わが友ホロゴン・わが夢タンバール

71.33ホロゴンドラマ10「2005年3月の南紀は毎日晴だった」33 一歩一歩足を踏みしめながら登ってゆく


     ★コマンドキーと+キーで拡大、右 Click => すべて選択で反転で見やすくなります★
     ★過去10回遡ってご自由にコメントして下さい。就寝前にチェックしますから★

今日は月2回の揚琴レッスン日。
付虹先生のレッスンを済ませて、梅田に出ています。
行きつけのレストランで、大好きなビビンバを注文して、
ポメラを出して、この文章を書き始めたのです。
おかしいですね。
家では、ちゃんと手首が回転して、きれいにスティックが上下していたのに、
横に付虹先生がピタリと付くと、なぜかガタガタになります。
左手が私の課題なのですが、
骨格異常があると見えて、なかなかスムーズに回転しない。
それでも、先生のアドバイスを受けながら打弦していると、一応クリアー。
やれやれと一安心すると、先生の鋭い声、
「今度は右手がぜんぜん動いていない!」
両手のフォームをきちんとチェックしながら、暗譜した音楽を演奏する、
そんなこと、今の私には難しすぎる!
ここで、北極海のアザラシのことを思い出しました。
アザラシの海域は冬季には完全に何メートルもの氷に閉ざされてしまいます。
ところが、アザラシたちはその氷盤のど真ん中に出入り口を持っているのです。
問題は、彼ら、どうやって出入り口を設置できたか?
ヒントは、「日々のたゆまぬ努力で」
回答は後書きで見ていただきましょう。
ようするに、どんなことをするにも、解決方法はこれしかない!
峠越えと同じことです。
一歩一歩足を踏みしめながら登ってゆく、これしかない!
日々一つずつじっくりと解決してゆき、気が付いたら、目の前の問題がなくなっている、
こんな風にして、問題を解決するほかはないのです。
揚琴もこんな風にして、課題曲をパスするほかはありません。
でも、こんなことは私にはとっくの昔にわかっていることなのです。
若い頃、かなり難しい試験をなんとかクリアーすることができました。
記憶力の劣る私にできることは、繰り返し繰り返し勉強して、
いつしか問題をすんなりと解決できる頭に仕上げることでした。
それ以来、私の人生は常にその繰り返しでした。
ホロゴン15mmF8に出会ったときは、もうこの反復持続学習法が身に付いていた私です、
躊躇なく、ホロゴンでフィルム千本斬りをする、そう決意しました。
バトントゥワラーの日本一の女性も、難しい技は千回も反復したそうです。
千住真理子さんも小学生でヴァイオリンコンクールに出たとき、
難しいパッセージをそれこそ死ぬほど反復練習したそうです。
天才にしてこの努力!
とすれば、私のような凡才は、写真でも揚琴でも、ひたすら努力するほかはない!
71.33ホロゴンドラマ10「2005年3月の南紀は毎日晴だった」33 一歩一歩足を踏みしめながら登ってゆく_c0168172_18221717.jpg

[後書き]
問題の回答はこうです。
アザラシは、冬が始まり、氷が張り始めたら、
自分が決めた場所を毎朝割るのだそうです。
そうすると、割らない部分はどんどん氷が厚くなるのに、
その場所だけは、厳寒の日にも簡単に割ることができる。
ついでに、同種の問題をひとつ。
フランスには、ワインボトルの中に幅一杯の大きさの梨の実が入っているのがあるそうです。
どんな風にして、桃をボトルに入れることができたか?
正解はすぐにお分かりですね。
by Hologon158 | 2009-05-14 18:24 | ホロゴンドラマ | Comments(2)
Commented by top-to-toe at 2009-05-14 21:44
有名なリキュールにもありますよね。でもあれは梨だったか?

1000枚撮り。んー、私には無理。(笑)
ホロゴンさん、凡才じゃないけど、普段のスタンスから言うと
1000枚撮っても変わらない気も。
素敵なホロゴンさんの写真が1000枚ストックされるだけ。

今日の一枚は、なんだか不思議な感じ。
なんていうのかなー。アンビエントな映像の一コマって感じ。
色が相変わらずいいですね。
Commented by Hologon158 at 2009-05-15 00:13
re) top-to-toeさん
ごめんなさい、梨でした。
この写真の現場からして、ちょっと不思議な空間でした。
私はスナップ写真は撮らない、撮れない人間なのですが、
こんな場所を撮るときにも、時間、タイミングがあるなあと感じます。
この木漏れ日が不思議な気配を醸し出してくれたようですね。
実は、これ、私の大好きな写真なのです。
このなんだか分からないものが壁に吊られているのを見た途端、
これはいいっ!
なのに、ノーファインダーで、たった一枚撮っただけなのです。
その一枚になにかが写っていなければ、何枚撮っても同じ、
それが私の気持ちであり、また体験なのです。