わが友ホロゴン・わが夢タンバール

82.53 ホロゴンデイ24「2009年1月10日壷阪山は寂しく雪交じり」53 日本人の軽くなってしまった!

妻は、太宰治が生まれて満100年を迎えた19日、
故郷の五所川原市金木町で行われた生誕祭に参加してきました。
これで5年連続して、以前の名で言えば、太宰の黄桃忌に参列したことになります。
誕生日に亡くなってしまったそうで、法要と誕生祝いが一緒。
自殺した日を祝うのはまずいと、生誕祭に名前が変わったとのこと。
このあたりの変わり方って、私に言わせれば、ちょっとおかしい。
近頃のいわゆる不適切用語に対する圧迫の傾向に似ています。
以前の人は、そんなことは気にしなかったのにね。
形、表面ばかり気にかけて、内実、体質はぜんぜん変わっていない!
帰宅した妻と夕食時に話し合って、意見が一致したことは次のようなことでした。
近頃の日本文学の言葉の軽さ。
太宰を含めて、かつての文豪たちは、
原稿用紙のマス目を万年筆で一字ずつ書きこみ、
一つ一つの言葉を彫刻するようにして、
艱難辛苦を乗り越え、刻苦勉励して、一つの小説を生み出しました。
現代では、ワープロでバンバーンと垂れ流し(私の文章がまさにそれ)。
苦しみ、心意気、思い入れの深さが、言葉に大きな磁力と重力を与えています。
かつての文豪たちは、過去の文学に対する造詣、研究を深めて、
いわば文学の伝統の中で自分の文学を生み出したのです。
現代の作家たちは、ストーリーのバックグラウンド情報に関する調査は入念ですが、
自身に、人間としての素養、風格に欠けるので、
作品中の人物像がいかにも造形的で、真実味がありません。
物語としての面白さを追うばかりで、人間は人形でしかない。
その証拠に、読み終わると、もう記憶からさらりと消えていきます。
読者の心にぐいぐいと食い込んできて、しっかりと根をはやすだけの、
人間的真実などどこにもないからです。
その結果であり、その原因でもあるのでしょうが、
日本語は軽くなってしまった!
ということは、日本人の軽くなってしまったのです!
首相たちが漫画を読む国なんて!
ちょっとむかむかしてきたので、これでやめます。

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by Hologon158 | 2009-06-21 21:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)