わが友ホロゴン・わが夢タンバール

283.05 ホロゴンデイ78「2007年8月4日伊賀焼きの里で少し撮りました」5 現代写真を考える



a1photoさんは、オーソドックスな写真観の持ち主です。
一枚一枚、しっかりと一つの写真として完結し、
しっかりとした意味とイメージとを見る人に与えるべきだ。

彼のスナップは、彼独自の距離感で撮られています。
中距離。
私は、スナップにくわしくありませんが、
これが難しい距離であることは分かります。
人物を周辺の環境の中で活かせるメリットがありますが、
一方では、異質な要素が入り込んで、邪魔をする危険があります。
普通は、もう数歩踏み込んでいます。
つまり、彼は、その難しい距離をこなせる経験と実力の持ち主。

彼には、別の得意技があります。
超接近して、被写体の女性やものを圧倒的な存在感で描き出します。
その他、さまざまなアプローチの写真を自在に組み合わせるのが、
彼の写真世界。

「乾いたユーモア」と言いたくなるような独特の味わいがあります。
ときには、爆笑を誘うこともあります。
いずれにせよ、ある種の理解力と写真読解力が必要です。
彼のそんな諧謔風味を味わうのは、もしかすると、
高年齢層だけかも知れません。

若者たちはもっと直接的です。
考え、理解して味わうというようなまどろかっしいことはパスして、
直接、フィーリングにどんと訴えかけてくるものだけに反応します。
それが、どんな意味を持つか、言葉で説明せよと言っても、
若者はきょとんとするだけでしょう。
なぜ、そんなことをしなければならないの?
ぐっと来たんだから、それで十分じゃないの?

佐内正史氏は、一枚一枚に意味を込めようとはしません。
何十枚と、音符を並べるように、写真を並べることによって、
醸し出される雰囲気、メッセージを主眼として、写真を撮ります。
これは、多かれ少なかれ、現代写真家のほとんどがとる手法。

ですから、一枚一枚大まじめに、「これは何を意味するのか?」
なんて自問していますと、疲れ切ります。
そんな意味なんて、ないのですから。

ある大写真家がこう教えていました、
「2枚、3枚の写真を並べたとき、その写真の間に、
個々の写真にはなかったなにかを浮かび上がらせる、
これが大切です」

美しいメロディーを展開したベートーベン、ブラームスの音楽は、
もう遙か昔の遺物になってしまいました。
現代音楽は、変拍子とパターンの反復によって、
リスナーを独自の精神状態に誘います。

その精神状態は、たいていの場合、
怒り、不安、絶望のような、ネガティブな要素を含みます。
部分、部分をとっても、なんの意味も生まれません。
すべてのパーツが統合されて、全体となってはじめて、
フィーリングを生み出します。

その音楽に乗れない人には、騒音以外の何者でもない。
私は、現代写真も現代音楽もご免ですね。

もちろん幾多の例外があります。
私も大好きな現代音楽があり、大好きな現代写真があります。
でも、それらはすべてポジティブなものだけ。
私なりの美と愛と理想に生きたい。

佐内正史氏の「生きている」は大変な影響力を持つ写真集だそうです。
でも私は、その影響を受けるなんて、ご免です。
むしろ、a1photoさんの写真世界を楽しむ方を選びます。



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by Hologon158 | 2011-11-19 14:02 | ホロゴンデイ | Comments(0)