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102.12ホロゴンデイ31「2005年11月12日大阪御堂筋の週末は暇で暇で」12 鶏が鳴いた!

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イエスは、最後の晩餐の席上、一番弟子のペテロに言います、
「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう」
ペテロは、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、
あなたのことを知らないなどとはけっして申しません」と答えます。
イエスが、ユダの裏切りによって逮捕されたとき、
ペテロは最高法院(サンへドリンと言います)の外に知らぬふりして座っていました。
ところが、三度、人々から、「イエスと一緒に居たじゃないか」と問い詰められます。
その度に、ペテロは「そんな人は知らない」と答えてしまいます。
答えるどころか、呪いの言葉まで出して、誓ってしまうのです。
その途端に、鶏が鳴いたのです。
ペテロは、イエスの言葉を思い出し、外に出て、激しく泣くのです。
バッハの「マタイ受難曲」でも、このあたりのシーンは一つの圧巻。
なにしろキリスト教の創始者でもあるペテロがイエスを裏切った、
その事実を聖書はちゃんと記録しているのです。
このあたりの人間的な弱さの自白がキリスト教に一種のヒューマニズムを与えているのです。
レンブラントは、女中から「あなたもイエスと一緒に居た」と言われて、
ギョッとするペテロの表情を見事に描き出しました。
女中は手にした蝋燭でペテロの顔を照らします。
カラヴァッジオ譲りの光の扱いですが、
蝋燭を利用するあたり、まさにラ・トゥールから直接の影響を思わせる表現です。
(このあたり、私の完全に勝手な推測ですから、受け売りなさらないように)
でも、この光の氾濫、衣や、兵士の兜の反射、素晴らしいじゃありませんか!
あんなに師に誓ったのに、いとも軽々しく否認してしまう、
ペテロという人間の覚悟のなさ、人間的な弱さを、その頼りなげな仕草を、
レンブラントは、この明るい光で露わにしてしまうのです。
こんな独創的で深い心理描写、絵画史の中でも際だっています、
これがレンブラントを巨匠としている由縁なのでは?
ペテロの否認だけをドラマチックに表現するために、画面を四角くして、
ペテロと女中を一杯に描きながら、左奥に奥行きを表現することで、
窮屈さを回避する、このあたりの画面構成は実に達者ですね。
なんて、素人の私が感心するのも、いかがなものでしょうか?
でも、惚れ惚れするような構図なのですから、仕方がないじゃないですか!

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by Hologon158 | 2009-08-23 00:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)