わが友ホロゴン・わが夢タンバール

112.07 ホロゴンデイ34「2006年12月5日も、奈良でホロゴンだけで撮っていた」7 ブラボー!

バベットのことをもう少し書きたいですね。
彼女は、パリ第一級のレストランのシェフでした。
集まるのは、大ブルジョワたち。
バベットは、コミューンの乱で民衆の側に立った人物なのです。
でも、自分の芸術を理解してくれたのは、敵側である大ブルジョワたちだったのです。
芸術は、どんなに偉大であっても、それを理解してくれるものがいないと成り立たない、
それがどんなに憎むべき悪党たちであっても。
ですから、バベットは言います、
「でも、それでも、わたくしはパリには戻りません。
だって、わたくしが名を挙げた人たちはもうそこにはいないのですから」
「あの人たちは、わたくしのものでした。
あの人たちは、わたくしがどんなに偉大な芸術家ということを理解するために、
あなた方がお考えになるよりずっとたくさんの費用をかけて、
育てられ、教育されました」
そんな人がいなければ、芸術家は最善のものを出し切れないのです。
バベットを理解してくれた偉大なオペラ歌手がバベットにこう言ったのです、
「芸術家にとって、自分の持てる最高のものを出し切らずに、
拍手喝采をおくられるのは、怖ろしく、また耐え難いことだ」
昔、テレビで、テノール歌手フランシスコ・アライサの東京リサイタルを観ました。
非常に柔らかな歌声の歌手で、ロッシーニのような古いオペラを得意としていました。
でも、人気が出るにつれ、アライサも、もっと強い声を要求する、プッチーニ、ヴェルディを
レパートリーに加えざるを得なくなりました。
でも、彼の声質には無理なのです。
クライマックスで、彼が歌ったプッチーニのアリアは、もう声が疲れて、
メロメロヨタヨタでした。
でも、東京のファンたちは、歌が終わるや、「ブラボー、ブラボー」の大合唱!
唖然としました。
そして、そのときのアライサの表情を、私は忘れることができません。
なんとか笑顔を浮かべようとするのですが、
その笑顔の陰から困惑と怒りが走馬燈のように浮かび上がり、
その場にいたたまれない、そんな風情がありました。
ひいきの引き倒しというのは、このことです。
どんな芸術にもそうですが、東京のようなメガロポリスには、
もう目茶苦茶に心酔しきったファン、オタクというものがいて、
こんな稀な来日のチャンスには、大地から湧いてくるようにわらわらと姿を現し、
集まってくるのです。
そして、おらがものさと言わんばかりに我が物顔に陶酔し、
あばたもえくぼとばかりに、なにがなんでも喝采するのです。
芸術家は、自分の出来が分かっています。
その出来にふさわしい評価をしてくれれば、聴衆に敬意を抱きます。
でも、ひいきの引き倒しに出会ったとき、バベットの回想する歌手の言葉どおり、
怖ろしく、耐え難いと感じるのです。
ちなみに、この1988年の東京でのリサイタルは、
「ベスト・ミュージカル・イヴェント・オブ・ザ・イヤー」を受賞したとのこと。
私には、なんとも理解できない現象。
アライサは、それならなおさらのこと、二度と東京に来たいとは思わなかったでしょう。
あなた、自分がひどい出来であると分かっている写真で、
あるいは、やらせをして撮ったスナップで、大きな賞を取ったとしたら、
うれしいですか?
自分のことを誇らしく思いますか?

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by Hologon158 | 2009-10-12 10:18 | ホロゴンデイ | Comments(0)