わが友ホロゴン・わが夢タンバール

98.19 ホロゴンデイ29「2006年6月24日大阪今里にはほんとの路地裏が残っていた」19 上手を超えた下手

日経の文化欄で、韓国の陶芸家、閔泳麒(ミン・ヨンギ)さんの文を読みました。
かつて安土・桃山時代の茶人たちが愛好した高麗の「井戸茶碗」を再現しようとしたのです。
1日300個作り、そのうち10個を選んで、登り窯で焼いたのです。
師匠に見せると、返ってくるのは厳しい批評、こんな具合です、
「あるとき、形はよくなったが、気が入っていないとおっしゃった。
気が入っていないと、お茶を飲んでもおいしくないらしい。
どうしたらいいのですか、と聞いてみると、分からないという。
悩み抜いた末、私は誰にも負けないものを作るのだ、などと欲で仕事をしていた、
そう気がついて、気持ちを切り替えた。」
それから5年さらに苦労して、ようやく96年に個展を開くことができたとのことです。
「同じ井戸茶碗を作るにしても、前よりいいものを見せなければならない。
有名な「喜左右衛門」も、初めの頃、なぜこれが国宝なのかと思ったが、
改めてみると、上手を超えた下手というか、
レベルが「道」にまで高められている」
閔さんが書いておられる「気」と「道」、
なんにでも通じる、いわば極意の境地なのでしょうね。
「上手を超えた下手」、この言葉が気になります。
写真でも、上手な人はそれこそ数限りなくいます。
だから、巧い写真は見飽きました。
私は「この人巧いなあ」「この写真、実に巧い!」という風に感じると、
途端に、私の視野から写真が抜け出ていってしまうのです。
「いいなあ」と心の底から讃歎の溜息がわき上がってくる、
そんな写真にはなかなか出会えないものです。
巧さなんかどうでもいい、
「ああ、いいなあ、この人の気持ちで自然に撮っているな、
この人そのものなんだろうなあ」と感じられる写真だけが、私の目に残るのです。
朝鮮陶磁がまさにそうですね。
若いときは、その良さがぜんぜん分かりませんでした。
近頃、そのちょっと気合いを外したような、ゆとりのある遊びに、
実は大変な気合いが込められていると言うことに気づきました。
これこそが「上手を超えた下手」の境地なのでしょうか?
私は、なにもそんな超名人の境地に達したいわけではありません。
でも、巧さなんてほしくない。
だから、ノーファインダーで、撮るイメージを絶対に抱かないようにして撮っているのですが、
それでもなお、近頃、ときどき、感じるのですが、
私のホロゴン写真を「巧い写真」と受け取っている方がおられるみたい。
撮り慣れるうちに、私の心にあるイメージにホロゴンを合わせてしまう、
そんなことが起こっているのでしょうか?
でも、一番の理由は、私の撮り方にあるのではないかと感じています。
被写体に真っ正面に向いて、水平垂直に撮れば、
とてもしっかりとした画像が自然できてしまう。
それが「巧さ」の見せかけを作りだしているのかも知れない。
どうすればよいのか、私にはわかりません。
そんなわけで、ちょっとばかり、悩んでいるこの頃なのです。
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by Hologon158 | 2009-08-06 18:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)