136.43 ホロゴンデイ40「2006年5月3日、天理の山辺の道を一人で歩いていた」43 お風呂好きですか?
東郷隆の短編集「明治通り沿い奇譚」(新潮文庫)を読んでいます。
今読んでいるのは、銭湯を扱った「タイル絵」。
今でこそ銭湯はとても少なくなり、ジャグジーだ、サウナだと付加価値を工夫して、
それでもなかなか成り立たない状況のようです。
風呂のない家がほとんどなくなったのですから、無理はありません。
私の子供の頃は、一定間隔を置いて、随所に風呂屋が盛んに営業していました。
私の家は幸か不幸か浴室付きでした。
でも、まだ幼児の頃、何回か行った記憶があります。
なにも覚えていませんが、それで風呂好きになったということもなし。
というより、私は大の風呂嫌い。
入浴にかける時間が惜しい。
でも、妻が、ドラえもんのしずかちゃん並にお風呂が好きなので、
やむなく毎日お風呂に入り、洗髪します。
惜しい惜しいと思いつつ、でも、すでに週間化している。
週間というのは恐ろしいものです。
お風呂に入らなかったり、トイレから出るとき手を洗わなかったら、
なんだかばい菌がいっぱいついたままのような気がして、
気持ちの悪いことおびただしい。
私は、それでもやっぱりお風呂嫌い、だから、必然的に温泉も嫌い。
とくに、相客がいたりすると、見たくないものを見てしまったような気分で、
つくづくヌーディストでなくてよかったとため息。
そして、考えるのですが、どうも人間は衣服を着るようになって、堕落したのです。
衣服が美しい外観を作り出してくれるので、
体そのものを美しく保つ必要がなくなってしまいました。
おかげで、美しい体を持つ人は、男女ともとても少ない。
そのうえ、衣服が人間を階級化し、差別を作り出しました。
動物を見てください。
ある種の動物をのぞきますと、どんな動物も裸体なのに、とても美しい。
とてもなめらかに、流れるように動きます。
常に戦闘状態にあるからです。
黒澤の「七人の侍」で、農民に戦闘技術を教え込む歴戦の侍がこう叱咤します、
「走れ、走れ! いくさとは走ることぞ!
走れなくなったときが死ぬときぞ!」
まるでサッカー、ラグビー、ホッケーみたいですね。
でも、動物たちは、毎日、オリンピックみたいなものです。
それも、生きるためのスポーツ。
だから、体が完全に機能的に動く。
人間は、馬、馬車、車等、補助手段の発達につれて、
生きるために走る必要がなくなりました。
人間の社会化は、階級的な衣服の発達を伴っています。
そのときから、体型が崩れ始めたのかもしれません。
私たちがオリンピックに夢中になるのは、
スポーツによって鍛えられた肉体の人間たちの姿に、
ある種の失われた理想郷を見るからかもしれませんね。
もっとも私自身は、年齢を重ねるにつれて、
オリンピックに夢中になる度合いが減少しています。
今回のオリンピックなど、インターネットニュースを見るだけ。
仙人化なのでしょうか?
ちょっと危険な兆候ですね。
今読んでいるのは、銭湯を扱った「タイル絵」。
今でこそ銭湯はとても少なくなり、ジャグジーだ、サウナだと付加価値を工夫して、
それでもなかなか成り立たない状況のようです。
風呂のない家がほとんどなくなったのですから、無理はありません。
私の子供の頃は、一定間隔を置いて、随所に風呂屋が盛んに営業していました。
私の家は幸か不幸か浴室付きでした。
でも、まだ幼児の頃、何回か行った記憶があります。
なにも覚えていませんが、それで風呂好きになったということもなし。
というより、私は大の風呂嫌い。
入浴にかける時間が惜しい。
でも、妻が、ドラえもんのしずかちゃん並にお風呂が好きなので、
やむなく毎日お風呂に入り、洗髪します。
惜しい惜しいと思いつつ、でも、すでに週間化している。
週間というのは恐ろしいものです。
お風呂に入らなかったり、トイレから出るとき手を洗わなかったら、
なんだかばい菌がいっぱいついたままのような気がして、
気持ちの悪いことおびただしい。
私は、それでもやっぱりお風呂嫌い、だから、必然的に温泉も嫌い。
とくに、相客がいたりすると、見たくないものを見てしまったような気分で、
つくづくヌーディストでなくてよかったとため息。
そして、考えるのですが、どうも人間は衣服を着るようになって、堕落したのです。
衣服が美しい外観を作り出してくれるので、
体そのものを美しく保つ必要がなくなってしまいました。
おかげで、美しい体を持つ人は、男女ともとても少ない。
そのうえ、衣服が人間を階級化し、差別を作り出しました。
動物を見てください。
ある種の動物をのぞきますと、どんな動物も裸体なのに、とても美しい。
とてもなめらかに、流れるように動きます。
常に戦闘状態にあるからです。
黒澤の「七人の侍」で、農民に戦闘技術を教え込む歴戦の侍がこう叱咤します、
「走れ、走れ! いくさとは走ることぞ!
走れなくなったときが死ぬときぞ!」
まるでサッカー、ラグビー、ホッケーみたいですね。
でも、動物たちは、毎日、オリンピックみたいなものです。
それも、生きるためのスポーツ。
だから、体が完全に機能的に動く。
人間は、馬、馬車、車等、補助手段の発達につれて、
生きるために走る必要がなくなりました。
人間の社会化は、階級的な衣服の発達を伴っています。
そのときから、体型が崩れ始めたのかもしれません。
私たちがオリンピックに夢中になるのは、
スポーツによって鍛えられた肉体の人間たちの姿に、
ある種の失われた理想郷を見るからかもしれませんね。
もっとも私自身は、年齢を重ねるにつれて、
オリンピックに夢中になる度合いが減少しています。
今回のオリンピックなど、インターネットニュースを見るだけ。
仙人化なのでしょうか?
ちょっと危険な兆候ですね。
by Hologon158
| 2010-02-17 20:07
| ホロゴンデイ
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