わが友ホロゴン・わが夢タンバール

100.16 ホロゴンデイ30「2009年5月30日毘沙門天のお膝元信貴山に遊び」16 可愛い貞心尼

良寛は、1827年(文政10年)70歳のとき、貞心尼30歳に出会います。
良寛没後4年後に、貞心尼は、良寛の歌集「はちすの露」を編纂し、
二人の問答歌を収めます。
発表したこと自体が、二人の関係が男女関係ではなかったことを証明しています。
貞心尼は、自分たちの関係を曲解する人はないと、深く確信していたのではないでしょうか?
そんなことがあれば、尼僧としての評判は決定的に傷つけられてしまうでしょうから。
でも、ほんとうに心を許しあった間柄であることは、
その発表された歌から明らかです。
良寛がある里に来たことを知って、貞心尼が駆けつけます。
すると、良寛は、明日には発つと言います。
がっかりしたからでしょうか、貞心尼は、良寛の姿形を見て、
「烏」というあだ名を付けます。
良寛、おもしろがって、一首できちゃいます、

いづこへも 立ちてを行かむ 明日よりは 烏てふ名を 人の付くれば

すると、貞心尼、甘えて、

山烏 里にい行かば 小烏も 誘いて行け 羽根弱くとも

良寛、もう舞い上がってしまって、ちょっと上づって返します、

誘いて 行かば行かめど 人の見て あやしめ見らば いかにしてまし

さすがに分別を働かせた、と言いたいところですが、
70歳すぎの老人なのに、孫みたいな尼僧との怪しい関係と疑われると、
わざわざ言い出すあたり、あやしい気持ちが心の奥にないわけではないと、
かえってほのめかしている、そんな感じではありませんか?

貞心尼は、良寛に自分から逢いに行くほどの真摯で勇敢な女性です、
老人のちょっとした下心など気づかぬ風情で、堂々と返します、

鳶は鳶 雀は雀 鷺は鷺 烏は烏 何かあやしき

親子が一緒に居て、なに問題があろう! という調子です。
なんと率直なやりとりでしょうか?
はっきりと、愛の問答歌とわかります。
でも、その文脈から、敬愛に満ちた師弟を超えては居ないと読み取れる、
だから、貞心尼は発表したのです。
たった4年のおつきあいでした。
でも、生まれてこの方、苦労に苦労を重ねてきた良寛さん、
最晩年に、孫ほどに若く、しかも美しい尼僧を心の友とすることができて、
きっと心の底から幸せだったことでしょう。

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by Hologon158 | 2009-08-13 21:08 | ホロゴンデイ | Comments(0)