わが友ホロゴン・わが夢タンバール

292.19 ホロゴンデイ79「2007年1月6日新年近江八幡詣で濡れに濡れ」19 剣士が立ち会い


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2011年以来、レンズテストに明け暮れる日々が続いています。

週3回の出勤日には平均100枚、週末には平均700から800枚、
毎週約1000枚、毎月約4000枚の写真が、
マックのハードディスクに氾濫しつつあります。

それでなにをしたいのだ?
真剣にそう問いなおしますと、はたと詰まります。

写真家であれば、なにか目的、目標を設定して、
その準備作業なのだと言えるでしょう。
たとえば、グレン・グールドは、
バッハ演奏にふさわしいピアノをかなり探したようです。
写真家なら、テーマにふさわしいレンズを探すことでしょう。

昔、写真家の秋山亮二は、
ニューヨークを撮るにあたって、
ローライ二眼レフとコニカの一眼レフ標準レンズを選択し、
この異質な2本のレンズを組み合わせて、
かなり気の効いたカラーの写真集を作りました。
コニカの現代的な写り、
プラナー80mmf2.8のクラシックな渋い画像、
互いにとてもよくマッチしていました。

私はもとより、そんな芸術的意図などまったくないので、
まさにいきあたりばったりに撮って、
全部、ハードディスクに死蔵する毎日。
まさに掃き溜めに枯れ葉を掃き集めるような、
シジュポスが永遠に岩を丘に押し上げるような、
傍目には、不毛の作業という風に見えることでしょう。
実際、そうなのでしょう。

でも、私の心は満ち足りています。
職場界隈の同じ場所を繰り返し繰り返し撮ります。
今日も撮りました。
次第に、場所の記憶が、アトモスフェアの気分、印象が、
私の心と身体にしみこんでゆきます。
外に現れない成果なのですが、
それが私という人間の存立基盤です。

たとえば、剣士が立ち会いするとき、
その場が始めてであれば、
とりあえず歩き回ることで、足場を確認するでしょう。
未知の凹凸を見逃したら、
刹那の瞬間、足をとられるかもしれないのですから。

同様に、私たちも、生きてゆきながら、
まるで裸足で大地を踏みしめるようにして、
自分の街、自分の大好きな街を歩きまわって、
自分の環境、置かれた状況をしっかり把握することが、
人生をエンジョイする最良の方法なのではないでしょうか?

こんな風に考えますと、
私は、写真を楽しむと見えて、
本当は人生を楽しもうとしているのかも知れません。
by Hologon158 | 2012-01-11 20:02 | Comments(0)