わが友ホロゴン・わが夢タンバール

170.46 ホロゴンデイ53「2010年5月11日大阪玉造から鶴橋へ下町お遍路」46 路地裏に美が育つ


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昨日、天下茶屋の路地裏を歩いていて、つくづく感じたことがあります。
    路地裏には、生活があります。
    それも、長い長い時間を経てきた生活があります。
    新興住宅地にはそれがありません。
    路地裏の住民たちは、どっしりと腰を落ち着けています。
    ですから、家の内側のことは分かりませんが、
    家の外側のものたちがじっくりと熟成するようにして、
    次第に独特の形を整えてゆきます。
そのようにして時間をかけて熟成したものは、
    その場所にしかない、独自の形をもちはじめます。
    そして、そのような独自の形はいつも、
    美しい!

美しくないものは、長く保たないのです。
    言いかえれば、長く保つものは美しいから保つのです。
もちろん美というものは、たいてい相対的なものです。
    私が美しいと思っても、あなたはそう思わないでしょう。
    このブログがそれを証明しています。
    私は、すべて美しいと感じるのですが、
    ゴミ箱やドラム缶を美しいとは誰しも思わないらしい。

要するに、私の美の基準はフレキシブル、多様、かつ広いようです。
    言いかえると、異常なのかも知れません。
    でも、そんな風に言えば、すべての人が異常かも知れません。

一つ言えることは、誰が何を美しいと感じているか、誰にも分からないこと。
    その逆もまた、真です。
ということで、ほかの人が何を美しいと感じるかなど、どうでもよいのです。
    私が、それを美しいと感じさえすれば、それが美の必要十分条件。
    嬉しいことに、どのような町に行っても、どのような路地を歩いても、
    私が美しいと思うものが数知れず見つかります。
でも、それにしても、天下茶屋には異常に沢山見つかりました。
    結局、12歳から28歳まで大阪に住んだ私は、
    大阪人なのかも知れません。

    だから、天下茶屋のようなナニワの巷に親しみを感じるのかも?
by Hologon158 | 2010-09-06 00:04 | ホロゴンデイ | Comments(0)