413.16 ホロゴン外傳102「2012年11月23日キノプラズマート25mmf1.5は佐保路に遊び」16 3つの人生
神様が、あなたの人生のはじまりに、こうおっしゃるのです、
「お前は生涯芸術家として生きることができる。
しかも、今から言う3つの人生を選ぶ権利を与えてあげよう」
あなたは、次のどれを選びますか?
1 生きている間はいくら努力を重ねても無名にとどまるけど、
死後、その努力が報われ、大芸術家として歴史に名をとどめる。
2 生きている間大芸術家として名声を博するけど、
死後、完全に忘れ去られ、誰も記憶しない。
3 生涯二流程度には成功し、
死後も二流芸術家としてその名を歴史の片隅にとどめる。
あなたが2を選んだとしたら、神様は言うでしょうね、
「君は芸術家じゃないね。ただの企業家だよ」
3を選んだら、神様、ふんと鼻を鳴らして、
「まあ、君はその程度の人なんだねえ」
あなたが真の芸術家だったら、2はとても我慢ができないでしょう。
真実の芸術性は時間を超えて、人の心を揺さぶるはずだから。
逆に言うと、そうでなければ、時流に乗っただけの似而非成功に過ぎない。
3もやっぱり我慢できないでしょう。
どんな芸術家も、二流になんかまっぴらご免と考えるでしょう。
3つしか可能性がないのであれば、1を選ぶ、
それが真正の芸術家というものではないでしょうか?
ゴッホが神様から与えられた運命がこれでした。
弟テオへの1880年7月(ゴッホ27歳)の書翰にこんな下りがあります。
「さて、どうしたらいいというのか。
内面で起こるもの、一体それは外面に現れるのだろうか。
人間はその魂のなかに大きないろりを持っているのだが、
誰も暖まりにやって来ない。
通りすがりの人たちは煙突から少しばかりの煙りが出ているのを見るだけだ。
そして、通り過ぎて行ってしまう。
この通りさ、どうしたらいいのか、
内部のいろりの火の番をすることか、
自分だけでつらさに耐えることか、
それとも、我慢強くじっと辛抱して待つのか、
誰かがいろりのそばに座りにやってくる時を。
長居するかどうか知れたものではないのに。
神を信じる人間ならいずれやってくるその時を待つこともできよう。
今は、ぼくにとって万事がうまく行かぬように思われる。
すでに相当長いことこんな調子だったし、
将来も当分このままの状態が続くようだ。
だが、すべてが悪くなり切ってしまったと思われるころには、
また万事がよくなる時期が来るということもありうる。
ぼくはあてにはしていない。
おそらくはやって来ないだろう」
(ファン・ゴッホ書翰全集1 みすず書房)
生前ほとんど認められず、絵もほとんど売れないまま、
結局内部のいろりの火の番をしながら、
自分だけでつらさに耐える生涯を送ることになってしまったのですから。
ゴッホはそれをすでに予見していたのです。
芸術家を目指す者のほとんどは成功しないので、
ゴッホの予見が的中しても、不思議ではないという考え方もあるでしょう。
でも、ゴッホは、鬱勃とした魂のうずきの中で、
自分が人にはないものを持っていることを自覚していたのです。
それが、彼の言う「いろり」です。
しかも、人々がこのいろりに暖まりに来るのを切望し続けたのです。
でも、来るものもないままに、
このいろりの火を守り、2000もの作品を創造し続けたのです。
もう一人の天才ピカソが生涯天才の名をほしいままにしつつ、
約10万点もの作品をマグマのように噴出し、
画家として空前の富貴も手にしたことを思えば、
痛ましい、この一言に尽きますね。
このことが分かった上で、質問。
あなたなら、どれを選びますか?
by Hologon158
| 2013-01-31 21:35
| ホロゴン外傳
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