わが友ホロゴン・わが夢タンバール

154.15 ホロゴンデイ47「2010年3月14日熊本の小都市玉名は初夏並の暑さで」15 野暮というもので

154.15  ホロゴンデイ47「2010年3月14日熊本の小都市玉名は初夏並の暑さで」15 野暮というもので_c0168172_1833197.jpg


昨日木曜日が休業日だったので、合計6日間お休みをしました。
全国的に、長短はあっても、例年以上に長い連休をどなたも楽しんだようですね。
まだ連休が続いている方もお出でになるようです。
今日も、昼食のレストラン、たいがいは連休旅行組でした。
私は6日間の連休中、法要と撮影に各1日外出しただけで、
残りは家にこもっていました。
6日間にブログの記事を30ばかり作り、フィルムスキャンを大量にしました。
   だから、どうだ?
そう言われると、どうもなにか達成したという気分はありません。
揚琴の方は、付虹先生の宿題3曲のうち、2曲は暗譜が完了し、
3曲全部につき、楽譜的にですが、ほぼ完全に弾けるようになりました。
でも、だから、かなり上達したぞという自負の思いは沸き上がってきません。
付虹先生の演奏には、ペーソスがあります。
たとえ私の宿題のための模範演奏であっても、
演奏を聴いていると、だんだんとなにかしら感情がこみあげてくるのです。
私のような素人が弾くと、そうした感情ではなく、
うん、ちゃんと最後まで弾けた、いや、弾けなかったという評価にとどまります。
写真でも、音楽でも、そうですね。
ただ写真になっている、ちゃんと弾いたという評価を越えて、
鑑賞者が、ああ、これはすばらしい、とても魅力的だ、そう感じるためには、
撮影者自身が、どこかで、あるフェンスを乗り越えなければなりません。
乗り越えたか、越えていないかは、常に誰の目にも一目瞭然とは行きませんが、
越えていないときは、誰の目にもはっきりわかるものです。

   あんたの揚琴が越えていないことはわかった、わかった。
   で、ブログの写真と文章、自分で乗り越えていると思うの?
あなたは意地悪くそう質問するかも知れませんね。
それって、野暮な質問です。

   じゃ、私のブログの写真と文章を人がどう感じているか?
はっきりわかります。
これも言うだけ、野暮というもので。
by Hologon158 | 2010-05-07 18:35 | ホロゴンデイ | Comments(0)