わが友ホロゴン・わが夢タンバール

231.14 ホロゴン外傳16「2011年5月14日伏見稲荷をおかしなレンズたちが」14 今、悲劇が進行し



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私は、前回書きましたホワイトヘッドという人に
ずいぶん私淑した時代がありました。

彼の主著「Process and Reality」は、平易な英語で書かれていますが、
ハイデガーの「存在と時間」よりも難解と言われたほど、
深遠な思想に満ちていて、
私のような素人にはとても歯が立たない書物でしたが、
「科学と近代世界」のような、
もう少し砕けた講演集には、英知がいっぱい詰まっていて、
繰り返し繰り返し読んだものでした。

その中で、ギリシア悲劇の本質をこう述べていたことを思い出します。

「悲劇とは、ものごとの仮借なき進行である」

福島第一原発に事故が発生した後現在までの経緯を見るにつけ、
この言葉を思い出さないわけにはまいりません。

悲劇の特質は、平穏無事な生活を楽しむ人間たちに、
突然、どうしようもない困難の連鎖が襲いかかることにあります。
この悲劇にも、文明的、文化的な違いがあります。
ギリシア悲劇やシェークスピア悲劇は、
強靱なる魂が運命にあらがって、暴虎馮河、獅子奮迅の戦いをします。

日本の悲劇、たとえば、近松では、
平々凡々たる一市井人が、性格と判断の弱さから、
ずるずると、のっぴきならない深みにずり落ちてゆきます。

面白いと言ったら語弊がありますが、
今回の原発悲劇の主役たち、
東電マクベスと菅内閣ハムレット、どちらも事態の余りの大きさに、
震えあがり、とにかく目先の問題をなんとか覆い隠そうと、
無我夢中にあがきまわります。
典型的な日本悲劇の筋書きをちゃんと辿っておいでになります。

まず、東電ちゃん、狼狽したあげく、
成算も見通しも何にもないけど、とにかく、こう言い張り続けることにします。

原子炉は安全強固に保たれている。
燃料棒はメルトダウンをしていない。

そのうち、運が良ければ、なんとか無事切り抜けられるかもしれない。
でも、原発の冷温安定への道はあまりにも険しい。
一向に、事態は好転しません。
それは分かっているけど、一旦、白を切り始めたら、もう続けるより他はない。

原子炉に穴が空いて、じゃじゃ漏りはとっくの昔に分かっている。
当たり前です。原子炉の容積の何十倍と冷水を注ぎ込んでいるのに、
燃料棒は頭を出したままなのですから。
じゃじゃ漏れの水がいつか無視できない量になることは分かっているけど、

とにかく知らんぷりだあ!

一旦、嘘をつき始めると、その嘘に次の嘘を重ねないわけには行きません。

とうとうこらえきれなくなって、
燃料棒はもうやられてしまいましたと白状しますが、
「やっぱりメルトダウンだね」と言われると、
「そうとばかり解釈するのはどうもねえ.....」と苦しい陳弁。
「もっと前に調べたら、原子炉と燃料棒の状態はわかったでしょ」と言われると、
「ぜーんぜん、ぼくちゃん、お水入れるのにいっしょけんめだったので、
そんなこと、ぜーんぜん気づかなかったよ」

菅内閣父さん、専門家たちから、原発はやばいよ、
メルトダウンは起こっているし、原子炉も穴あいていると指摘されても、

「私は、かわいい東電ちゃんを信じます。
東電ちゃんが、原発のこと心配ないと言っているのです。
私は母です、大事な我が子が言うことを信じ通します」

なんて、東電ちゃんと一緒に、「御輿だ、わっしょい!」
この悲劇、かなり幼稚園の学芸会風にお粗末な出来。
でも、放射能汚染の悲劇は着々と進行しています。

近松悲劇の結末は概ね1つです。
けっしてハッピーエンドは起こりません。
自分のミスのツケが貯まりに貯まり、にっちもさっちも行かなくなり、
どうしようもなくなって、最後は、美しく心中に.....
原発悲劇が近松悲劇をなぞることのないように、祈りたいですね。

近松悲劇でも、主人公たちは、心中することで、
美しく、納得の行く最後を遂げることができます。
でも、残された家族たちを待っているのは、地獄の苦しみ。

東電と政府とがただしい耐震、耐津浪設計をせず、
非常用電源を含む安全対策もおざなりに放置したおかげで、
近隣住民は土地を失い、家を失い、職場を失い、故郷を失い、
避難民として流浪の旅に出ざるをえなくなって、
その流浪がいつまで続くか、誰にも言えないのです。
by Hologon158 | 2011-05-25 21:41 | ホロゴン外傳 | Comments(0)