わが友ホロゴン・わが夢タンバール

104.11 ホロゴン写真展2「古色拾い」11 良心の声など無視!

時々、想像することがあります。
写真家であるって、どういうことなんだろう?
召命のようなものなのでしょう。
刻苦勉励、臥薪嘗胆の努力を重ねて、ついに写真家になる、
そんな話はあまり聞いたことがないので、
結局は、写真的才能が備わっている人間が、なにかのきっかけで写真に目覚め、
作品活動を始めて見たら、もう写真家だった、そんな人が多いようです。
もちろん努力と運が手伝ったとき、さらに華開くことになるのでしょう。
それが、たとえば、森山大道さんなのでしょう。
そこで、自分が森山大道並の大写真家であったとすれば、
どんなことが起こるだろう、そう考えてみますと、かなり苦しいですね。
あまり良いことが思う浮かばない。
自分が感動してばかりいるようじゃ、大衆にアピールしませんね。
大衆が感動するような写真を撮らなければならないのでしょうか?
それもちょっと違う。
最高の鑑賞力、眼力をもった鑑賞者さえもぎゃふんを言わせなければならない。
私の写真をあなたが見たら、すっと割り切れてしまうでしょう、
「ああ、ドラム缶撮りましたね。うん、がんばってますね」、この程度。
でも、写真家なら、こんな印象の写真とは次元が違うのだ!
じゃ、どんな写真を撮ればよいのか、これが想像つかないですね。
分かるのは、私のように、自分で「うわっ、いいな、これ撮ろう!」ではないはず。
もっと心のどこかから流れ出る血潮で輪郭をとったような、
愛と痛みと苦みと慚愧と憧れがごっちゃごちゃに混じり込んだような、
いわく言い難い、名状しがたい、表現しがたいなにかが画面のすみずみまで染みわたった、
噛みしめれば噛みしめるほど味があり、それなのにつかまえようとすれば、
どんどんと逃げて言ってしまうような、得体の知れない情感がじわっと昇ってくる、
そんな作品がなぜか出来てしまう、そんなところでしょうか?
これって、どんな写真だ?
そう尋ねられますと、分かりませんね、と、お答えするほかはありません。
一つ言えるのは、私には、大道さんをはじめとして、現代の写真家の写真世界、
これがぜんぜん分からないのです。
新世代の写真家たちの写真は、もっと分からないのです。
分かるのは、このことだけ。
そこで、写真家と私との違いがはっきりしてきます。

  写真家は、自分以外の人がどう感じるかを理解して、写真作品を展開できる人。
  私は、自分がどう感じるかを理解して、写真を撮り、作品としては展開しない人。
  写真家の写真とは、鑑賞者にはちょっと理解不能なんだけど、なぜか感動させられてしまう。
  私の写真とは、鑑賞者には容易に理解可能であるがために、感動させられない。

でも、こんなことはきれいさっぱり無視してしまう!
私は、勝手に「先覚者」の気分を味わって、楽しめるのですから。
誰も聞いていないところで、そっと宣言するのです、
私の写真を現代において理解できる人はいない、
残念だ!
でも、心を取り直そう!
そして、50年後、100年後の人間のために写真を撮ろう!
「真相は、みなさん、ちゃんと理解していて、つまらないと思うだけなんだけど...」、
そうつぶやく声が聞こえてくるんだけど、
私は、自分自身をひいきの引き倒ししながら生きているわけですから、
そんな良心の声など無視!
かくして、ブログに数知れぬ写真を掲載してしまうのです。
いけませんね、
人騒がせですよね...

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by Hologon158 | 2009-08-29 00:17 | ホロゴン写真展 | Comments(0)