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238.11 ホロゴンデイ71「2005年6月7日 大和郡山は雨のち曇りだった」11 Creative Impulse



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Creative Impulse

なにか新しいことをしたい、
なにか新しいものを作りたい、
なんでもいい、自分でなにかをしたい、
そんな気持ちが内から湧いてきて、
心や体を動かしたくなる。
そんな気持ちになることがありませんか?

私はたえず、そんな気持ちに駆られています。
なにをするという大きな目標などありません。
ただめったやたらに、なにかをしたい。
Creative Impulseって、そんな状態なのでしょうか?

「創造衝動」と訳されることがあるようですが、
なにも創造でなくてもよいのです。
アーティストじゃないので、アートである必要もありません。
やれること、やりたいことであれば、なんでもよい。

写真を撮り歩くのも、そのようなことの一つなのでしょう。
目標を定めて撮るわけではなく、
企画を育てようとしているわけでもありません。
撮ったものはすべてスキャンしてハードディスクにストックされるだけ。
そんなことでも、私のCreative Impulseは満足するようです。

今、ここで、なにかをしたい。
なにかをする。
それで満足する。
そんなところでしょうか?

そこで思うのですが、ひょっとしたら、
これが人間の文化、文明が進化する仕掛けなのかも知れません。

人間はたえず、このCreative Impulseに突き動かされていて、
ときには、創造的な人間が人間生活のどこかの側面に新しいものを創り出す。
すると、もう後戻りはできない。

一番分かりやすい例が美術。
ダ・ヴィンチが、フェルメールが、ゴッホが、セザンヌが、ピカソが、
これまで誰も考えたこともないような表現を生み出す。
すると、もうその表現は人類のものとなって、
それからは、その表現が超克されるべき基本ラインとなってしまう。

あらゆる場面に、100メートル10秒のラインがあって、
人類の誰かがそれを飛び越えるのを待っているのです。
誰が飛び越えるか、誰にもわかりません。

ロトのようなものですね。
ただの数字の羅列が、ある日、あるところで、ドンピシャリ、正しい数列になる。
大当たり!

ですから、神様は、誰でも飛び越えるチャンスを与えるために、
すべての人に、たとえ創造性はなくても、
Creative Impulseだけは与えておいでになるのでしょう。
私は創造予備軍というわけです。

でも、まだ人生はあります。
by Hologon158 | 2011-06-13 18:12 | ホロゴンデイ | Comments(0)