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134.12 ホロゴンデイ39「平成10年1月16日大阪日本橋にレアレンズちん入し」12 長谷川等伯の自信

今年は、長谷川等伯の没後400年です。
別冊太陽がその記念特集を組んでくれました。
この人も不思議な人です。
能登の戦国大名の家臣の末裔として生まれ、能登で仏絵師として過ごし
中年になって京に出て雌伏十数年、51歳で突然、檜舞台に躍り出ます。
その後は、日本有数の画家として華々しい画歴を展開したのです。
別冊太陽では、その雌伏の間、
狩野派をはじめとするさまざまな流派を学んでいたと推理しています。
能登時代の仏絵からは、謹厳実直に精緻に描き込んだ絵を描いていた人が、
豪壮華麗雄渾多彩変幻自在の画風に生まれ変わっている!
どうしてこんなことが起こったのでしょうか?
私は、等伯のことなどまったく知りませんが、
彼の年譜から次のように感じられます。
能登から京に上った理由は不明ですが、
北陸の小国の絵師が京で通用するとはよもや考えなかったことでしょう。
でも、彼が京に実際に一家で移住したのですから、すでにかなりやる気満々だったのでしょう。
その後、どんなことをして生活していたかは分かりませんが、
ともかく雌伏の期間中に、さまざまな流派を試していって、こう感じたのです。
みんな大したことがない、
絵が死んでいる、
おれは、こんな流派を全部ひっくるめて、吹っ飛ばしてやれる!
こういう自信って、もの凄い威力を発揮しますね。
そんなとき、この自信プラスαがあるか否かが、運命の分かれ道。
自信ばかりついたけど、それに伴う才能と努力がないと、破滅の方向に行きます。
近頃で言いますと、こういうのを「小沢・鳩山症候群kobatosyndrome」と言います。
自信を裏打ちする才能と、それを上回る努力が勢揃いすると、
これこそ大芸術家たちのたどった道。
等伯は、「松林図屛風」を初めとする国宝、重文を数々をものしてゆきます。
そのすべてから言えることがひとつ、
等伯は、つねに作風を変転させていたのです。
そのすべてについて言えることは、私のような素人目にも、
筆が猛烈な勢いで走っていること。
強烈なる自信とほとばしるようなエネルギーを感じます。
西暦1610年世を去ったとき、まだ72歳だったのですから、
彼の本格的な創造活動はたった20年間だったのです。
彼も又歴史を駆け抜けた創造の天才だったのですね。

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by Hologon158 | 2010-02-01 14:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)