わが友ホロゴン・わが夢タンバール

354.10 ホロゴンデイ外傳87「2012年6月30日大阪鶴橋をバルター35mmがスイープ」10-完-闇をつんざく稲光



バルター35mmf2.3は114枚中51枚を選びました。
撮影順に10回で完了。

じとじとと雨が降り続ける暗い日でしたが、
こんな日にバルター35mmf2.3は最適でした。
どんなに暗くても、しっかりグラデーションを出してくれます。

全部f2.3の開放ですが、深い被写界深度が幸いして、
質感を出して欲しい部分はしっかり写っています。
こんなレンズが撮ってくれた写真とゆっくり付き合うと、
喜びがこみ上げてきます。

派手なところはありません。
でも、段々と気づきます、
ありふれた平凡な写りは一枚もない。
地味だけど、よく見ると、なんだか美しい描写。
じんわりと良さがしみ出てくる、そんな類の名レンズ。

中将姫光学さんに、ロボグラフィの一面を言い当てていただいた感じですが、
ノイエ・ザハリヒカイトの本質は、
原点に戻れ、ということだったのではないでしょうか?

    音楽で言えば、楽譜に戻り、楽譜を正確に演奏すること。
    絵画で言えば、ものに戻り、ものを正確に表現すること。

でも、その結果、いわゆる即物的で無味乾燥な再現となるか?
と言いますと、そうではなく、
即物に徹することから、のっぴきならない緊迫感、緊張感、
迫力、衝撃力へとクレッシェンドし、ついに怒濤の表現を生み出すところに、
ノイエ・ザハリヒカイトの真骨頂があったのではないでしょうか?

トスカニーニの数々の名レコードがそれを証明しています。
私が大好きなのは、ヴェルディの歌劇「ファルスタッフ」

    すべての音符、歌手たちの歌声にぎりぎりの緊張感がたたえられ、
    1音1音に「非凡」の刻印が押されているという印象。
    まるで闇をつんざく稲光のような音楽になっていました。

トスカニーニその人がノイエ・ザハリヒカイトだったようです。
彼がフルトヴェングラーを嫌っていたことは有名ですね。

    記者会見で、意地悪い質問が飛び出しました、
        「現代であなたの次に偉大な指揮者は誰ですか?」
    トスカニーニの顔はだんだんと紅潮し、ついに爆発、
        「フルトヴェングラーだあ!」
    椅子がバタンと倒れ、トスカニーニは姿を消したそうです。

どんなに嫌でも、真実はありのままに受け入れる、
そんな精神がノイエ・ザハリヒカイトの根底にあるようです。

こんな風に考えていきますと、
私がロボグラフィを撮るときの心底にあるのは、
ノイエ・ザハリヒカイト的精神ではなくて、
愛するものだけを受け入れようとするロマン派的精神かも知れません。

むしろロボグラフィをご覧になった方が、
なんだか訳が分からないままに、
でも、一度、自分のそんな気持は横に置いて、
写真にノイエ・ザハリヒカイト的に向き合ってみよう、
そんな苦しい選択をさせられる。
そのとき、私の写真はノイエ・ザハリヒカイト的となる。
そんな具合かも知れませんね。

要するに、
私の写真はノイエ・ザハリヒカイト的だけど、
私自身はノイエ・ザハリヒカイト的ではない?




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by Hologon158 | 2012-07-12 11:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)