わが友ホロゴン・わが夢タンバール

86.08 ホロゴンデイ24「06年3月26日大阪玉造裏通りで素敵なものたちに出会った」7 その物が喜ぶ

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画家香月泰男の言葉をまだ考えています。
「人が美しいと思うものを描いてもしょうがない」
「なんでもないものを描いてやったほうが、その物が喜ぶ」
私のロボーグラフィの極意のような言葉。
私が考えてきたのは、こんなことです。
「片隅にひっそりと隠れていたものが、
にわかに立ち上がって、私だけのためにアリアを歌ってくれる。
その瞬間、私にとって、それは美しい」
でも、ニュアンスは似ていても、結果は大きく違います。
香月のほんの数枚の絵を見ますと、
そんな「なんでもないもの」が香月の絵の世界の住民に変容を遂げています。
私の場合、ホロゴンがメタモルフォーゼを受け持ってくれます。
2人とも、なんでもないものが異貌のものに変身しています、
この点は似ている。
香月がどのように考えていたのか、私には分かりませんが、
自分のことは分かります。
私が現場で感じる、そのもののアリアは、必ずしも写真の結果と一致はいたしません。
でも、一致なんかしなくてもよい、私はそう考えています。
たいていの写真家は、一致すべきだとお考えです。
そうでなくては、自分の作品とは言い難いから。
私の場合、はじめっから、写真はホロゴンの作品と考えているので、
一致などするはずがない。
でも、私はそれを特別なものと感じるからシャッターを押すのです。
すると、ホロゴンが自分の好きなように料理します。
それでよいのです。
私はホロゴンの画像を心から愛しているのですから。
私は、どんな味でもよい、喜んでお料理をいただきます。
香月は猛烈に画材を工夫したようです。
つまり、自分で思う存分料理したのです。
このあたり、画家香月と写真素人私との間にはおおきな隔たりがあるようですね。
でも、どちらも「なんでもないもの」たちは喜んでいる、
私はそう信じたいのです。
by Hologon158 | 2009-06-30 00:10 | ホロゴンデイ | Comments(0)