98.14 ホロゴンデイ29「2006年6月24日大阪今里にはほんとの路地裏が残っていた」14 いかに生きるべきか?
前回のように、ちらりとでも死のことを考えると、連鎖反応があるようです。
仕事から帰り、郵便ポストを調べますと、見慣れぬ事務所からの通知。
ふっと過ぎる不安。
開いて、予感は的中しました。
大学の先輩で、その後一緒に仕事もしたこともある、尊敬する先輩の訃報でした。
70歳、社会的にかなり活躍した人でした。
どうやら3年もの闘病の甲斐なく亡くなったようです。
誰も死に神に勝つことはできないのですが、ちょっと早すぎる死、
やりたいことが一杯あったことでしょうに...
この瞬間、この現在、世界中、宇宙中で、数限りない存在が生き、そして死んでいるのです。
不死の世界がどこかにあるかも知れません。
でも、宇宙空間の成り立ちを考えても、誕生から死までのサイクルが宇宙の普遍現象。
いかなる存在も、その存在をおう歌する時期もあれば、
ある瞬間、その生の終焉を迎える時期もあるのです。
自分の番がいつ、どこで来るのか、誰にもわからない。
こんな風に考えると、一瞬一瞬が大切に見えてきます。
死後、別のサイクルが待っているのかいないのか、誰にも言えません。
生の次元が死の次元よりもよいという保証も実はありません。
でも、私は、死によって、私のサイクルは終わると仮定すべきであると考えます。
次のサイクルが待っていたら、また、がんばるより仕方がない。
でも、待っていなかったら、「なんだ、生きてる間、もっとがんばれば良かった」
なんて、慚愧の想いを抱くことさえもできないのですから。
というわけで、死後はないと仮定しますと、現在の生は唯一無二の大切なものとなります。
私たちに大切なことは、何をするかではありません。
たとえば、私たちは誰もがシュヴァイツアー、マザー・テレサのように生きるべきでしょうか?
宇宙の果ての存在にまで、そんな使命を要求するわけにはいかないでしょう。
私たちは、たいてい、平々凡々たる人生を歩むことになります。
そんな私たちとって、自分の置かれた環境で最善を尽くす、
少なくとも、自分の人生を自分らしく生きたと言える、そんな人生を歩む。
そのとき、心を込めて精一杯生きる、これこそ成すべきことではないでしょうか?
そう考えますと、自分の心が選んだことをもっと大切にしなければということに気づきます。
私は、他のいろいろなものも選らんだのですが、
写真も選んだのです。
では、写真人生をどう生きるべきでしょうか?
これも人それぞれに、自分の道を歩むべきでしょう。
私はどうやらホロゴン人生を選んだようです。
まっしぐらホロゴン道を歩いて行ってみましょう。
デッドエンドかも知れないし、途中、ふっと消えてしまう道かも知れない。
でも、終わりがないかのように、楽しく脇目を振らずに歩き続ける、
これしかないようですね。
少なくとも、これだけは言えます。
カメラをもって、五体満足、戸外を自由に歩き、そのうえ、大好きな写真を撮らせてもらえる!
今はひたすら、この幸せを噛みしめたいですね。
by Hologon158
| 2009-08-05 21:45
| ホロゴンデイ
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