48.13 ホロゴンドラマ2「2008年11月9日長崎二日目」13 再び、なぜ、路地なのか?
路地をたどりながら、ときどき考えるのです。
なぜ、路地なのか?
もっと大きな光景を狙ってもいいじゃないか?
もっと感動的なシーンがほかにいっぱいあるじゃないか?
路地裏のなんでもない、というより、かなり薄汚れたものばかり追求しているので、
地味な地味な写真ばかりが集まることになります。
それじゃ、努力の甲斐がないじゃないの?
どうやら、その答えは撮影者の心にありそうですね。
写真を見ているとき、じかに撮影者の心をのぞきこんでいる、
それが写真というものの特質のようですね。
私が、私の心が、絶景を前にしても、写真を撮る方向では震えないのです。
なぜでしょうか?
風景は、それ自体で完結しています。
写真によって支持してもらう必要なんか、一切ありません。
ところが、ロボーグラフィの主題となるものたちは、
私が写真でフィーチャーしない限り、もしかすると、誰も気づかないかも知れないものばかり。
気づかなくたっていいじゃないか、
自転車、ドラム缶、ゴミ箱、壁、塀、路面、落書きなんてつまらないものばかりじゃないか!
そうお考えになる方も多いことでしょうね。
私は、路傍のものたちをつまらないとは考えないのです。
その理由はいろいろありますが、一番大きな理由は、
ものたちだって、私たちと変わらない、宇宙の構成員だということです。
すべて、この宇宙を成り立たせている、不可欠のメンバーなのです。
人もものも星も、たがいにがっちりと組み合わさることで、この宇宙がここにあるのです。
あなたが、椅子に座っているのも、その一例なのです。
椅子があるから、あなたは座ることができる。
こんな認識をもつと、どんなものもおろそかにすることはできなくなります。
馬鹿にすることはできなくなります。
燕の王子が使わした刺客荊軻は、鋭利な剣を振るって秦王政(後の始皇帝)に迫りました。
宮中にあるもうひとつの剣は王の腰にありますが、逃げるのに忙しい王は抜くことができない。
家臣たちは武器を何一つ持つことをゆるされていなかったので、荊軻を止められない。
そのとき、宮廷医が、持っていた薬箱かなにかを荊軻に投げつけ、
その一瞬の好きに、王は剣を抜いて反撃に移ることができたというお話は有名ですね。
この薬箱かなにか、これがなかったら、歴史は変わっていた!
戦国時代はまだまだ続き、中国統一ははるか後代に遅れてしまったでしょう、
始皇帝の圧制がないかぎり、反乱はそもそも起こらず、
漢の高祖劉邦が乱世に乗じて出現し、秦の支配をもぎ取ることだって起こらなかったでしょう。
すべてが絡み合い、因果関係の不可欠のファクター、
私はこのような認識を「宇宙民主主義」と呼びたいのです。
宇宙のすべての存在が平等である。
ちょっと大げさだなと顔をしかめているあなた、あなただって宇宙の重要メンバーなのですよ。
もっとも、あなたの椅子と同じ程度ですけどね。
ロボーグラフィは、そんな宇宙民主主義の写真的表現なのかもしれません。
でも、もう少し大げさでない理由があります。
路傍のものたちって、私自身なのです。
無名で、忘れられ、ひっそりと片隅に生きている。
ふーん、それって、まるでぼくじゃないか!
そう気づいて、そんなものたちを、私は自分の仲間と感じるようになりました。
とすると、彼らを無視し、侮り、軽蔑することなど、どうしてできましょうか?
いや、逆に、彼らが、見かけとは違って、素敵な存在であると主張する、
これ、実に、私自身の存在価値を自分で認めてあげる試みなのです。
by hologon158
| 2009-01-19 00:08
| ホロゴンドラマ
|
Comments(2)
きょうも早起きしてよかった、「宇宙民主主義」という言葉をいただけましたから。ボク自身、このことをきちんと言葉にして表現したいと常に思ってきたのでしたが、かないませんでした。もう退いた職に戻って、椅子のたとえを引きながら、1コマの情報倫理学の講義をしたくなりました。ありがとうございました。2度寝のベッドにもどります。
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Hologon158 at 2009-01-19 23:39
re)NKさん
私がかってに造語する悪癖をかばっていただいて、
いつもあたたかく受け止めていただけるのが、嬉しいですね。
でも、私は本気になってそう信じています。
二十歳代の頃、ホワイトヘッドにのめり込んだせいもありますが、
やっぱり私の心情にあうのでしょうね。
だから、ものを粗末に扱う人はあまり好きではありません。
それにしても、2度寝とは、器用なことができるのですね。
私がかってに造語する悪癖をかばっていただいて、
いつもあたたかく受け止めていただけるのが、嬉しいですね。
でも、私は本気になってそう信じています。
二十歳代の頃、ホワイトヘッドにのめり込んだせいもありますが、
やっぱり私の心情にあうのでしょうね。
だから、ものを粗末に扱う人はあまり好きではありません。
それにしても、2度寝とは、器用なことができるのですね。