わが友ホロゴン・わが夢タンバール

426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」



426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1024747.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1024046.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10235628.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10234896.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10234573.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10233567.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10232938.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10232355.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10231782.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1023119.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1023297.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1022572.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10225276.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_1022451.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10223572.jpg
426.00 ホロゴン画帖139「十秋帖 ビオゴン35mmF2.8は晩秋までも華麗に」_c0168172_10222745.jpg





昨年の晩秋の奈良。
ちゃんと季節はあります。

でも、子供のころのように、
衣替えの日に一斉に着替える、そんな季節の節目はなくなりました。
奈良でさえ、今、すでに春が来たはずなのに、冬が残っている。
季節をふっとばすようなさまざまな人災、天災が続発して、
季節どころではない。
日本人も、それぞれに人目を構わず、好きな身なりをして、
人々の姿から季節を感じることが難しい。

それよりも、奈良では、出会う人のほとんどが老人。
季節よりも、人生の冬が日本を満たしつつある感じの方が強い。
日本そのものが老人性うつの症候を見せ始めている感じ。

でも、こんな風に感じるのは、
人間の共感能力のせいなのかもしれません。
共感能力はときに人生の邪魔になりますね。
自分とほとんど関係のない苦労、苦しみ、不安まで背負い込んでしまいます。

人のこと、日本のこと、世界のことなど、
ひとまず置いておきましょう。

    無関係な情報に自分を邪魔させないことです。
    「映画館の火事現象」を起こさないようにしなくちゃ。
    こんな情報過多の世界では、「エポケー」こそ生きる道。
    まず、自分の世界を生きましょう。

菊池寛の小説に好例があります。
うろ覚えですが、こんな次第。

    斬首刑を宣告された囚人が奉行を恨みます。
        「死んだら、あの世からお前を呪い殺してやるぞ!」
    奉行、ニコリと笑って、
        「お前が斬首された後、目の前のあの石に噛みついたら、
         お前の言葉を信じることにしよう」
    囚人、歯をギリギリ言わせて、
        「よーし、やってやるぞ!」
    処刑人の刀が一閃して囚人の首を切り離した途端、
    囚人の首は飛んで、石にがっと噛みつきます。
    さっと色を失う居並ぶ人々に、奉行がにこやかに、
        「これで呪い殺される心配はなくなったよ。
         死ぬ瞬間、石に噛みつくことばかり願って、
         わたしを呪い殺す願いなど完全に忘れてしまいおったわ」

囚人のこの集中力は死ぬときには役立ちませんでしたが、
生きるためには、この集中力を活かしたいものです。

    生きるときには、ひたすら生き、
    眠るときは、ひたすら眠り、
    この世界を憂えるときは、ひたすら憂いましょう。

ストリートフォトはそんな集中力の鍛錬によい、
私はそう信じています。

    私の十画帖、ひたすら奈良の秋しか映っていません。
    それしか考えていなかったのですから。
    幸せのひとときだったのです。

こんな風に使ってみると、
戦後のビオゴンも悪くない、そんな印象。
by Hologon158 | 2013-04-01 10:52 | ホロゴン画帖 | Comments(0)