わが友ホロゴン・わが夢タンバール

193.50 ホロゴントラベル8「2005年2月25日、岡山牛窓は絶好のホロゴン日和」50 文章を音楽のように


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先日書いた詩人南邦和さんの自伝的集大成「故郷と原郷」を読み始めました。
    昔、彼の文章を読んだことがあり、詩集も数冊いただき、読みました。
    男性的魅力にあふれた人物で、明晰そのものの文章を書く人ですが、
    その行間から、とても繊細な心映えがみずみずしく浮かび上がってくる、
    まことに艶麗な文章を書く人です。
    その印象は20数年を経た今読んでも変わりません。

まあ、こんな文章です。

    晴れた日も雨の日も、
    岬の突端には釣り糸を垂れている彫像のような無言の父の姿があった。
    日南の海は、私にとって鎮魂の海である。
    この私にも遠からず、入り江と岬の果てしなく続くその父祖の地の、
    わが墳墓へと回帰してゆく日がくるに違いない。
    そのとき、日南は、はじめて私の真のふるさとになるだろう。

潤沢な言葉の奔流で思いを語る、そんなタイプの文筆家ですね。

逆のタイプの文筆家は、簡潔を旨とします。
    史上最高の簡潔な報告文はなにか?

    あなたはどう思いますか?
    私は、これ一つしか思いつきません。

        「来た、見た、勝った Veni vidi vici」

    カエサルの戦勝報告です。
    この3つの文章で、戦いの状況と結果が尽くされています。
    要するに、カエサル軍は、敵国に侵入し、敵の主力軍を見つけ、打ち破ったのです。
    その簡潔さは、もっと豊かな情報も伝えています。
    その勝ち方は、完勝であり、ローマがなんの心配もする必要がないこと、
    つまり、一件落着であること。
    そのうえ、頭韻も脚韻も踏んで、文学的表現にもなっている。
    カエサルは、希代の文筆家であることをたった3語で証明しているわけです。

南さんもカエサルも、ある一面では共通しています。
    言葉を音符として、
    文章を音楽のようにリズミックに構築します。

私は、ごらんのとおり、
    電報みたいな報告文書形式の文章しか書けません。
    そんな私から見ると、南さんもカエサルも垂涎の文章。
    私は、文章家ではないのですから、しかたがありません。
一生限りない文章を書きましたが、それはすべて職業上の文書。
    目標は、明確で誤解の余地のない文章、それに尽きます。
    同僚には、そんな文書のさわりに、
    ピリッとくるような表現を入れたいとがんばっている人もいました。
    余計なことです。

カエサルは軍人でした。
    部下にも、同様の簡潔にして要を尽くした報告をいつも求めていたはずです。
    どんな軍隊もバトルランゲージを発達させます。
    死と隣り合わせの戦場の修羅場の中では、
    報告も命令も、誤解の余地のない明確さと単純さを要求されます。
    戦勝の後、まだアドレナリンが沸騰しているカエサルは、
    バトルランゲージとして、さきほどの報告文をさっと書き上げたはずなのです。

    名剣一閃、闇にきらりと光る、そんな文章ですね。
by Hologon158 | 2010-12-14 20:35 | ホロゴントラベル | Comments(0)