わが友ホロゴン・わが夢タンバール

35.12ホロゴンデイ14「2007年3月7日の宇治」12 肉眼では見えない別のあるものが見えてくる


私が写真を始めて、たちまち夢中になったこと、それは、
写真に写してみると、
肉眼では見えない別のあるものが見えてくるということでした。
たとえば、埠頭の下を洗う波。
肉眼では、波とその表面の反映と見えたものが、
写真では、ある種のサイケデリックな波紋として水面を彩っているのです。
写真は、リアリティを記録するものですが、
ファンタジーまで記録してしまうのです。
近ごろも、西の京で白樺風の樹列を撮影したのですが、
まるで吠える豚の横顔。
もちろんそんな風に見えたから撮ったのですが、
写真として定着してはじめて、その印象が確固たるものになります。
写真がファンタジーを確認してくれるのです。
私は絵が好きなので、写真を撮っても、額縁風の見せ方をしてしまいます。
画面を超えて、見えない部分まで想像させるような見せ方ができる、
そんな写真の作り方をできる人もいます。
ドキュメンタリー風の撮り方といえそうです。
写真は、現実のほんの一部を切り取ったにすぎないのですよ、というわけです。
私の場合、どうしても画面だけで完結する写真を撮りたがるようです。
ホロゴンの周辺減光もその意味で、私には重要なのです。
私にとって、写真は、作品ではなくて、私の心の動きの記録であるということと、
このことはけっして矛盾しません。
私は、目に見えた現実を記録したいのではなくて、
私の目にどう見えたかという、写真的イメージを記録したいのです。
そのイメージは、私がそのときに見たファンタジーによって、
リアリティから変容させられているはずなのです。
今回アップしました写真もそんな変容を見せています。
私が、現代レンズの正確無比な再現描写を好まない理由、
お分かりいただけましたでしょうか?

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by Hologon158 | 2008-10-26 21:14 | ホロゴンデイ | Comments(0)