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240.14 ホロゴン外傳17「2011年6月16日東大寺界隈に怪レンズ徘徊し」14 ヴォルス覚書



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昨日、書店でちょっと面白そうな本を見つけました。

黒岩恭介「発見する力」(水声社)

「現代美術の時空間」と副題されています。
その冒頭の1章が「ヴォルス覚書」
20世紀の主要な前衛美術運動の1つである
「アンフォルメル」の中心的画家なのだそうです。

ペンで細かく描き込まれた水彩画とは対照的に、
油絵では、大胆なタッチと思い切った迷いのない作画。
そう要約しています。

グーグルで、ヴォルスの絵を検索してみると、
まさに黒岩さんの書いているとおり。

「画家を1つの職業と考えるなら、
ヴォルスは画家ですらなかった。
無限の可能性を秘める混沌、形象化の一歩手前のところで、
38歳という若さで死んでしまうのである」

その晩年をサルトルが回顧しています、

「1945年、ボトルを抱えずだ袋を持った、
頭の禿げたヴォルスに会った。
ずだ袋には彼の世界、彼の苦悩が、ボトルには彼の死が入っていた。
33歳の彼は50歳の老人に見えた。
その眼には、もはや青春の悲哀は消え失せていた」

黒岩さんは、ここで、どんでん返しを見せてくれます。

「しかし、今日のヴォルスの評価を決定づけた油彩の作品群を
創造したのは、まさにこの時期であった」
「晩年の油彩群はいわば世界との対決から生まれたものである。
ここでは、それまでのヴォルスの体験を突き抜け、超出する芸術の、
いや宇宙そのものの創造が問題となっている」

ヴォルスの生命力はすべて油絵の中に注ぎ込まれてしまったのでしょうか?
絵を描くという行為は、彼の若返らせてはくれなかったようです。
ラム酒を飲み続けるアルコール中毒だったのは、芸術のため?
それとも、芸術故?

彼の絵を見ていますと、どんな風に見ても、幸せな絵ではありません。
まるで自分の魂に傷を付けてゆくような、激しい苦悩を刻んでいます。

フェルメールは、「真珠の首飾りの少女」を完成したとき、
静かな喜びと幸福感に心が一杯に満たされる想いだったことでしょう。
ヴォルスは、そんな喜びと幸福感には無縁の生涯だったかも知れません。

この二人の芸術家をこれほど対照的な存在にしているのは、
何なのでしょう?

人でしょうか?
時代でしょうか?



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by Hologon158 | 2011-06-20 15:40 | ホロゴン外傳 | Comments(0)