わが友ホロゴン・わが夢タンバール

358.25 ホロゴン外傳88「2012年4月7日天神橋商店街付近でダルメイヤー暗躍」25 素人の方が得?



グルダ、グールド、アルゲリッチ、誰でもよいのですが、
偉大な演奏家の演奏を聴いていますと、
その隅々まで磨き抜かれた音の輝きにいつも心を奪われます。

レコード演奏と実演ではまるで違うはずです。
彼らの究極のアートが実現される場はもちろん実演。
でも、その偉大な演奏が終わった後で、
その輝きを隅々まで心にとどめる人がどれだけいるでしょうか?

私も含めてたいていの聴衆の記憶にとどめられるのは、
そのいくつかのパッセージと感動、喜びの名残だけではないでしょうか?
それだけでも、大切な思い出として、私たちの人生を豊かに彩ってくれます。

ところが、演奏を深く心に刻み込める人たちがいます。
演奏家自身はもちろんですが、
演奏をすみずみまで心に留めることができる人がいます。

小澤征爾がメシアンかなにか現代曲を指揮したときのことです。

    あとで、カラヤンが来て、
        「第※小節、ちょっとまずかったね」
    小澤征爾もさりげなく、
        「そうでしたね」

カラヤンは、自分では絶対に採りあげない曲でも、完全に暗譜している、
なんということでしょうか?
グールドと同じで、どうやらざっと目を通しただけで、
隅々まで頭の中に入ってしまうのでしょう。

グールドがヨーロッパで演奏したときも、
名演奏家、大演奏家が顔を揃えたそうです。

    音楽の隅々まで、演奏の隅々まで研究し、一家言のある天才たちを、
    それにもかかわらず、心底納得させなければならないのです。
    実際に、納得させたようです。
    でも、本人は、網のない、空中綱渡りの気分だったでしょう。
    そんな綱渡りをいつまでも続けることができるはずがありません。

グールドは、「聴衆は私が間違うことを期待している」と語りますが、
自分の弾き方を最高と信じている名演奏家たちがずらりと居並ぶのです。
超天才に対する嫉妬の感情だって、その表情にうかがえたかも知れません。
グールドがそう感じても、あながち見当違いとは言えません。
グールドがコンサートをやめてしまったのには、
そんな事情もあったのではないでしょうか?

そこで思うのですが、
演奏の隅々まで理解し、記憶することができない人間だって、
今目の前にしている演奏がどれほどのものか、
かなり正確につかむことができます。

    絵が描けなくても、名画を知ることができ、
    演奏などできなくても、名演を知ることができるのです。

そして、細部まで厳しく吟味したりする必要がないし、
嫉妬の気持だって、かけらもない。
つまり、心の底から名演を味わえるのは素人なのでは?




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by Hologon158 | 2012-07-24 09:59 | ホロゴン外傳 | Comments(0)