わが友ホロゴン・わが夢タンバール

362.12 ホロゴンデイ88「2006年9月18日ホロゴンで暑い夏の大阪のどこかを撮った」12 さよならさ



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このブログでは、はてしなく写真論議を繰り返しています。
なぜかと言えば、いつも写真のことを考えているから。

写真にそんなに時間をかけるだけの意味があるか?
そう尋ねられれば、ちゅうちょ無く答えましょう、

    ある!
    写真にそんな意味がなければ、他のなんにでも、意味がありません。

大切なことは、どれだけ自分が意味を感じるか?
他のすべての人が意味があると言ったから、意味があるわけではありません。
他のすべての人が意味がないと言ったからと言って、遠慮することはありません。
自分が意味を感じたら、それでよいのです。

人生のほとんどすべてのことは、
なにをするかではなくて、
どうするか、ということが大切ではありませんか?

絵画とか音楽のようなアートであれば、
ある一定水準を超えない限り、まず自分自身が満足できません。
ある意味で、人と自分が共通のスタンダードで価値を判定します。

ところが、写真にはそれがありません。
あらゆる形で写真をエンジョイできます。
万人に共通するスタンダードがありません。
1つの写真を、撮影者と鑑賞者はまったく異なる視点で受け取ることができます。
写真的価値の評価を下すとき、評価の優劣はもちろんあります。

吉川英治の「宮本武蔵」は不朽の名作と言っても過言ではないと思いますが、
その中で、武蔵が柳生に寄留したときの出来事を思い出します。
うろ覚えですが、柳生石舟斎が活けた活け花を武蔵が見るシーン。

    武蔵は、花を壺から抜き出して、その切り口を改めて、
    石舟斎の神技を目の当たりにするのです。
    これが、達人、達人を知るということでしょう。

凡百の人間には、切り口を見ても、なんにも分からないでしょう。
このことを痛感するのは、時折ブログを巡回するときです。

    沢山のコメントが寄せられて、驚いて読んでみると、絶讃の嵐。
    そんなブログによく出会います。
    ところが、不覚にも、私にはこれがほとんど理解不能。
    私には、ただの写真にしか見えない。
    笑ってしまいます。
    ほかに、どうしようもありません。

私には到底理解できないほどの高遠な鑑賞力をもつ武蔵たちが、
この世に数知れず居て、ブログを楽しんでおいでになるのでしょう。
お陰様で、たいていの場合、頭をひねりながら、
なんだか自分の鑑賞力の不足を思い知らされて去ることになります。

こんなブログ体験がますます写真世界から私を遠ざけています。

    素人として一人楽しむだけで、私の人生には十分。

そんな私の気持にぴったりの歌を今朝見つけて、笑ってしまいました。
まるで意味は違いますが、私の意味で読むこともできるのです。

    さよなら 河島英五
    (http://www.youtube.com/watch?v=GfDEWBYqFmg&feature=related)

        僕はもうおさらばしようと思った時にも
        何かを仕始めようと思った時にも
        誰かの言葉が気になって出来い事があった
        でも もうさよならさ
        誰かの機嫌をとるのはね
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ

        失意と僻みと欲望と焦りと
        裏切りと詮索と苦笑い照笑い
        そう僕を取巻くあらゆる自由でないものに
        そう僕を取巻くあらゆる自由でないものに
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ

        あれから何日も過つのに通り過ぎる風のように
        僕の心を傷つけていったお前の言葉にも
        さよならを 言おうね もう僕は気にしないから
        さよならを 言おうね
        だからお前ももう気にしなくていいよ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ

        もう僕は何も気にしないよ
        だって僕何も聞こえないもの
        だから何と言ってくれてもかまわないよ
        さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ

        そして僕はもう一度さよならを言おう
        もう一度お前に確かにさよならを言おう
        待ち受ける闇のように僕の心を閉ざす
        僕の心を捕えたどうしようもない悲しさに
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ
        さよならさ さよならさ みんなおしまいさ

河島英五がこんな歌を作った背後には、
おそらく苦しみ抜いた人生があるのでしょう。
その気持がひしひしと伝わってくる詩です。

でも、私のまるで苦しんでいない体験にもあてはまる!
普遍的な人間の心を歌っているからです。

まだくすくす笑っています。
今日は元気よく一日を楽しむことができそうです。
by hologon158 | 2012-08-02 10:41 | ホロゴンデイ | Comments(0)