わが友ホロゴン・わが夢タンバール

316.27 ホロゴンデイ83「2006年9月2日大阪の庶民の町八尾をホロゴン片手に」27 ダス・ゲマイネ



316.27 ホロゴンデイ83「2006年9月2日大阪の庶民の町八尾をホロゴン片手に」27 ダス・ゲマイネ_c0168172_22213100.jpg




太宰治の「ダス・ゲマイネ」を読んでいます。

彼の小説を読むたびに感じること、それは、

    なんと歯切れのよい、リズム感のある文章だろう!

よく使われる慣用語で言いますと、
サクサクサクと進んで行き、
彼がなにを言いたいのか、今どんなことが起こっているの、
ごくすんなりと頭の中に収まってゆきます。
しかも、毒があります。
読者は目が離せなくなります。
なにを書いているのか、なにを書きたいのか、
隅々までわかっている人の文章です。
頭の良い人の文章ですね。

妻は、ときどき私のブログをのぞくようです。
彼女はとても明晰正確で美しい文章を書くことができます。
そんな彼女がにんまりと笑いながら言います、

    「あなたの文章、とても読めたものじゃないわね。
     それにいつまであんな写真撮っているの?
     いい加減に卒業したら?」

こんなときは、
「ははっ、一言もない」
ひたすら平伏して、やりすごします。

ちょっと言い訳しますと、
私のブログが行分けをしているのには、深い(または浅い)理由があるのです。

    通常の場合、次の行になにを書くか、まるでわかっていないからです。
    あなた、自分が考えるとき、Aを考えるときに、
    つぎにBを考えるだろうなどと、わかっていますか?
    予測できませんね。
    次々と頭の中に走馬燈のようにアイデアが浮かんでくる、それが思考です。
    私がブログ作成でしているのは、まさにこれ。

だから、一行一行とぼとぼと歩いていきます。
話がどこに行くのか、結論がどうなるのか、
すべて思いつきに任せます。
けっして方向、目標は定めない。
あなた任せ、風任せの股旅者というわけです。
ですから、添削、修正、推敲はいたしません。
そんなことをしていたら、疲れてしまいます。
一度プレビューでざっと読み、誤字脱字だけをチェックして、
そのまま投稿します。
どうせほとんど誰も読まないのだから、気楽。

全国に数人読む人がいても、お互いに匿名なのだから、
ブログの恥は書き捨て!
99.9%再読いたしません。
だから、私も恥に気づかない。
いつか再読することがあって、余裕があれば、推敲いたしましょう。

もうおわかりでしょう。
私はこの世で一番怖いことをしているのです。

    少なくとも一つ一つの文章の話題に関して、
    頭の中を丸だししてしまっています。
    人間性、性格、気質、偏見、誤謬、全部一切合切さらけ出しているのです。

なぜ、そんな恐ろしいことを平気でできるのか?
答えは簡単。

    人が私のことをどう考えようが、どう評価しようが、
    まるで気になりません。
    無名の人間に失うべき地位、名声、立場、評判などないのですから、
    失うものがまるでない。

友人が読むだろう?
気にならないの?
ご心配なく。
私の友人はみんな忙しいか、インターネットをしていないので、読まない。

妻も、ちょっとのぞくだけで、絶対に読まない。
私よりも猛烈に忙しい人なのですから。

読まれて困るのは、娘たちですが、教えた記憶はありません。
とくに読まれたら困るのは末娘ですが、
彼女はパソコンを使わないので、心配がない(猫ですから)。

この2年、ブログを通じて知り合った友人たちは時々おいでになるようです。
これはちょっと困りますが、
大好物の蜂蜜を蜂の巣から手に入れたければ、
ミツバチに刺されるのは覚悟しなくちゃ。
それに、友人たちに今更格好を付けても始まりませんね。

第1、写真を数枚見せるだけで、自分をさらけ出してしまうのですから、
そのうえ、文章で自分をさらけ出したからと言って、
なにを今更、というところでしょう。

あと何年続けられるか、まるで予測できませんが、
幸いにして幾年も幾年も続けていくことができて、
あなおそろしや、ボケが始まったら、
医師よりも早く、ブログ仲間の方が察知してくれることでしょう。

ここで声あり!

    「心配ないよ、Hologon158君、
     もうボケは始まっているから。
     いつもいつも同じことばかり、くどくど書いているじゃないの。
     これがボケの証拠でなくて、なんだというの?」
by Hologon158 | 2012-04-17 00:33 | ホロゴンデイ | Comments(0)