わが友ホロゴン・わが夢タンバール

147.23 ホロゴントラベル1「2010年3月13日清正築城の熊本城の膝元で」23 わたしゃシャーマンか?

飯沢耕太郎「写真的思考」(河出ブックス)を読み始めました。
難しいですね。
私にはとても理解できそうにありませんね。

   メカニズムであるカメラのレンズによって捉えられた写真は、
   見慣れた既知の世界の眺めとは微妙にずれているように感じられる。
   多くの場合、そのごく微かなずれにこそ、写真が僕を強く引きつける
   なにものかが潜んでいるように思えたのだ。

複雑な論理が展開して、彼の結論はこうです、

   写真的思考とは、ある種の神話的想像力の発現である。
   そして、写真家とはカメラを抱えたシャーマンである。

写真家のあなた、ご苦労様です。
あなた、シャーマンなのですよ。
私は、もちろんシャーマンではありません。
私は、神話的想像力など、意識するにせよしないにせよ、発揮していません。
私が撮るときは、あくまでものをものとしてと捉えている。
ものをものとして、私の人生の伴侶、出会いの相手として捉えます。
もちろん、ホロゴンのような突拍子もない超広角とレンズ描写故に、
できあがりの写真は、私が現実に目にしたものとはほとんど関係がありません。
でも、だから、神話的な変容を経ているわけではない。
単にレンズによる変容を経ているだけ。
それだけで、私には十分です。
もともと撮る者と観る者との区分は、私のばあいはないのですから。
私が撮り、私が観て楽しむ、そのとき、私は写真の向こうの超越的な世界を観るのではなく、
私が出会った現実の世界の記憶を取り戻すのです。
飯沢さんはまさか、ご自分が規定したような写真以外は認めないというわけではないでしょう。
私のような素人の楽しみは、それはそれとして、私の人生に意味がある。
カメラと写真とが人生の不可欠のファクターとなってしまった人間には、
私のような人間もいるのです。

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by Hologon158 | 2010-04-18 16:45 | ホロゴントラベル | Comments(0)