わが友ホロゴン・わが夢タンバール

260.13 ホロゴンデイ75「2006年3月23日飛鳥に来ると、ホロゴンが燃える」13 どんな片隅も



日本画家畠中光亨さんの六曲一双の大画

   「禅河懐流」

黄金色に全土が染まった河畔、
右隻の右端に、巨木に腰をかける修行者、
おそらく釈尊、まだかなり若い。

左隻、右から3扇目に、河に落ちていく真紅の太陽。
ただ、それだけ。

絵の意味は分かりません。
ただ静けさがあたりを支配しています。
でも、寂寞とした感じはありません。

むしろ修行僧が大地と太陽とを前にして、
たじろがず、端然と座している、そんな感じです。
これが人間なのでしょう。

宇宙、大地、外界をそれと覚知して、
その中に居て、しかも外界と対峙する存在として、
自分をとらえることができる、
それが人間。

余計なこと、ただ生きてりゃいいじゃないか?
そう考える人もいるでしょう。

でも、自分自身がいなくなっても、
なお世界は存在し続けると知ると、
そのことを無視することはできなくなります。
だから、人間は苦しみます。
独りぼっちなんだけど、独りぼっちではない。

釈尊の悟りはこのような宇宙との対峙から生み出されていったのかも知れません。

私は、ただ、写真を撮ります。
意味があるかどうか、知りません。
おそらく無意味なのでしょう。

でも、私が撮るどんな片隅も、
宇宙の片隅なのです。
私もまた、宇宙の片隅、
中心ではありません。



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by Hologon158 | 2011-08-18 10:36 | ホロゴンデイ | Comments(0)