わが友ホロゴン・わが夢タンバール

415.18 ホロゴンデイ100「2006年6月27日 十三こそわが町と、ホロゴン高らかに宣言し」18 写真の強さ



RAさんは若い頃、ヴァイオリンを習っていました。
先生はとてもとても有名な先生だったそうです。
幾人も高名なヴァイオリニストを門下から輩出しています。

その先生、清貧の人で、長屋に住んでいたのです。
RAさんはすでに成人して有職者でした。
時折、家の中から演奏が聞こえてきて、
それがあまりにも美しいために、
それが済むまで家に入れなかったことがあるそうです。

その先生に、ある日、彼はこう尋ねたそうです、

    「いつかオーケストラの第2ヴァイオリンにでも応募したいのですが」

途端に先生は態度をきっと改めて、

    「そんな気持なら、別の先生の所に行ってください。
    私はあなたがアマチュアとしてがんばって勉強しているからこそ、
    こうして教えているのです」

この気概、気骨、これこそ現代から消えてしまった気性ですね。

RAさんはかなり高齢になられましたが、
今でもヴァイオリンへの愛は衰えておられません。
こんな面白いことをおっしゃいました、

    「ヴァイオリンはフォルテが出ません。
    弦を強く擦っても、フォルテにはなりません。
    音符一杯弾ききることによって、フォルテを表現するのです」

写真はどうでしょう?
写真の強さ、フォルテとはどんな表現なのでしょうか?

写真の濃度とは別ものであることは確かです。
暗ければ強い、というのでは単純過ぎます。

結局は、見る人に与えるインパクトの強さでしょうか。

    主題自体の強さでもなく、
    また、私の写真のように、
    ただ単に主題を大きく撮ればよいというものではなく、
    主題が写真全体の中にしっくりとおさまり、
    撮影者の意図通りに厳然とした存在感を漂わせているとき、
    写真全体として強さを感じさせるのではないでしょうか?

難しいですね。

カルティエ=ブレッソンやセバスチャン・サルガドの作品には、
そんな強さがあります。
写真の隅々まで、作家ががっとまとめきった感じ。

いつかそんな写真を撮ってみたいものです。




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by Hologon158 | 2013-02-10 21:52 | ホロゴンデイ | Comments(0)