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217.24 ホロゴンデイ64「2007年2月13日奈良竹内街道は晴れ渡っていた」24 クレー、友よ!



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パウル・クレー

この人は大した芸術家でした。
小さな紙に宇宙を創造することのできた人でした。

「アーティストの言葉」には、クレーの言葉も収録されています。
私がクレーに夢中になるのも、無理はない。
この言葉を見つけて、私はそう確信しました。
ロボグラフィの原理をそのままそっくり現しているからです。

芸術の本質は
見えるものをそのまま
再現するのではなく
見えるようにすることにある。

おっと、腹を立てないで。
もちろん、ロボグラフィは芸術ではありません。
それに、私はクレーの専門家でもないし、
美術研究者でもありません。

クレーは、この言葉で、
私が考えているのとは全然違う意味を込めていたかも知れません。

でも、私は直感するのです。
クレーは、目に見えているものは、
目に見えているとおりの存在ではなく、
もっともっと別の、もっともっと深い存在だ、
そう考えていた。

路傍にあるものもそうです。
たとえば、今回の大きな管。
ただのガラクタのパイプが野積みされている、
ただそれだけ。
一見、そう見えます。
でも、パイプたちにも歴史があります。
それぞれにさまざまの紆余曲折を経て、ここに野積みされた。
これからも、なにがあるか、予測はできませんが、
パイプという存在でなくなる前に、
まだまださまざまな紆余曲折を経るだろう、
このことは確実に予測できます。

このパイプたちは、そんな過去・現在・未来を持つ存在なのです。
宇宙の片隅に、しっかりと足場を確保して、
堂々とそこに在るのです。

その「在ること」を、今、目に見えるものだけで、見えたと思う。
それは、自分に対しては、傲慢で浅はか、
パイプたちに対しては、失礼であり、かつ間違っています。

とすると、写真もまた、そんな過去を持ち、
不確定の未来を予感させるパイプの生涯、存在を、
存在感豊かに描き出すものでありたいものです。

パイプ自身、そんな自分の過去・現在・未来を意識していない。
でも、存在としては、しっかりと過去・現在・未来をつかんで、
そこにどっしりと根を下ろしているのです。

成功するかどうかは別として、志としては、
そんなものとして、パイプを撮りたい。
それがロボグラフィ。
by Hologon158 | 2011-03-22 01:28 | ホロゴンデイ | Comments(0)