わが友ホロゴン・わが夢タンバール

88.39 ホロゴンデイ25「2006年2月25日奈良東畑で辿るは過疎の道」39 写は人を以て貴しとす

「書は人を以て貴しとす」
書道の言葉だそうです。
美しい書を書きたければ、精神を美しくせねばならない。
私の師匠がおっしゃった言葉どおりです。
「...さん、いい写真を撮りたかったら、りっぱな人間にならないといけませんよ」
でも、どんな場合でも例外がありそうです。
中国では、そんな言葉とは裏腹の例として、張瑞図という人物があげられるようです。
強烈に特異な書体で、堂々たる気概にあふれています。
でも、明末専横をほしいままにした、中国史上悪名高い宦官魏忠賢にかわいがられ、
彼自身も魏忠賢の一派となり、失脚し、平民におとされます。
そのため、彼の書も一般に嫌悪の目で見られたそうです。
写真でも、そんなケースはかなりある感じがします。
とんでもない位に美しい写真をとるけど、人間はいただけない、そんな方、
あなたの近くにも一人や二人いませんか?
私の写真から、あなたは私のことをどうお感じになっているでしょうね?
ちょっと気になりますね。
こうも汚いもの、見捨てられたものばかり、
真っ正面から撮って、どうだ、見ろ見ろと言わんばかりでは、
へきえきして、この人、やっぱりおかしいんじゃないの?
きっと、この人も、かなり汚いんだろうな、なんてお考えかも知れませんね。
ご明察! なんて、口が裂けても言いたくはありませんが、
私が路傍に見捨てられたものたちに強烈なる共感を覚えているのは事実、
だから、自分じゃ、まんざら捨てたものじゃないと思いつつも、
実はかなりその線に近いんじゃないか、自分でもちょっと心配しています。
その証拠に、私は猛烈な悪筆なのです。
私の字を見れば、こいつ、悪者だ、となってしまいそうです。
そこで、私はこう提案したいのです。
冒頭に書いた考え方は間違っている。
美しい写真を撮るからと言って、撮影者自身の心が美しいとは限らない。
撮影者の心が美しいからと言って、写真が美しいとなるとは限らない。
したがって、私の写真を見ても、私の人間性を推測するのは、
やめてもらいたい!

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by Hologon158 | 2009-07-11 21:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)