356.06 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」6 正確だからこそ凄い!
中将姫光学さんの次の言葉にはかなりそそられました、
「すっきりし過ぎる淡泊なレンズに
ノイエ・ザッハリッヒカイト・レンズと名付けるとか」
どんなレンズなんだろう?
どのレンズなんだろう?
小さな灰色の脳細胞が活発に動き始めました。
でも、いくら脳細胞が活発に活動しても、
手持ちの、つまり、使ったことのあるレンズの中にしか、
候補レンズを見つけることはできない道理。
先ず思いついたのは、あるレンズなのですが、
いきなり思いつきに飛びつくのも大人げない。
もう少し考えてみましょう。
先ず思いついたのは、ニコンのレンズです。
ところが、アンチニコン党の私です、
ほとんど使ったことがない。
わずかにWニッコールC28㎜F3.5。
レンジファインダー・ニコン用レンズです。
かなりザハリヒカイト的です。
しかし、ヘリゴン35㎜f2.8同様に、
シャープネスの極限まで突進することで、
逆に、リアリティを欠くきらいがあります。
シュナイダーのCマウントレンズ、
クセノン25mmF1.4
クセノン28mmF1.4
この2本もとてもシャープですが、ヘリゴンほど行きすぎていません。
でも、かなりマイナーです。
やはりメジャーで見つけたい。
友人から借りたライカのズミルックス75mmF1.4、
これもすごいレンズでした。
でも、ザハリヒカイト的という印象はありません。
ポートレートレンズなのですから、当然。
エルマー50mmf3.5はどうかな?
多種多様のエルマーがあるようです。
私のエルマーはかなり線の太い描写で、
ライカ的であっても、ザハリヒカイト的ではない。
昔愛用したアポクロマート100mmF2は怜悧な切れ味でしたが、
その反面、あたたかい発色で、これも冷徹とは言い難い。
結局、最初の瞬間に思いついたレンズが最後にも浮上。
ズミクロン50mmf2
親友のDAさんが撮った「軍靴」を思い出します。
実に見事な造りなので、きっと将校用だったのです。
猛烈に草臥れています。
でも、骨董市の売り物なので、ただのボロ靴ではありません。
そこには、歴史があり、人生があり、苦悩がありました。
でも、持ち主は大事に大事に使い続けました。
これがなくなったら、死ぬとき、そう知っていたからです。
彼はズミクロン50mmf2(固定鏡胴)で撮りました。
彼は今エルマリート28mmF2.8の名手ですが、
それ以前のズミクロン50mm時代の最高傑作。
ただひたすらに軍靴をしっかりと描写しました。
でも、その客観的な描写の背後から、
持ち主の人生が浮かび上がってきます。
トスカニーニの演奏の生命感にかなり似ています。
正確を期すれば期するほど、
現実感と生命感をドライにリアルに表現できて、
見る者をはっとさせ、心を躍らせる、
それが単なるザハリヒカイトではない、
ノイエ・ザハリヒカイトなのではないでしょうか?
「すっきりし過ぎる淡泊なレンズに
ノイエ・ザッハリッヒカイト・レンズと名付けるとか」
どんなレンズなんだろう?
どのレンズなんだろう?
小さな灰色の脳細胞が活発に動き始めました。
でも、いくら脳細胞が活発に活動しても、
手持ちの、つまり、使ったことのあるレンズの中にしか、
候補レンズを見つけることはできない道理。
先ず思いついたのは、あるレンズなのですが、
いきなり思いつきに飛びつくのも大人げない。
もう少し考えてみましょう。
先ず思いついたのは、ニコンのレンズです。
ところが、アンチニコン党の私です、
ほとんど使ったことがない。
わずかにWニッコールC28㎜F3.5。
レンジファインダー・ニコン用レンズです。
かなりザハリヒカイト的です。
しかし、ヘリゴン35㎜f2.8同様に、
シャープネスの極限まで突進することで、
逆に、リアリティを欠くきらいがあります。
シュナイダーのCマウントレンズ、
クセノン25mmF1.4
クセノン28mmF1.4
この2本もとてもシャープですが、ヘリゴンほど行きすぎていません。
でも、かなりマイナーです。
やはりメジャーで見つけたい。
友人から借りたライカのズミルックス75mmF1.4、
これもすごいレンズでした。
でも、ザハリヒカイト的という印象はありません。
ポートレートレンズなのですから、当然。
エルマー50mmf3.5はどうかな?
多種多様のエルマーがあるようです。
私のエルマーはかなり線の太い描写で、
ライカ的であっても、ザハリヒカイト的ではない。
昔愛用したアポクロマート100mmF2は怜悧な切れ味でしたが、
その反面、あたたかい発色で、これも冷徹とは言い難い。
結局、最初の瞬間に思いついたレンズが最後にも浮上。
ズミクロン50mmf2
親友のDAさんが撮った「軍靴」を思い出します。
実に見事な造りなので、きっと将校用だったのです。
猛烈に草臥れています。
でも、骨董市の売り物なので、ただのボロ靴ではありません。
そこには、歴史があり、人生があり、苦悩がありました。
でも、持ち主は大事に大事に使い続けました。
これがなくなったら、死ぬとき、そう知っていたからです。
彼はズミクロン50mmf2(固定鏡胴)で撮りました。
彼は今エルマリート28mmF2.8の名手ですが、
それ以前のズミクロン50mm時代の最高傑作。
ただひたすらに軍靴をしっかりと描写しました。
でも、その客観的な描写の背後から、
持ち主の人生が浮かび上がってきます。
トスカニーニの演奏の生命感にかなり似ています。
正確を期すれば期するほど、
現実感と生命感をドライにリアルに表現できて、
見る者をはっとさせ、心を躍らせる、
それが単なるザハリヒカイトではない、
ノイエ・ザハリヒカイトなのではないでしょうか?
by Hologon158
| 2012-07-14 02:14
| ホロゴンデイ
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