わが友ホロゴン・わが夢タンバール

100.03 ホロゴンデイ30「2009年5月30日毘沙門天のお膝元信貴山に遊び」3 まどろっかしすぎるよ!

聖書の言葉を一つ引用させてください。
難しい言葉を一つも使わないでも、深い思想を語ることができる、
そんな一例をマタイ伝から。

    なぜ衣服のことで思い悩むのか。
    野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。
    働きもせず、紡ぎもしない。
    しかし、言っておく、
    栄華を極めたソロモンでさえ、
    この花の一つほどにも着飾っていなかった。
    今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
    神はこのように装ってくださる。
    まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、
    信仰の薄きものたちよ。
    (中略)
    だから、明日のことまで思い悩むな。
    明日のことは明日自らが思い悩む。
    その日の苦労は、その日だけで十分である。

イエスは、貧しい一般庶民を相手に話しているのです。
誰もが、子供でさえも理解できる、そんな言葉だけで語りかけたのです。
たとえ話はまさにそんな目的のためにイエスが考え出した方法なのです。
もう一つ、もっと分かりやすい例。

    ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が迷い出たとすれば、
    九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
    はっきり言っておくが、もしそれを見つけたら、
    迷わずにいた九十九匹よりも、その一匹のことを喜ぶだろう。
    そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、
    あなたがたの天の父の御心ではない。

誰にでも分かります。
こんな言葉でしか理解できない人でも、ちゃんと分かったのです
この言葉で、イエスが自分のことを言ってくれているのだと。
これが古代人の語り口なのです。
ユダヤ語で書かれた聖書は、ラテン語にもその他の言語にも、現代の諸国語にも、
なんの翻案もしないで、そのまま翻訳できてしまうのです。
文字を知らない人、子供が聞いてそっくりそのまま理解できる言葉、
耳にもっとも美しく流れ込んでくれる言葉、
それが、口承文学の言葉なのです。
「一万年の旅路」の文章は逆です、
長々と読み込んでみないと、今、なにのことを書いているのか、分からないのです。
たとえば、十行ばかり読み進んで、ははーん、皮服の発明のことを書いているんだ!
古代人、こんな長ったらしい説明に業を煮やして、こう言ったのではないでしょうか?
「なんだ、服のことかい、それじゃ、最初に、そう言ってくれたらいいのに!
あんたの話、まどろっかしすぎるよ!」
ますますこの本のことが理解ができなくなりました。

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by Hologon158 | 2009-08-11 00:11 | ホロゴンデイ | Comments(0)