わが友ホロゴン・わが夢タンバール

404.11 ホロゴン外傳98「2011年8月27日キノプラズマート25mmf1.5は心斎橋の派手好み」11  敗北は必然


No.402.15にスパルタ人のことを書きました。
スパルタ王が自軍をできるだけ弱い相手と戦わせようとしたのには、
理由があります。

スパルタ人には後がなかったのです。

    ポリスが乱立した当時のギリシアにおいて、
    アテーナイと並んで、スパルタは異例の広大な領土を確保しました。
    周辺諸国を征服して、鉄の支配の下、住民たちを奴隷化したのです。
    
    アテーナイは、自由民たちが連合して一つのポリスにまとまりました。
    田園の住民と都市の住民が縦割りに2つずつつながって、一つの行政区画とし、
    田園と都市の双方の住民が協力して、ポリスを盛り立てました。
    スパルタ側は、ペロポネソス戦争の間、幾度もアテーナイを包囲しました。
    そんな緊急事態が起きると、
    田園の住民は自分と同じ行政区画の市民の家に収容されたのです。
    異例の人的資源に恵まれていたので、
    いくつもの方面で平行して独自に軍事作戦を実施する実力がありました。

ところが、スパルタは、足かせを自分ではめてしまったようなものです。

    周辺の被支配地の反乱の芽を摘みながら、
    終始戒厳令下にあって、警戒を怠られない運命を背負い込んだのです。
    成人男子は兵営で共同生活をしました。
    メッセニア人がイトメーという山城に籠もって起こした最後の反乱は、
    なんと20年に及び、スパルタの国力を損ない、疲労困憊させたのですが、
    そんなクライシスへの応答として、スパルタ教育が行われたのです。

スパルタ軍は、こうした被支配民たちを徴募して軍団を組み、
スパルタ人将校が統率するという形をとりました。

    このあたり、被支配民と傭兵の違いはありますが、
    カルタゴに似ています。
    ハンニバルも多国籍軍を編成して、イタリア半島に攻め込みましたが、
    スパルタでも、ブラーシダースという名将がハンニバルそっくりの遠征を敢行します。
    彼の軍団兵は自由を約束された被支配民たちでした。

スパルタは、アテーナイに比べて、人的資源において著しく弱体だったわけです。

    だから、兵力の温存が至上命令であり、
    かつ、絶対に敗走できない使命があったのです。
    敗走すれば、配下の被支配兵士たちが反乱を起こすかもしれないからです。

第二次世界大戦のアメリカ軍も兵士たちをとても大事にしました。
ベテラン兵を温存することがどんなに大切か、知っていたからです。

    ケネディが太平洋での作戦遂行中に難破して、
    救助隊に救われた話は有名です。
    つまり、艦船や飛行機が破壊されても、兵員だけは救おうとしたのです。

一方、日本軍は、破れたら生きて帰るなと命じました。

    米軍はベテラン兵を何度も戦場に送ることができ、
    日本軍はベテラン兵を使い捨てにしたのです。

巌流島の決闘で、佐々木小次郎が鞘を捨てたとき、
武蔵は「小次郎、敗れたり!」と本当に叫んだかどうかは知りませんが、
日本軍は、ベテラン兵を使い捨てにすることで、
初手から勝利を投げ捨てていたことは明らかです。

知らずしてではありません。

    陸軍大学でも、ギリシア、ローマ、カルタゴの興亡は学んだはずです。
    第一次世界大戦、タンネンベルヒの戦いで、ドイツ軍はロシア軍を壊滅させます。
    ルーデンドルフ、ホフマン、2人の参謀は、ロシア軍の進撃路を見て、
    ハンニバルのカンネーの二重包囲作戦がここでこそ応用できると看破し、
    まったく別々に同じ戦術、同じ作戦、同じ軍団の配備を考案したのです。
    ハンニバルは騎兵を使って、二重包囲を成功させたのに対して、
    ドイツ軍は、列車を使って、遠方の左翼軍団をぐるっと移動させて、
    ロシア軍の右側に配備して、その包囲網の罠の中に誘い込んだのです。

アーノルド・トインビーは、トゥーキュージデースの「戦史」を一種の規範として、
史学を展開し、名言を残しました。    

    「古典ギリシア時代は現代と同時代である」

ドイツ陸軍大学の卒業生たちはこの言葉を文字どおり実行し、
日本帝国軍の参謀たちはただの教科として学んだだけで、
大切な教訓を汲み取ることができませんでした。

ドイツの参謀は現場に臨み、現場を知って作戦を立てました。
日本の参謀は現場を見ず、指揮下の軍団と敵の実情、能力を無視して、
机上の作戦を立てました。
イギリスの偉大な軍事史家は、彼の畢生の大著でこう書いています。
「日本陸軍の戦略、用兵に見るべきものはない」
恥ずかしい判決を貰ったものです。

    学ばない者に敗北は必然だったのです。





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by Hologon158 | 2012-12-17 21:54 | ホロゴン外傳 | Comments(0)