わが友ホロゴン・わが夢タンバール

174.16 ホロゴントラベル5「2010年8月ブロガーに曳かれて新潟参り」16 ホロゴンで反抗?


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新潟でも、都市の様相を感得し理解しようなどという、
    高尚な気構えなど見せずに、
    どうでもよいような路傍の捨て草を拾い続けていますね。

なぜなのでしょうか?
抽象画について、おもしろい解釈を読みました。
こんな解釈です。

    人間は成長するにつれて、あれこれと規範を習得し、
    成人すると、あれをしてはならない、これをすべきだと、
    目に見えない制約にがんじがらめに縛られながら、
    しかもそれに気づかないで、生きる羽目に陥っている。
    抽象画は、そうした目に見えない制約をはねのけたい、
    でもはねのけられない、という、人間の状況の表現なのだ、

そう言われてみて、ふーん、なんだかそんな気もするな、
    という気がしてきました。
とくに私には、かなり当てはまる感じがします。
    子供の頃、とてもよい子だったようです。
    元来、羽目を外すことのできない性格。
    選んだ職業も、固いと言ったらこれ以上はないほどに、固い。
    でも、そうした人生を、
    心の中での冒険でバランスをとってきたのかも知れない、
    そう私は気づいたのです。
と言っても、不埒な想像に身を任すなんてことではありません。
    むしろ内面の領域や文学やアートへの志向の面で、
    ピカレスクや反抗や冒険へ傾斜してきた感じがします。
    誰にもある、ジキル博士とハイド氏の葛藤。

ホロゴンウルトラワイドに出会ったとき、どうやら、
    私は、写真の領域でのハイド氏の世界を見つけたようです。
    ホロゴンというレンズそのものに誘因があったわけではありません。
    ホロゴンはあくまでも由緒ただしいレンズです。
    ホロゴンを使って、見事な風景画を撮ることだって、
    可能かも知れません(まだ見たことはありませんが)。

私という人間とホロゴンとが出会ったとき、
    そこで起こった化学反応が必然的にストリート志向、
    それも超接写、
    となると、路傍しかない、
    よし、行けるところまで行ってみよう!
    こうしてたどり着いたのが、ロボグラフィの世界だった。
私の品行方正な生活の裏に隠された抵抗志向が、
    私をロボグラフィへと導いた。
    こんなことかも知れませんね。
by Hologon158 | 2010-09-14 21:31 | ホロゴントラベル | Comments(0)