わが友ホロゴン・わが夢タンバール

160.45 ホロゴンデイ50 「2010年2月9日晴れの天王寺で僕はごきげん」45 天知る、地知る

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ときどき考えます。
    どうして信仰を得ることができなかったのだろう?
わかりませんね。
    両親を含めて、周囲に信仰を持つ人間がいなかったこともあるのかもしれません。
逆に、信仰を持つ人のかなりの多数は、
幼児の頃から、当然のこととして、信仰をもっていたのではないでしょうか?
信仰をもつきっかけのひとつは、
自分か自分の愛する家族に降り懸かった不幸であるようです。
    哲人アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドがそうでした。
    第一次世界大戦で最愛かつ最良の長男を失ったのです。
    その悲嘆のどん底から彼を立ち直らせたのは、カトリック信仰でした。
    ですから、彼の形而上学は、神の存在をその不可欠のファクタートして含んでいます。

ときどき考えます、
    日本人がもっと信仰的であったら、来世の存在を信じていたら、
    もっと違う行動をするのではないでしょうか?

中国のいにしえの逸話にこんなものがあります。

    ある人が官吏に巨額の賄賂を渡そうとします。
    官吏はこれを断ります。
    すると、その人はこう言ったのです、
        「誰も見ていないじゃないですか?
        誰にもわかりませんよ」
    官吏は、厳然としてこう答えました、
        「天が知っています、
         大地が知っています、
         あなたが知っています、
         私が知っています」
        (天知る、地知る、子知る、我知る)

中国人もこのような清廉な役人ばかりではないので、
だから、この逸話が残ったのですが、
日本のお役人は、天も地も信じていない。
    以前、大蔵省の高級官僚たちが接待漬けの常態にあることがばれて、
    その誇りと責任とを忘れた醜い姿にあきれたものですが、
    私は、今でもその常態は直っていない、そう疑っています。
なぜか?
    先輩たちがそうだったのだから、自分たちだって、というわけです。
    日本人は信仰がないので、横並びの精神を基本としているからです。
ぴったりの標語があります、

    「交差点の赤信号、みんなでわたれば怖くない」
by Hologon158 | 2010-06-16 18:05 | ホロゴンデイ | Comments(0)