わが友ホロゴン・わが夢タンバール

84.18 ホロゴンデイ24「04年1月台北郊外の町もやっぱり大安だった」18 サウンド・オブ・サイレンス

まだ子供の私、3歳半年下の弟と、小さなラジオを聴いていたのです。
アナウンサーがこう言いました、
「ただいまから、サウンド・オブ・サイレンスをお送りいたします」
サイモン&ガーファンクルの同名の歌がはやってから何年位のことでしょうか?
私は、てっきりこの曲を聴けるものと信じて、真剣に耳を傾けました。
ところが、ラジオは沈黙したまま、
5秒たっても、10秒たっても、なんにも聞こえてきません。
15秒ほど経ったでしょうか、ちょっといらいらしそうになった、その瞬間、
しずかに声を落としたアナウンサーの声、
「サウンド・オブ・サイレンスをお送りいたしました」
なんのことはない、完全にかつがれたのでした。
でも、沈黙の長さだけは経験できました。
王暁南という素敵な二胡奏者がいます。
リズム感が抜群で、ちょっとポピュラー音楽的な二胡を弾かせたら、
この人以上に生き生きと弾む音楽を創る人はいまい、私はそう信じています。
彼女の「天域胡琴」というCDの冒頭の音楽で先ほどの冗談を思い出しました。
まず生き生きと伴奏が始まります。
このCDの伴奏は実に見事。
主役の二胡をぜったいに食いません。
達者な演奏者たちが伴奏の仕事に徹して、実に洒脱に二胡を盛り上げてくれます。
この伴奏がすっと収まり、沈黙の間。
これがもう持たない、しびれがきれそうという直前あたりまで、ぐいと伸ばされて、
その次の瞬間に、颯爽と二胡がピアニッシモで登場するのです。
この間合いが絶妙。
うわー、こんなにくい出出しは初めてだ!
やられた!
そして、感じました、
この人は、沈黙まで音楽にしている!
沈黙、すなわち間をやすやすと駆使できるのは、
彼女の身体の中に、微小単位での時間の感覚がしっかりと生きているからでしょうか?
0.001秒ほどの間合いが左右するようなあたりで、音楽が創られているのです。
すると、彼女の演奏の隅から隅までが、
出出しの沈黙と同一のシビアな時間感覚がリードしていることに気づいたのです。
それが音楽ってものでしょうね。

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by Hologon158 | 2009-06-27 21:56 | ホロゴンドラマ | Comments(0)