156.23 ホロゴンデイ48「2006年10月8日心斎橋には絢爛濃密な秋があった」23 なんたる不毛な作業!
私がいつも訪問するブログで、
私ほど自分の写真のことを飽かず書き続けている方はいませんね。
ブログを始める前から、写真をはじめて30年余、
私は、絶えず、果てしなく、自分の写真と格闘してきました。
これからもずっと格闘し続けることでしょう。
格闘しているのは、写真をやっているほとんどの方がそうかも知れません。
私の特異点は、その格闘の経緯をたえず文章にしてきたことです。
文章にするばかりでなく、人に読んでもらう形にします。
その理由は簡単。
そういう形でないと、文章が書けない。
文章を書かないと、考えられない。
私は公私ともにいわば、文章作成マシーン的人生を送ってきました。
思い返すと、妻へのラブレターも、普通の手紙じゃありませんでした。
今ブログに書いているようならちもない雑感を書き、小冊子にしていたのです。
実に危険なことをしたものです。
私の文章に辟易し、この人、きっととてもシツコイ粘着質な人間だ、
こんな人と一生つきあうのなんてごめんだ、
そう思われていたら、アウトでした。
幸い、現実につきあっている私の生身の人間は、当時から陽性そのもので、
粘着質とは遠くかけ離れていたことが幸いしたのでしょう。
私は人生たった一回の恋の相手と結婚できたのですが、
その後、ずっと真実の愛を貫いてきたと、自慢させていただいてもよろしいでしょう。
写真も同様です。
私は、写真を始めてから終始一貫して、
写真とカメラに対する真剣な愛情をほとんど一日たりとも忘れませんでした。
私は、一度好きになると、ずっとずっと、とことん好きという人間なのです。
そして、絶えず写真のことを考え、文章にして誰かに送ってきました。
なにを書いたか、あんまりたくさんなので、細目は記憶していません。
でも、形こそ多種多様、変幻自在に書いてきましたが、
根幹はたった一つ、
つまり、好きだ、好きだ、写真が大好きだ!
ということは、このブログも一種のラブレターなのです。
チェスタートンの短編推理小説で、富豪が出てきます。
金の金魚が大の自慢で、どんなことを話していても、必ず金魚の話に落ち着くのです。
富豪の話のお相手は、もう金魚の話に飽き飽き。
私もこの富豪にそっくりです。
私の場合は、金の金魚は、娘の静であり、写真でありと、一杯あります。
きっと、私のブログがいつまで経っても、ごく少数の方しかおいでにならないのも、
ときどき来てみても、なんだ、また同じ話ばっかりじゃないか!
大事な人生、Hologon158なんかにつきあってられるか!
先日、私の亡母の家と、その裏の私の小さな新婚用の住宅を処分したとき、
大掃除をすると、私のラブレターも数十冊出てきたのです。
持ち帰ってはみたものの、懐かしく読んだか?
読まない、
恥ずかしくって、読みたくない!
ヘタな文章なので、読めない!
私は徹底的に未来に生きる人間らしいのです。
昔のことは全部忘れてゆきます。
今なにをしたいか、未来になにをしたいか?
それだけが私の関心事だと気づいたのは、このことからでした。
こうしてブログに3から12個の記事を連日連夜アップしつづけています。
幾度か書きました、ブログは日記だ、
将来、これを読み返したら、リアルタイムに私の人生がよみがえるはず、と。
でも、だんだんわかってきたこと、それは、
こんなよみがえりは起こりそうにない!
きっと読み返したりなどしないだろう!
おそらくほとんど誰も読んでいないでしょうから、
結局、私のブログって、書き流して、そのままどぶに捨ててゆく、そんな作業。
見ようによっては、なんたる不毛な作業!
でも、一向にかまわないことに気づきました。
今、ここで、この文章を書くこと、
これだけが私に大切なことなのですから。
by Hologon158
| 2010-05-20 00:14
| ホロゴンデイ
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