316.28 ホロゴンデイ83「2006年9月2日大阪の庶民の町八尾をホロゴン片手に」28 さらば、枯淡の風格
坂口安吾の「枯淡の風格を排す」
やっぱりおもしろいですね。
葉に衣を着せぬ論説が小気味よいリズムで展開します。
Neonさんのブログで、「日本文化私観」を
座右の書にしておられることを知ったのがきっかけですが、
Neonさんには感謝しています。
私はもって回った言い方、思わせぶりな文体がきらいなので、
とても愉快に読み進めることができます。
楽しい言葉にぶつかりました、
年をとると物分かりが良くなるというので
急に他人のことを考え、欲がなくなるぞ、
という納まり方は信用できぬ、
人間生きるから死ぬまで持って生まれた体が一つである以上は、
せいぜい自分一人のためにのみ、欲張った生き方をすべきである。
毒々しいまでの徹底したエゴイズムからでなかったら、
立派な何物が生まれよう。
(中略)
本音を割りだせば誰だって自分一人だ、
自分一人の声を空虚な理想や社会的関心なぞというものに
先廻りの邪魔をされることなく、
耳を澄まして正しく聞きわけるべきである。
自分の本音を雑音なしに聞き出すことさえ、
今日の我々には甚だ至難な業だと思う。
(後略)
現代の特徴的な出来事を2つ考えてみましょう。
まず、原発事故。
超過密化社会において、いつ何時、なにか起こるか、
誰にも予測できません。
原発事故の教訓は、次の2つ。
1 人類の知恵では、原発事故を防ぐことができない。
2 いったん起こると、原発事故の被害は致命的である。
それなのに、まだ安全だ、こうすれば安全だと言い張っている。
東電も政治家たちも、原発事故の後もまるで変わらず、
原発推進政策をなんとか継続しようとしています。
つまり、こうした事故はこれからも避けられないのです。
次に、祇園事故。
この出来事は、現代人がどんなに病んでいるかを教えてくれます。
超過密社会に不可避的に起こる現象は、
1 自分以外の人間はすべて障害物、邪魔者でしかない。
2 自分以外の人間と心を通わせることができない。
これはエゴイズムではありません。
病的な離隔現象。
この2つの現象を考え合わせると、
日本も、そして国民の一人一人も、
その頭上にはダモクレスの剣がかかっているのです。
いつその細い糸が切れるか、分かりません。
私たちの1日1日が大切なのです。
1日が過ぎようとするとき、
今日も無事に過ぎ、1日長生きできたことを感謝しましょう。
そう考えるのであれば、
いつも明日はないと考えて、
まずやりたいことをやりましょう。
明日死ぬとしたら、今日なにをするか?
今一番したいことはなにか?
これを絶えず考えましょう。
こんな風に生きることで、
いつ死んでも良いというと語弊がありますが、
日々、最良最上の人生を一段一段築き上げることで、
災厄に対する心構えもできます。
そして、周囲の人への心の余裕も生まれ、
邪魔者ではなく、自分の最良最上の人生の仲間と考え、
周囲の人とも心を通わせることができるでしょう。
by hologon158
| 2012-04-17 18:31
| ホロゴンデイ
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