わが友ホロゴン・わが夢タンバール

100.08 ホロゴンデイ30「2009年5月30日毘沙門天のお膝元信貴山に遊び」8 死者も生者も

ときどき、奇妙な気分になることがあります。
すでに物故した友人たちが今でも生きている、そんな感じがするのです。
ぜんぜん思い出さない人もいます。
でも、思い出す人は生き生きと記憶がよみがえります。
今この世にいないことが不思議なくらい。
これがキリスト者なら、友人が今どこにいるか、気になることでしょう。
「今頃は天国に」などと言い合ってみても、
神様が故人をどう裁くか、
その人の生涯のすべてを見渡せない遺族、友人には見当がつきません。
天国と地獄では大違い。
これが仏教徒なら、「今頃浄土においででしょう」と言い合うのですが、
実は六道地獄のどこにいるか、わかったものじゃないのです。
一度は人間道にはい上ったものの、悪業がたたり、
今は畜生道に落ちているかもしれないのですから。
いずれにせよ、本気で信仰していると、とても居心地が悪い状態になります。
私は信仰がないので、そんな居心地の悪さはありませんが、
でも、没後の世界を予測できない点では同じです。
でも、一つだけ間違いのない事実があります。
私たちの誰にも、心の中にしっかりと生きている故人がいるということ。
中には、あまり思い出したくない人もいるかも知れませんね。
でも、今はいさかいも不和もないのです。
そんな風に考えますと、私たちの心は、死者たちの少なくとも第二のすみかなのでしょうね。
その中には、少年の頃、ある路地ですれ違った美女もいるかも知れません。
たった一度声を交わしただけなのに、忘れられない人もいるでしょう。
私など、五島列島フェリーから下りたときに見た若い僧侶のことを忘れることができません。
「金のお鞍に、銀の鈴」と歌いながら、軽やかにスキップして、
そのまま、私の世界から永遠に姿を消したのですから。
記憶のなかでは、死者も生者も区別ありません。
みんな仲良く私の心の片隅に住んでいるのです。
懐かしい思い出がぎっしりと詰まった、無限容量のハードディスク、
それが私たちの心なのです。
大事にメインテナンスしましょうね。

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by Hologon158 | 2009-08-12 17:55 | ホロゴンデイ | Comments(0)