わが友ホロゴン・わが夢タンバール

356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁



356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁_c0168172_22351068.jpg
356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁_c0168172_2235557.jpg
356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁_c0168172_22345432.jpg
356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁_c0168172_22344792.jpg
356.05 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」5 豆腐1丁_c0168172_22343994.jpg





近ごろ、とてもご機嫌なのです。
中将姫光学さんのノイエ・ザハリヒカイト発言のお陰です。

あんまり適確なので、もう一度引用させていただき、
少し書きたくなりました。

    「すっきりし過ぎる淡泊なレンズに
    ノイエ・ザッハリッヒカイト・レンズと名付けるとか、
    何を撮ったのか分かりづらい無機質的な写真に
    ノイエ・ザッハリッヒカイト・フォトと名付けるとかです。
    仲間内では、ホロゴンさんが撮る写真は、
    ノイエ・ザッハリッヒカイトに近い感覚が宿っているような気がします。」

とくに次の言葉は、読む度に、笑いがこみあげてしまう名句。    

    「何を撮ったのか分かりづらい無機質的な写真」

こういう言葉を頂きますと、
私は元来我田引水名人ですから、こう受け取ります、

    そうか、そうであれば、どんどん遠慮無く出させて頂きましょう!

そこで、今回も、まさに「何を撮ったのか分かりづらい無機質的な写真」
つまり、もちろん、被写体がなんであるかは、見れば分かります。

    問題は、それをただ撮っているだけなので、
    ご覧になった方は、たいていの場合、頭をひねらされてしまいます。

    なんのために、そんなものを、そんな真っ正面から撮るの?
    だから、どうだって言うの?

私が言いたいところは、そこなのです。
「なんのために」と言われても、答えようがないのです。
強いて言えば、「なんのためでもありません」
「だから、どうだって言うの?」と言われても、
私に言えるのは、「だから、どうだってことは全然ありません」

前にも一度書きました、
ユダヤ系哲学者マルチン・ブーバーの言葉。

    「散歩していて、大樹にぶつかり、ステッキで幹を押してみる。
    すると、大樹がステッキを押し返すのを感じる」

これがピタリと当てはまる感じがします、

    「散歩していて、奇妙な木にぶつかり、ホロゴンで撮ってみる。
    すると、木がかすかに笑うのを感じる」

これが「ロボグラフィ体験」

    いわば、ものが私になり、
    私がものになる体験。

そんな体験を写真で表現できるなら、大写真家でしょう。
私はそんな不可能に挑むつもりはありません。
自分のプライベートな体験をメモるだけ。

買い物のために、「と1」とメモに書き付けるようなものです。
本人には、「豆腐1丁」の意味と分かります。
でも、傍目には、なんのことやら、ちんぷんかんぷん。
それがロボグラフィ。

「何を撮ったのか分かりづらい無機質的な写真」
まさに言い得て妙!
by Hologon158 | 2012-07-14 01:38 | ホロゴンデイ | Comments(0)