わが友ホロゴン・わが夢タンバール

107.59 ホロゴンデイ32「2009年9月5日新潟よいとこ、よい人、一度はおいで」59 路地でも一旦停止!

路地を歩いていて、至る所に見つけるのは、停止信号。
かなり細い路地まで、車が入り込んで疾走します。
危険回避はまず歩行者がしなければならない事態。
でも、歩くという行為は、本当のところ、考えるという行為と一体なのです。
歩くリズムが、ものごとを突き詰めて考えるリズムとぴったり一致している。
これは生物学的に当然のことなのかも知れません。
(ただし、例によって、私は完全な素人的推測をしていることをお忘れなく。)
人間は、進化の過程で二足歩行を実現し、それとともにどうやら頭脳が発達した。
つまり、人間は、狩をしたり、食料を探したり、ねぐらを探したり、
危険から逃げたり、安全な方向、場所を探したり、
そんな生存のために頭を使う作業を全部休みなく歩きながら行ったのです。
おそらく狼ほどではなくても、人間も一日にかなりの距離を歩いたはず。
その間、目は油断なく周囲を見張りながら、大事な作業手順を常に考えていた。
そこで、たとえば、ソクラテス、アリストテレス、カントのように、
歩きながら、難しい思考を展開することを習慣とした哲学者たちがいます。
歩くと、びんびんと脳細胞が活性化されるようです。
坂本龍馬など、それまでの誰もしたことがないほど活発に、
江戸、関西、九州とたえずバンバンと移動しまくっています。
その中には、ウォーキングもかなりあったはず。
だから、彼の頭はびんびんと進化し続けたのです。
(これも私の勝手な新説です。私は信じていますが、あなたは信じないように)
私たち歩行者も、程度の差こそあれ、同様に、思考をめぐらせながら歩きます。
ところが、車はそんなことお構いなく疾走します。
まさに、車は急に停まれない。
こうして、路地裏まで、停止標識を路面に描くことになったのです。
しかし、人間の知覚というのは、見慣れたものは無視するようにできています。
見慣れたものは安全なのですから。
というわけで、停止標識となる絵はどんどんとエスカレートして、
こんな派手なものになってしまったわけです。
でも、これもいつまで持つのやら?

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by Hologon158 | 2009-09-23 17:43 | ホロゴンデイ | Comments(0)