしてきます。
自動的に反応するのではなく、瞬時にその魔球を正しくさばいて、
逆に相手がとれないような魔球を打ち返さなければならない。
そんな頭脳の瞬時の指令を自動的に体が反応するように、
幼児からの果てしない訓練が生きてくるのでしょう。
どんな天才も才能だけでは大成しない!
当たり前のことですが。

優れた演奏家の演奏はこれに似た現象なのかも知れません。
私のような素人の演奏はただ単に間違わずに、
できるだけ美しく弾きこなすこと以上には出ませんが、
それでも、やっぱり頭と体が連動しなければならない。
その第一歩をようやく踏み出せるようになった。
そんな気持ちがしています。

ホロゴンでなんとか写真を撮れるようになりたい、
そう願って、苦節20年。
まだ、道半ばの思い。

でも、ホロゴンで20年。
揚琴でトレモロができるようになるのに、10年。
二胡ときたら、始めて2年経つとうというのに、
まだ開放弦の弾き方で右往左往している。
私は一体どういう人間なのでしょうね?
大阪の人なら一言で言うでしょうね、

   「とろいの、あんた」





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# by hologon158 | 2016-09-06 11:10 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.02 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」2 男は負けている



さて、8月24日鶴橋シリーズを続けましょう。
(こんな風に本文と写真とが別シリーズ平行線というのは、
このブログを見る人には大きな障害になっているでしょうね。
日記に写真が追いつかないのですから、
私としてはいかんともしがたいギャップ。
でも、幸運にも、このギャップが
このブログに誰も来なくなる原因になってくれました)

午後2時15分、コリアンタウン御幸通りの喫茶店を出発。
すでに夕立も通り過ぎ、
傾いた陽光にやさしく照らされる濡れた町が後に残されました。
通行人も普段通りに活発に行き交っています。
幸いなことに女性がほとんど。
ときどき思うのですが、この世に女性がいなかったら、
闇ですね。
生きている甲斐がありませんね。
ああ、ありがとう、女性の皆さん!
と、心に祈りを捧げながら、
美しい女性たちをメッタヤタラ撮り続けました。

不思議です。
私は、行き交う女性たちの気迫、気合いをかなり感じます。
ところが、男性たちからはほとんど感じることができません。
男は女に完全に負けている、そんな感じがします。

御幸通りから往路とは異なる裏道伝いに
近鉄鶴橋駅周辺の商店街に入ったと思うと、
鶴橋駅の東改札口でした。
いつもの経路です。
午後2時50分撮影終了。

58分の近鉄奈良駅行き急行に乗車。
首都圏の皆さん、ご愁傷様。
一両目はかなり空いています。
ゆったりと7人掛け車両の両袖端に女性が各一人。
私はその中央の5人分を占領して、
と言っても、寝そべったわけではありませんが、
そのど真ん中にゆったりと腰掛けて、
と、言っても、深く腰掛けて、背中を直角にして
バックシートに直立して接するようにして座ります。
これが正しい座り方ですね。
このようにして座っている人は車両を見渡すと、
4人に1人程度ですね。
たいてい座席に浅く座り、
くたっと背もたれに背を曲げてもたれかかっています。
見栄えもよくないし、第1疲れるのも知らないで。

撮影量をチェック。
616枚でした。
実撮影時間2時間半ですから、かなりの収穫。
鶴橋、ありがとう!
昼から通り雨もあって、真夏の強烈な日差しは午前中だけ。
その午前中は鶴橋周辺の商店街のアーケードの下だったのですから、
ひさしぶりに気持ちよく撮影できました。

交差点にぶつかる度に3回青信号が変わる前に、
各100mほど駆け抜けましたが、
まったく疲れなし。
以前にも倍増しに絶好調のこのごろです。
この絶好調の理由はこれ、とはっきり分かっています。
その理由はまた別に書くことにします。




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# by hologon158 | 2016-09-05 13:23 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

656.01 ホロゴン外傅173「2016年8月12日バルター50㎜F2.3は奈良町ロケ」1 超広角の運命



本ブログの写真シリーズはバルター50mmf2.3の出番です。
スピードパンクロとモノクローム映画の双璧だったそうですが、
撮る度に感じることは、
そう並び称されるのも当然だなあ、
バルター、スピードパンクロに一歩も譲らないんだからなあ。

それでも、ほんの少し、真面目ぶりがほのみえます。
だからでしょうか?
観客に、画像よりも物語に集中してもらいたい映画製作者には、
バルター50mmf2.3はかなり信頼度が高かったのではないでしょうか?

ちょっとした所要のついでに、奈良町を撮りました。
1時間半ほどで372枚撮れました。
ざっと選んでみたら、250枚にもなってしまいました。
ブログ進行の中でもう少し絞りたいとは思いつつ、
どれも捨てきれず、まずはともかく出発してみましょう。




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8月24日水曜日鶴橋撮影の続きです。
午後12時50分、昼食の韓国料理店を出て、
御幸通りに向かって南下。
と言いたいところですが、途中で逆方向に折れて、
行きなれたお好みの路地裏にご挨拶しつつ、
や栄神社、御幸森天神宮と、2つの神社にもご挨拶。

と言っても、私はけっして手を合わせて拝みません。
社交的儀礼でなにかをすることができない人間。
信じてもいないのに、手を合わせることはできません。
生きるには不便な人間かも知れませんが、
ずっとそれで通してきました。
大好きなロボグラフィたちが待っていてくれるから、
立ち寄らせていただいています。

天神宮を抜ける頃にはかなり夕立の様相。
天気予報は夕方から夜にかけて雨が降る確率30パーセント。
だから、傘を持たない人が一杯雨宿りをして、
御幸通りの路上はほとんど私一人。
私は、少しでも雨の確率があれば、軽い傘をバッグに常置しています。
確率ということを理解していない方が多い感じがします。
たとえ、降水確率5パーセントでも、起こるときは起こります。
そのとき、5パーセントは見事的中、
つまり、どんぴしゃり100パーセント実現したことになります。
現代のようにゲリラ豪雨が狭い地域に突然襲来する時代には、
天気予報など信じない方がよいのです。
あなたの上の空だけが泣いている、そんなこともありえます。
お天道様って、いつも不公平なのです。
だから、常に傘を用意しましょう。
それが賢い人間というものです。

さすがに御幸通りは韓日どちらのお店も繁盛し続けているようです。
中間あたりにある行きつけの喫茶店に入りました。
雨なので満員かなと除いてみたら、
まだ3セットのコーナーが空いています。
軒を借りて雨宿りしなくてもよいのに、
皆さん、堅実なお財布のようです。

ミックスジュース¥400はかなりおいしく、
ちゃんとミキサーで作ってくれたようです。
お店のウチワを借りて涼みながら、
ソニーα7の収穫をチェック。
まだたったの374枚!
もう少しがんばらなくちゃ!

ホロゴンのような超広角をお使いになる方の98パーセントは
やがてレンズをケースに安置されることになります。
どうしてでしょうか?
私も昔体験していますので、分かります。
近寄るって、なかなかできることじゃありませんね。
おかげで、ちょっと離れて、お上品に撮ることになります。
すると、渡る世間に鬼、ならぬ、撮影主体はどこにいるの?
「あんた、いったいなにを撮りたかったの?」
そう質問されるとむっとしますね。
やがてそんな広々とした超シネマスコープ画面に飽きてしまう。
壮大なシネマスコープ画面がふさわしい光景って、
あまりそこら辺りには転がっていないからです。

人間の視覚って面白く自分本位にできています。
つまり、見たいものばかり視野に大きく見えるのです。
でも、写真に撮ると、客観的なパースペクティブに戻ってしまい、
見ていたもの、撮りたかったものは意外に小さく遠のいてしまうのです。
だから、撮影者本人も、なんだこんなものを撮ったのか、
と、我ながら呆れることになります。
こんなレンズだめだよ、と、

常用レンズのリストからポイ捨てされてしまいます。
15mm超広角を使いたかったら、
とにかく接近すること、
できれば1m以内、
理想的には20cmから50cm前後の範囲内で撮ること。

さて、午後2時15分になりました。
そろそろ出発!
# by hologon158 | 2016-09-03 22:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

655.05 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」5-完-鶴橋


8月24日水曜日午前11半、喫茶店を出て、
すでに仕事が終わってしまった海鮮市場の周辺路地を撮影。
快調です。
市場の西に南北に走るいつもの通りを南下。

1年3ヶ月ぶりでした。
はっきりとした変化が2つ。
①韓国料理店が乱立している。
②通りに閉店、空きやが目立つ。

鶴橋駅の南東側に御幸通りという有名な韓国人街があります。
今では、観光名所の一つに数えられています。
鶴橋全体が韓国人の町として知られていますが、
韓国人が占める割合はますます増大しているようです。

どこの国も「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い」式短絡思考が横行しています。
幼児思考なのですが、自分でそれに気づいていない。
ホワイトヘッドが言う「具体性取り違いの誤謬」Error of
the misplaced concretenessの好例です。
おかげで、「湯水とともに赤子を流す」式に、
各国のすてきなところを見失って、自分で損をしています。

私はだんだんと故郷土着型人間に移行しつつありますが、
それでも、韓国と台湾だけは撮影旅行したい、そう念願しています。
どちらもたった1回しか行ったことがありません。
私にとって、韓国のドラマ、バラード、そして料理は最高の歓び。
おもしろいものです。
そのどれもが、一言で言えば、「のびのび」と「おおらか」に作られています。

でも、ニュースで見るいわゆる韓国人の反応は、
例の「怨」一字に彩られたように、ちょっとねじくれています。
どうしてこんなギャップがあるんだろう?
私は、こう考えています。
もともとニュースは、まっとうで普通の状態を無視して、
特殊異常なハプニングを主題としています。
そのうえ、日本の報道機関はすでに自民党、大企業の支配下にあるので、
ニュースは日本人の対韓、対中世論を操作すべく注意深く選別されています。
日本人の韓国人に対する偏見を助長する記事ばかりが掲載されている。
このギャップに気づかないようでは、
世界をありのままに認識することはできません。

韓国、中国の一般庶民は、日本のことをほとんど考えないか、
考えても、もっとニュートラルです。
どちらの国も、マスコミそのものが存在しないので、
そんなに日本に対するヘイトスピーチに踊らされる人ばかりではない、
私はそう考えています。

鶴橋では、いかにも韓国の土着風に作られた食堂で、
チャププチェ\1000+生ビール\500をたのしみました。
すごい量でしたが、Pomeraでこの文章を打ちながら、ゆっくり頂くと、
気がついてみると、平らげていました。
やっぱり、おいしい!
私のいつものグルメ理論が生きています。
曰く、「お腹が空いていただく料理が一番のごちそう」

この理論がいつまでも生き続けることが私の人生の目標です。
ごちそうを頂くグルメは、年を取るにつれて、
お腹にこたえるようになるでしょう。
でも、私の理論はお腹を空かせて、
目の前にある料理を適量に頂くことを本質とするのですから、
健康に良いのです。
健康に良いことをして、
健康のよい食事をとり、
健康により考え方をして生きる、
それが私の理想です。

目下贅肉ゼロ、おっと、正直に、
ほとんどゼロ。
なにしろ120歳まで元気で生きるつもりなので、
第2の、つまり、自分のためだけに生きる本物の人生は、
社会に一定の貢献を捧げる使命のあった第1の人生よりも
遙かに長く平安で楽しく健康的なものであらねば!
それが私の使命。

午後12時50分です。
さあ、炎天であろうがなかろうが、御幸通りに向かって出発!





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# by hologon158 | 2016-09-02 11:23 | ホロゴンデイ | Comments(0)

655.04 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」4



久しぶりに鶴橋に来ました。
一人です。
この暑い最中に写真を撮ろう、なんて人はあまり居ないでしょう。
私にとって、写真に対する愛情は結婚の誓いの言葉そのものです。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、
悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
晴れるときも、雨のときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
(ただし、わずかな修正がありますが)

鶴橋は、私にとっては、ロボグラフィの原点の一つ。
まあ、原点が何十とあるのですから、
なにが原点じゃ、減点じゃあ、となりかねませんが、
故郷と言った方がよいかも知れませんね。
これも何十とあるのはちょっとおかしいけど、
あるんだから仕方がありませんね。

鶴橋には大阪の庶民が生き生きと生きています。
私はエスタブリッシュメントの人間が嫌い
(pretty-bacchusさんは例外中の例外です)。
肩書きかざして威張る人間は、どんな階層の人間でも嫌い。
本音だけで生き、本音だけをしゃべる人間とだけつきあいたい。

私のロボグラフィが徹底的に底辺の世界で遊ぶのは、
それが一番伸び伸びと呼吸できる世界だからです。
念のために言いますと、
私は実のところ、昔で言うインテリ層の人間です。
本に埋もれ、仕事に埋もれて生きてきました。
でも、簡単に言うと、そんな層の人間には飽き飽きです。
なんにもできないのに、何でも分かっているような顔して、
批判と講評を講釈しているような人間とはおつきあいしたくない。
なんですって?
おまえがやってることはそれじゃないか、ですって?
うるさい!
ほっといてください。
私は日記を書いているだけなのです。
私は私の日記の中に君臨する無冠の王者なのですから、
言いたい放題、書きたい放題させていただきます。

現代は一億総評論家の時代です。
どんな階層の人間も自信たっぷりなご講釈がお好き。
でも、至高の高みからご託宣を下して、自分は涼しい顔をする、
そんなインテリの臭みはありません。
新聞かテレビの受け売りなんですから、
根拠などありません。
「僕知ってるんだもーん」と言い張っているだけ。
私はご託宣も受け売りもしたくない。
自分の頭で組み立て、自分の言葉で考えた文章を、
いわば垂れ流し状態にして、ブログに貯蔵したい。
まさに「心に浮かぶよしなきごと」をリアルタイムに記録して、
後年これを読めば、ああ、こんなこともあったんだ、
こんなことを考えていたんだなあ、と記憶を新たにしたい。

E.M.フォースターの「眺めのいい部屋」で、
フィレンツェの英国国教会の牧師がアメリカ人旅行客を揶揄します。
娘がローマのことを口に出すと、
父親が「ああ、あの黄色い犬が吠えていた町だね」と返した、
と言って、さも、大切なことを記憶せずに、
些末なことしか覚えていない旅なんて価値がないと言わんばかりに、
嘲笑するのです。
ローマであれば、バチカンだ、コロッセウムだと、
歴史的に重要な遺跡、施設こそ記憶に値するという杓子定規な精神。
でも、フォースターがこのエピソードを書き記した気持ちは、
どうやら「黄色い犬を覚えていて、なにが悪い?」
いきいきとした型にはまらない精神で生きてこそ、
ほんとに生きていると言えるのだ、ということのようです。
私もはっきりとフォースターとアメリカ人観光客の父親を支持します。
それでいいじゃない?
自分の歩いた道に自分流の道しるべを記して行ってこそ、
本当に自分の人生を生きることができる。
だから、私は、自分が果てしなく同じ場所に行って、
果てしなく路傍の種々をロボグラフィとして記憶することに、
言いしれぬ満足感を覚えるのです。
そう、この日、この場所で、こいつに出会ったんだ!




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# by hologon158 | 2016-08-31 15:19 | ホロゴンデイ | Comments(4)

655.03 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」3 特性のない男


若い頃、ロベルト・ムシル「特性のない男」に挑戦しました。
長大な小説で、かなり意味不明で途中で挫折してしまいました。
もしあなたがこれを読み通せたとしたら、
あなたはよほど変わっている、そう私は言いたい。

だめな小説ではありません。
でも、どうも意味がつかめない。
その中で一つ気になった言葉がありました。
うろ覚えですが、
主人公は壁があったら、必ず壁に袖をすって歩く、
そんな男だった。
特性のない男にもこんな特性があるようです。

でも、その特性が意味不明でした。
でも、年を経て、ときどき思い出すのですが、
なんだか分かるような気がしてきました。
なにも特記すべき業績もなく、無名でひっそりと生きる私も、
やっぱり「特性のない男」なんだ。

特性のない私でも望みを抱いてしまうものです。
何か自分の歩みの中に特記できることを残したい。
人に知られなくてもよい、
自分がある日、あるとき、ある場所で、あることをしたんだ、
そう言えるような行為で人生を埋めたい、そんな気持ち。

壁をすって歩いても、誰も気がつかないでしょう。
でも、自分は気がついている。
今日、僕はここを歩いているんだ、
そうしっかりと心に銘記する作業。
そうか、そうだったんだ、
僕は特性のない男と同じ生き方をしていたんだ、
そう気づいたのです。
日々平穏無事にルーチンをこなす生活も生き方です。
でも、私は一歩一歩足を踏みしめながら歩きたい、
できたら一歩一歩数えたい、そんな人間のようです。

ルーチンに生きる人にとって、
テレビや新聞は大きな意味があるでしょう。
2年に1度オリンピックを楽しむことも大きな行事なのでしょう。
私はテレビも観ないし、
オリンピックもときにネットニュースで楽しむ程度で、
私にとっては外の出来事。
私には、私の内なる作業をたゆまず続ける、
こちらの方が遙かに大切。

その点で、ちょうどドンピシャリ8年前の2008年8月に
本ブログを始めたことは大きな意味がありました。
日々たゆまず記事を作り続けることが、
私の第2の人生にとって大きな柱となりました。
目に見えて積み重なっていくのです。
こたえられませんね。

8年の間に、多くのブロガーが去っていったようです。
人生が変わって、ブログが意味を失ったのでしょう。
その人にとって、ブログは生きる行為じゃなくなったわけです。

でも、私のように、ブログを日誌と考える人間にとって、
ブログは生きる作業の一つになってしまいました。
写真ブログの場合、誰かに教えられました。
文章を付けるなら、簡潔に。
写真も厳選して。
人気ブログの大原則なのだそうです。
でも、その2つの原則を堂々と破って、なお超人気ブログとして、
君臨しておられるpretty-bacchusさんもおいでになります。

私の場合、起承転結のないだらだらとどこまでも続く文章と、
ただ単に撮影順にメッタヤタラに並べた写真は、
人を寄せ付けないバリヤー。
そのバリヤーの中で思いっきり思考の遊びを楽しみ、
自分の愛する写真たちをばんばんと見境無く並べて、
いつか見なおして一人楽しもうという目論見です。
気がついたら、容易に読み返せない量になってしまいましたが。

今困っていることが一つ。
★ブログの最初のホーム画面はとてもシンプルなのですが、
いつも最上段にこう書かれています。
「この管理画面は終了しています。
新しくなった管理画面をご利用ください」
新しいホーム画面を間違って開いたことが一度あります。
なんだか日々のアクセス数も表記してあるようです。
その表題があるのを見たとたん、別のページに瞬時に移行しました。
私はキーボード操作が猛烈に早いのです。

なぜ?
アクセス数など見たくないから。
いくら日記ブログだと割り切っても、
「11」なんて数じゃ、気勢があがりませんね。
いつまで旧ホームページ画面を使わせてもらえるのか、
分かりませんが、長くはないでしょう。
その時は、管理画面を瞬時にスルーできる手順を工夫するつもり。
確か右側にアクセス報告があったようなので、
設定画面を開くときは、当座は右側にマスクすることにしましょう。

それとも、ますます人が来なくなるような工夫をさらに工夫するか?
今でも、果てしない長文をまず掲載することで、バリヤーとしています。
写真も、最初の数枚で嫌気がさすようなものを冒頭に幾枚も重ねる工夫。
外野席「そんな工夫はいらん!
全写真、見る気が失せるものばっかりじゃないか!」
そうかも知れません。
長大な文章で埋まるブログですから、
どうやらネット検索にはかなり頻繁にひっかかるようです。
でも、試しにオープンしてみると、
まるで蜘蛛の巣にひっかかった赤トンボの気分におなりになるようです。
這々の体で逃げ出して、「わが友ホロゴン」は鬼門となる、
そんな具合のようです。
こうして書いている文章が意味、目的なんかない、
ただの頭とキーボードタッチの練習なのですから、
誰もまじめに読まないでしょう。
もっとも私にとっては、私が考えているすべてが私なのですから、
私のブログはますます大切です。
これだけ沢山の思案、思考を記録しているブログは、
pretty-bacchusさんと中将姫光学さんだけでしょうから、
我々みんなちょっと変わっているのでしょう。




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# by hologon158 | 2016-08-30 12:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)

655.02 ホロゴンデイ166「2016年7月29日ホロゴンが我が懐かしの岡町に」2 ただの銀メダル?

出来事の直後に書いた文章なので、
完全に時代遅れになってしまいました。
でも、折角だから、アップしましょう。

私は完全な運動音痴。
ほとんどの運動ができません。
かなり年をとってから分かったことですが、
どうやらこれは運動能力がなかったからではなく、
私がどんな運動も習わなかったからのようです。
私の父は、昔ながらの亭主関白で、家庭のことには一切くちばしを入れず、
だから、子供の相手ももちろんほとんどせず、
私にスポーツの手ほどきをしてくれたこともなく、
一方、私は子供の頃から勝ち負けを決めることは、
スポーツであれゲームであれ、全部嫌いだったからです。

長じて分かったことですが、
私は、精神の動きはかなり機敏で、
体も動きもかなり敏捷にできているようです。
とくに修羅場に強いようで、
私の職業は終始独断専行しつつ、
人を無理なく動かす必要のある性質の仕事でしたが、
どんな場面でも、誰が相手でも、論争に負けることなく、
口八丁手八丁のプロたち相手にイニシャティブを失うこともなく、
修羅場になればなるほど頭が働くタイプの人間だったようです。

だから、スポーツだって、正式に習っておれば、
人並みにはできる人間になっていたでしょう。
この10年、数cmから数十cmの距離を瞬間移動して演奏する揚琴を習ってきて、
覚えたのは、スティックの先端が弦の下に入り込んで、手から飛び出しても、
とっさにスティックを空中でつかみ取って、また演奏に戻るという、
まあ、ドジと言えばドジ、離れ業と言えば離れ業と言えるような技術だけ。
これも運動の一種だとすれば、まずまずの運動能力なのかも?

でも、実態は違いました。
小中学校を通じてひたすら本を読んでいたのですから。
おかげで、オリンピックだからと言って、
テレビにかじりついたこともありません。
オリンピックも見ないから、スポーツに魅力も感じない。
20年ほど前からテレビも無くしてしまったので、
余計にその機会はなくなりました。

ところが、パソコンでネット環境を楽しむようになって、
事情が一転しました。
YouTubeであらゆる競技を検索できるようになったのです。
私はもとよりあらゆるスポーツの競技内容、ルールなど無知なので、
関心はもっぱら人間にあります。
極限状況に立たされた天才たちが、あらゆる不利な条件をはねのけて、
志を貫徹する姿は美しく、また啓発的ですね。

近頃はスポーツ評論がかなり精密になったせいで、
一般視聴者もすべて評論家化して、
言いたい放題の論評がネットを飛び交いますね。
一番ひどいと思ったのは、レスリングの吉田選手について。
4個目の金メダルを逸して、銀メダルにとどまったことに対して、
敗因をしたり顔で分析したりする、
敗者をさらに踏みにじるような論評がネットにいくつも掲載されました。
でも、本当に起こった歴史的事実はオリンピック3連覇の後、
なお銀メダルを獲得したという史上稀に見る快挙を達成したことなのです。
他に何人の人がこんな快挙を成し遂げたでしょうか?

その間、吉田選手の階級の選手たちは幸せな環境にありました。
トップに成りたければ、
たった一人のライバルを研究すればよかったのですから。
レスリングの専門家と吉田選手に劣るとは言え、
いずれ劣らず天才に近い各国の選手たちは、
吉田選手のゲームをひたすら研究し続け、
彼女の弱点という弱点、取り口のシーケンスを研究しつくして、
その裏をかく練習を中心に各自奮励努力してきたのです。
一方、吉田選手は、各大会の決勝に誰が登場するかほとんど予測できないまま、
どんな選手が出てきても対応できるように、
人の幾倍もの努力をしなければならなかったのです。
4連覇をなしとげた伊調選手も奇跡的な偉業なのですが、
彼女以上に無敵を誇って、
女子レスリングの頂点として君臨し続けた吉田選手も
同じくらいに偉大と言わなければならない、私はそう信じます。

それにしても、柔道の野村忠宏と言い、レスリングのお二人と言い、
オリンピック史上に燦然と輝くアスリートを次々と輩出するのですから、
日本人の運動能力って、かなりのレベルにあるようですね。
伊調選手も国民栄誉賞をもらうでしょう。
吉田選手は3連覇した時点ですでに貰っています。
とすると、なぜ野村選手にはあげないのでしょうね?
どこか知りませんが、選出機構にゆがみがあるのでは?
国民栄誉賞は、その筋合いから言って、国民投票によるべきですね。





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# by hologon158 | 2016-08-29 22:40 | ホロゴンデイ | Comments(0)