わが友ホロゴン・わが夢タンバール

356.12 ホロゴンデイ87「2007年1月14日ホロゴンのお供で奈良壷阪山に」12 壁をこすって通る



今日は日曜日。
私は一日中ゆっくりと過ごしましたが、
今日も写真ブロガーの皆さん、写真撮影に忙しいことでしょう。

写真ブロガーの皆さんにはほとほと感心してしまいます。
毎日撮ってはブログに出し、これを長年続けてお出でになる。
そのエネルギーと持続力って、大変なものです。

そういうお前だって、がんばっているじゃないか?
そうおっしゃってくださる方もおいででしょう。
でも、それは違いますね。

私の場合、苦労、努力はまるで無縁。
傑作を撮るという使命、志がないので、
写真を撮ることは、創作、制作ではなくて、
ただスキップして駈けるようなものです。
呼吸するようなものだとはもうしません。
そこまで人生に本質不可欠一体のものとはなっていない。
でも、すべてが楽しみ。

でも、楽しみはやってきて過ぎ去るだけでは我慢ができません。
風のように、水のように生きたいとは思いません。
彫刻家のように生きたい。
1つノミを振るったら、ちゃんと1つ痕跡が残る、
そんな生活をしたい。

ロベルト・ムシルが「特性のない男」で書いた、
「両側に壁がある廊下を通るとき、その壁をこすって通る、
それが彼だった」という言葉、うろ覚えですが、
きっと彼も、人生に刻みをつけながら生きたい人間だったのです。

ブログは、廊下に袖をすりつけるようなものです。
ある日、あるとき、ある場所で、ちゃんと生きていた、
ちゃんと何かをしていた、そう記録し続けたい。

記憶力のよい人間は、そんなことをしなくてもよい。
妻はよく言います、

    「あ、それは☆☆があった年だから、※年、
    私が#歳のころ、@に住んでた頃ね」

私はただ呆然と、「そ、そうだったかな?」

私は、忘却を生きる糧として生きてきました。
よいことも悪いことも、嬉しかったこともいやだったことも、
過去は全部いっしょくたに背負い投げして、忘れてしまいます。
今何をするか、明日何をするか、どこに向かっているか、
ただそれだけが大切。

だから、過去のことは記録しておかない限り、無。
ブログはそんな日々の備忘録として、
今や、私の人生には欠かせない土台、基盤、跳躍台なのです。




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by Hologon158 | 2012-07-15 18:25 | ホロゴンデイ | Comments(0)