わが友ホロゴン・わが夢タンバール

308.16 ホロゴン外傳33「2012年2月18日キノプラズマートも横に居た」16 任那日本府滅亡



308.16 ホロゴン外傳33「2012年2月18日キノプラズマートも横に居た」16 任那日本府滅亡_c0168172_18145845.jpg




日本書記の不思議の一つは、欽明天皇の項。

任那日本府が百済軍と一緒に新羅と戦い続ける詳細な記事が、
エピソードを交えて掲載されています。
ところが、日本書紀にはこんなにくわしいのに、
古事記にはまるでそんな出来事は顔を見せません。
それどころか、古事記のどこにもそんな記事がないのです。

かなりの軍勢が出征し、朝廷の重要人物たちが参戦したなのに、
稗田のは、まったくその伝承を受け継いでいなかったのでしょうか?
とにかく古事記には、朝鮮半島で大和朝廷が戦った記事などありません。

海外遠征であり、敵国の勢力圏で長年戦ったのです。
九州が大和朝廷の傘下にあったとすれば、
そんな一地方でまかないきれる問題ではないはず。
しかも、百済は幾度も直接天皇に使者を幾度も送り、支援を求め、
大和朝廷の総力を挙げての戦争が続いたのです。
大和の名族の有力者とその子弟が続々と出征し、
功績を挙げ、あるいは異国の戦場に露となって消えたことでしょう。
その挙げ句、最終的には敗北し、這々の体で撤退したのです。

欽明は539年から571年在位の29代天皇。
古事記は712年(和銅5年)、707年から715年在位の43代元明天皇時代。
ということは、おおよそ150年後の成立です。
明治維新と現代との間隔とほとんど同じ。

秀吉軍の遠征以前に、倭が海外において戦ったたった一度の総力戦であり、
しかも、倭が朝鮮半島における足がかりを完全に喪失した歴史なのです。
これが大和朝廷の出来事であったとしたら、
古事記の時代にも、まだ大和には遺族、子孫が残り、
人々の伝承に残っていたことでしょう。
そんな功績、勲功、艱難辛苦をあっさり無視してしまったら、
人々はどう考えたでしょう。

でも、そんなことをあっさり無視した古事記は、
立派に大和朝廷の歴史記録として成立しました。

可能性3つです。

   1 そんな出来事はなかった。
   2 あったけれども、敗北の記録なので、削除。
   3 あったけれども、大和朝廷の事績ではなかった。

1は、はなから無視できます。
朝鮮半島の史書にちゃんと書かれているからです。

2も否定すべきでしょう。
大和朝廷の人々が記憶するに値する出来事は、
稗田阿礼のような語り部に、
「帝紀」「旧辞」として、きちんと記憶させてきました。
さまざまな国の口伝の伝承文学のように、
口伝は事あるごとに、なにかの記念日、式典、祝祭に朗唱され、
人々の記憶を新たにし、強化し、団結の基礎としたのです。

もし大和朝廷が敗北したとすれば、その敗北を取り返すためにも、
その事績を無視するわけには行きません。
むしろ報復、復興、威信回復、反撃のためのバネとして伝承されるはず。
なによりも、倭が朝鮮半島に進出し、任那日本府を創業した歴史こそ、
大和朝廷の大きな業績だったはずなのに、
これに至っては、古事記、日本書紀いずれにも一切痕跡がありません。

太安万侶は、古事記をまとめるにあたり、
大和朝廷の記録文書をチェックし、相互検証をしなかったのでしょうか?
もちろんしたはずです。
正確で完璧な大和朝廷の史書を作成する使命からは当然のことです。

これだけ詳細かつ具体的な年次を付した記録です。
口伝で伝わったものでないことは明らかです。
大和朝廷が日本国の支配者として朝鮮半島で角逐を繰り広げた記録なのです。
では、なぜそれを古事記に取り込まなかったのか?

史家として、とても理解できない判断ではありませんか。
すると、3の可能性が浮かびあがります。

   そんな史書は当時大和朝廷にはなかったか、
   あったとしても、他の王朝の記録だったのです。

日本書紀作成にあたり、さまざまな矛盾する史書を整理して、
正しい史書を編纂した旨の記載があります。
これが真相なのです。

古事記制作の前か後かは分かりませんが、
大和朝廷は他の国の記録を手に入れていたのです。
古事記に使われなかったこれらの記録には、
大和朝廷を日本全国の支配者と認めがたい記事がいっぱいあった。
太安万侶は他国の記事なので、あっさり無視しました。

しかし、日本書紀の編者は、これらの立派な事績の記事を換骨奪胎し、
重要人物を大和朝廷の人物に入れ替えて、
記事としたのです。

重要でない人物は、特定不能にするために、名前は省略して、
原文そのままにしたので、
未知の人たちの名前が並んでしまいました。
これらはみんな九州王朝の人間なのです。

興味のある方は一度お読みになってください。
朝鮮の記事だけがなんともおかしな雰囲気なのです。
実に具体的で、まるで春秋左氏傳か史記を読むような、リアルな雰囲気。
でも、大和朝廷の人間らしきものが出てくると、
ふーん、朝鮮半島から遙かに離れた大和の人間が、
こうすいすいと朝鮮にわたって、
言葉もまるで不自由じゃないみたいだけど、
そんな簡単に活躍できたのかな?
そんな疑問が湧いてくるのです。
by Hologon158 | 2012-03-08 18:18 | ホロゴン外傳 | Comments(0)