わが友ホロゴン・わが夢タンバール

324.25 ホロゴン外傳41「2012年5月19日鶴橋は待望のパンタッカーを迎えて」25 知らぬが仏



You Tubeで、次のビデオをご覧になったことがありますか?

  Kyung Wha Chung plays Brahms violin concerto (1985)
  (http://www.youtube.com/watch?v=pKVuQQkvqWA&list=
   FL8EUa8uFTI2NWBEFOkCqnCA&index=4&feature=plpp_video)

若かりし頃のチョン・キョンファが
どんなにすさまじい気迫とコントロールで演奏したか?
これはその確かな証明ではないでしょうか?

コンサートで彼女の演奏に幾度も接した友人から聞きました、
怖ろしいほどの集中力で、まるで剣客のようだった、と。
このビデオにその片鱗が見えるようです。

一番印象的なことは、もちろん美しさと気迫なのですが、
二番目に印象的なのは、

  休止符の間も含めて、瞬時もたゆまないで、
  滔々と音楽を紡ぎ出していく、
  そのコントロールのブレスの長さ。
  1楽章が1つのブレスで描き出されるかのようです。

すぐれた演奏はすべてそうです。
けっしてたゆまない。

そこで思うのですが、ストリートフォトだって、
すぐれた写真家が撮るとき、
同じことが起こっているのではないでしょうか?

  1本のストリートをぶらぶらと散策するような姿ですが、
  精神は張り詰め、サーチライトのように目を走らせ、
  すべてのポイントをスクロールし、
  ターゲットを発見したら、静かに忍び寄って、何げなくすっと撮る。
  心に、今の一枚を反芻しながら、心をさらに引き締める。

私のような素人は、ちょっと違います。

  あれこれ雑念に邪魔されながら、
  ターゲットが幸運にも見つかると、
  「あった、あった!」とバタバタ近寄って、
  1枚撮って、「うん、これでよし」
  もう、次のターゲットはどこかなと、目はうろうろ。

でも、自分が見逃したターゲットには気も付かないのですから、
心は幸せいっぱい。
知らぬが仏、ですね。
昨日も、そんな風にして、京都寺町のロボグラフィを満喫しました。



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by Hologon158 | 2012-06-03 10:58 | ホロゴン外傳 | Comments(0)