わが友ホロゴン・わが夢タンバール

242.15 ホロゴンデイ72「2011年1月29日 正月恒例の近江八幡巡りは快晴」15 スイッチが入り



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今日は、仕事がいっぱい重なって、異常に忙しい1日でした。

私は一つ特技を持っています。
忙しければ忙しいほど、頭の働きが早くなるのです。

普段は、かなりボケーとしています。
たとえば、なにか嫌みとか皮肉を言われても、とっさに言い返すのは無理。
妻や娘の静(猫ですが)は、常時、電光石火の思考でかかってきますので、
とても太刀打ちできません。

静など、私をあごで使います。
私の部屋で夕食をいただくのですが、
食事が終わったとたんに、さっと走ってきて、
「ああ、おいしかった、パパ、ありがとう」なんてことは言わないで、
やにわに立ち上がり、机に向かっている私の膝に両手をさっと載せます。
その一番長い爪がちゃんと出されていて、
私のズボンを貫いて、肌にしっかり立ちます。
「イタタタ」と、私はさっと立ち上がって、部屋のドアを開けます。
静は、その隙間を疾風のように通り抜けて、階下へ。
もう次にしたいことを考えているのです。

そんな私ですが、仕事が火事場のような忙しさになると、
今度は頭にスイッチが入り、
バトル・フェイズに切り替わるのです。
のんびり・フェイズのときには絶対に思いつかないようなアイデアが飛び出します。
どんな不意打ちにもちゃんと臨機応変に対応できます。

ただし、こんな風にバトル・フェイズに切り替わるのは、
私がその場を取り仕切れるときだけ。
これは、誰でもそうでしょうね。
人の指揮下に入ると、攻撃を受けない限り、
ノンビリ・フェイズのまま、「お好きにどうぞ」式。
つまり、やっかいなことに、私は、人の下で行動できない人間なのです。

写真を撮るときって、私がすべての事態を取り仕切れる状況です。
でも、撮り始めたら、
すぐにバトル・フェイズにすんなり入れるわけではありません。
スポーツでだんだんと体があたたまるように、
精神も、駆動し始めて、次第にあたたまり、いつかフルに動くようになります。
そのためには、ひたすら撮る、これしかありません。

私は、仲間と一緒のときは声を出して、一人のときは心の中で、
盛んに言葉を発します。

「いい!」
「最高!」
「もう、絶好調!」
「今日は、良い日になりそう!」
「すばらしい!」
「こんなのに出会えるなんて!」

自分をハイに持ってゆくために、できることは何でもします。
そうすると、ノンビリ・フェイズでは見えないものが見えてきます。
ロボグラフィを撮る人って、誰でもそうなのですが、
私はいつも、端からみると、
「なんで、こんなものを撮るんだ?」と驚くほど、なんでもない場所を撮ります。
「ここ、いいですよ」と言っても、私の友人たち、誰も撮りません。

写真バトル・フェイズに入っていますから、
私には、この場所が、私の撮りたい場所であることが分かります。
どう撮れるか、までは分かりません。
私の場合、それはカメラ、レンズ任せ。
コントロール不能のレンズばかりなのですから。
でも、確かに面白いと私が思う写真を撮ってくれる、そう分かります。

路上で人とすれ違ったときも、そうです。
フォトジェニックな人も居れば、そうでない人も居ます。
フォトジェニックな状態にある人もいれば、そうでない人もいます。
それが分かった途端に、行動できなければなりません。
ちょっと躊躇するだけで、もうシャッターチャンスを逸します。
バトル・フェイズに入っていたら、そんな見極めが簡単。

だからと言って、
私が凄い写真を撮ると言っているのではありませんよ。
結果は、あいかわらず、こんな程度でしかありません。
自分の器量と才能で撮れるのは、この程度です。
それは分かっています。
私は、自分を過大評価はしない人間ですから。

だから、そんなこと、ちっとも気にしていません。
自分の精神が高揚している状態で撮っている、
その結果がなんであれ、私は撮った、
そう言えるだけで、幸せなのです。

結果は零、プロセスだけが大切。
要するに、私はバトルが好きなのでしょうね。
by Hologon158 | 2011-06-24 18:26 | ホロゴンデイ | Comments(0)