わが友ホロゴン・わが夢タンバール

51.17ホロゴンドラマ3「2008年11月10日長崎三日目」17 一枚の葉が手に入れば


「人生意気に感ず」
良い言葉ですね。
もちろん、そんなことがあれば、最高ですね。
この言葉の出展は司馬遷の史記ですが、
この言葉を吐いた人物は、そう述べて、
自分が惚れ込んだ人物のために、
自分の首を刎ねるのですから、怖いですね。
そこまでするからこそ、ほんとに感じたと言える、まさにそのとおりですが、
いつもいつも自分の首を刎ねてるわけにはまいりませんね。
それに、そんな風に意気に感じることができるような人物にはなかなか出会えません。
でも、良い言葉にはたまさか出会えます。
今日も、そんな言葉に出会いました。
日本画家、安田靫彦の言葉です。
画家を志す人に与えた言葉、
「むつかしい事業ですよ。
だが、一枚の葉が手に入れば、世界も手に入る。
おやりなさい」
まさに安田靫彦のような大画家であればこそ吐けた言葉。
なんとも気宇壮大な確信ではありませんか?
どんな意味なのでしょうね?
葉っぱ一枚でさえも、描くのは大変に難しい。
千里の道も一歩からなのだから、葉っぱをとことん描いてみなさい、
ほんとに描けるようになったら、かなりのものは描ける、
次に、もう少し難しいなにかを同じように描きなさい。
こんな風に一歩一歩着実に技術を高めていけば、
いつかは成功する、そういう意味でしょうか?
そんな技術的な問題ではなく、もっと精神的な教えなのでしょうか?
たった一枚の葉を描くときでも、全宇宙を描くのと同様に心をこめなさい、
そうすれば、偉大な絵を描くことができるようになるだろう。
0・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」を思い出します。
残り少ない命を、病室の向かいのビルの蔦の葉に託して、
葉が落ちていくのを数えている少女。
そうと知って、落魄の老画家はどしゃぶりの夜、
少女のために最後の一葉を壁に描きます。
嵐でもがんばっているその葉の姿に感動した少女は快復。
その代わりに、雨に打たれた老画家が命を落としてしまう。
この老画家、世俗的な成功はしなかったのですが、
真の技術、つまり、本当の心をもっていたのですね。
私のようにヒットエンドランで、しかもノーファインダーで、
ひょいひょいと撮りまくっている人間には大変頭の痛い言葉ですね。
安田靫彦の言葉を写真に直せば、こうなるでしょうか?
「一枚の写真の撮り方が分かれば、世界も手に入る」

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by Hologon158 | 2009-02-16 00:06 | ホロゴンドラマ | Comments(0)