わが友ホロゴン・わが夢タンバール

379.05 ホロゴン外傳94「2012年9月13日 ニューレンズ、ゾンネタール50mmf1.1で奈良町を」5 壮大な夢



考えてみますと、
レンズ制作者という人たちって、夢追い人ですね。

それぞれに写真の理想を持っている人たち。
その理想の写真を自分のレンズが撮ってくれるはず、
そんなレンズを作りたい、そう切望して、
レンズを設計したのでしょう。

でも、その制作者が抱いた写真の理想は、
その時代の写真家たちとは違っていたかも知れません。
パウル・ルドルフのことを考えてしまいます。

彼は、レンズ史上有数の名レンズを次々と発明した人物。
ウィキペディアを信用しますと、
ツァイス社で、
1896年プラナー、
1902年テッサー、
ツァイス社を退職した1919年以降、各種キノプラズマート。
テッサーは制作後「鷲の目」と呼ばれて、
各社で使用されたようですが、
そのテッサーやプラナーが本格的に名声を確立したのは、
1932年のオールド・コンタックスや、
1935年の二眼レフ35㎜カメラ、コンタフレックス以降ではないでしょうか?
パウル・ルドルフはその1935年に世を去るのです。

パウル・ルドルフがツァイス社退職後に作ったキノプラズマートも、
その存命中に広く世界に受け入れられたのでしょうか?
少なくとも日本ではダメだったようですね。
キノプラズマートが現在、超レアものとして有名なのは、
稀代の幽玄レンズとして世に喧伝される前は、
ボケレンズとして大事にされず、
あまり生産されず、あまり残っていないからでは?

なんだか当世美人とよく似ていますね。
たとえば、平安時代には、現代美人は美しくないと思われて、
さんざんな目に遭ったのではないでしょうか?
ところが、現代では、平安美人は浮き世をかこつことになります。

レンズ評価というのも、時代ごとに変遷しているのでしょう。
レンズ制作者は、ニューレンズを世に問うとき、
当代に容れられなくても、次代には最高のレンズと評価されて、
レンズ史上にその名を残すことになってほしいと、
壮大な夢を描いたのでしょうか?

宮崎さんのこのゾンネタールの写真たちを掲載しながら、
心から願わずにはいられません、
偉大なレンズ制作者たちの系譜に加わってほしい。
ゾンネタール50mmf1.1がいつか、
偉大な大口径レンズたちと比肩する名声を手に入れてほしい。




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by Hologon158 | 2012-09-18 01:14 | ホロゴン外傳 | Comments(0)